Day7,6000ftとギネス(WTBF)
気球が大好きな人たち
イエローチームは、前日夜までの係留でクタクタの状態。
この日イエローはオプショナルフライトの予定で、ゲストもおらず飛んでも飛ばなくてもよい日。
ただ私はE藤さん&M哉さんがサポートしていただけることになり、サウジアラビアの空を何にも縛られずに、思いっきり楽しんでみることに。
前日の疲れもあり、イエローチームの参加はあまりないと予想されていたようですが、ブリーフィング時にはほとんどのイエローパイロットが参加。
これにはMiriamも
「本当にみんな熱気球が大好きな人たちだね。ホッとしたよ」
と笑っていたのが印象的でした。
一番高く飛んだ日
この日もM上さんの提案でちょっとしたゲームをすることに。
地上は北西、上空は南東~南南東で遊べる風でしたのでちょうどよく、XDIとMDTでどれだけ広く使って戻って来れるか。
前日HNHで、とんでもないところまで飛んで行った二人がサポートについてくれるということで、あまりアドベンチャーフライト経験のない私は、M哉さんと話してBluePZ6000ftくらいまで上げ、昨日それっぽかった紅海やエジプトが本当に見えるか確かめに行くことに。
そしてエリアギリギリまで飛んで、岩の谷風で遊ぼうというフライトプランで飛ぶことになりました。
ワクワクしながらフライトを開始。
この日もいい天気で、下風で遺跡を舐めながら飛んだ後に、一気に上空約6000ftまで上昇。
最高時速45㎞程度まで出ましたが、広いエリアはそのスピードを感じさせないくらい広大でした。
残念ながら紅海と思っていた霞は、おそらく手前の谷間のようだったのですが、遮る山のないどこまでも続く砂漠と岩の地形が、印象的な景色でした。
エリアの端まで飛んでいくと、奇岩の谷のエリアに下りていきます。
そこから谷風で下りられる所まで戻るプランだったのですが、思った以上に時間もかかり、気温の上昇で地上風がかわる気配がしたので、谷の奥まではいかず少し手前の小さい谷間の風を楽しみました。
茂木と同じように、地形風は世界共通で、その筋をつかめばゆっくりと谷に沿って僕らの気球を運んでくれました。
なかなか一人ではチャレンジングなフライトはしないのですが、この時ばかりはM哉さんとE藤さんのサポートのおかげで、その枠を超えたフライトを楽しむことができました。
世界遺産MadainSalehの迫力
2時間以上のフライトを終え、ブランチに向かうと突然、
「これからMadainSalehの観光に向かうバスが出ます!それに乗らない場合は夜のギネス挑戦まで食堂に残って待機になります」
とアナウンスがありました。
フライトが長時間だったこともあり、遅めに食堂に到着した私たちは、ほとんどゆっくり食事を食べれていませんでしたが、なかなか観光するタイミングもないためせっかくなので行くことに。
約2500年前からある都市遺跡で、特に岩の中に彫り込まれた特徴的なお墓をバスで巡るツアーでした。
気球で上空を飛んでいたときから、その大きさや幻想的な姿は目にしていましたが、地上から見るとその大きさはさらに迫力がありました。
そしてその全てが手で掘られ残っているその歴史を知ると、また奥深さを感じました。
携帯アプリをダウンロードするとARで昔の姿が映し出されたりと、先進的な体験もできる素敵なツアーでした。
これが昔の公民館のような交流場所の跡。うっすら壁画っぽいのがあります。
これがいくつもあるお墓。富豪度合いや性別などによって大きさや形が変わってくるのだとか。
どれも上部に5段の階段があって、それを上ると天国に行ける。門の上にはイーグルがあって守り神となってくれる。この辺のデザインは一緒みたい。
ツアー体験後は本来ならホテルに戻り、休憩してから夕食とギネス挑戦に挑む予定でしたが、ツアーが長引いたこともあり、ホテルに戻らずそのまま食堂へ直行。
このあたりから皆、少し疲れも残る状態になっていました。
ギネス挑戦
今回ギネスに挑戦する内容は、
「世界で最も直線距離で長く、多くの気球を並べたグロー」
というものでした。
しかし、どこに気球を立たせるのか?道路なら封鎖するのか?砂漠ならスタックしないか?
などなど、どれも直前まで説明がなく、不明なところが多く残る状態で当日を迎えました。
そのうえ予定では早めにブリーフィング行い、それでも終了時刻22時頃になるはずが、
17時〜19時頃まで2時間近く夕食も遅れ、その間何も知らされないまま放置状態。
パイロットたちは苛立ちと空腹と疲れで、
「もしかしたら、もうやらないんじゃないか?」
という声までところどころで出てくる状態でした。
しかし、最終的には実施することとなり、2時間遅れのままブリーフィングに移動。
この時点で24時終了予定は間違いないのですが、予定通りいくはずがありません。
ブリーフィングで伝えられた内容では、100機をまず積み込んでから遠いほうから100~1番の番号順に30m間隔で、ランチサイト前の道路に脇にまっすぐ並びます。そして全機立ったところで無線で一斉にグローの合図をする計画でした。
日本チームは88~95番で、立ち上げ位置も一番遠いところでは約3Km先なので、早めに機材積み込んで運ばなければなりません。
さらに実施場所は、公道の端に気球を立たせるとのことでしたが、道路は封鎖しないという驚愕の事実。普通に一般車が通る道端に100機を並べることになりました。
ブリーフィングも終わり、さあ機材を積もう!というところで、さらに日本チームのアンカー車両がなかなか来ないというトラブル。時間契約をしていたドライバーたちが、始まりが遅すぎて帰っちゃったようでした。
それでも何とか100機を積込み、道路に出ようとすると、各国で固まろうとするため配置がズレるなどで大渋滞。
さらに街灯もなくて暗くて不便だし、砂漠は意外に尖ってるゴミや枝なんかあるし、脇の道路は一般客が普通に車走らせているし、風向きが変わったりちょっと吹き出したら大惨事なになりかねない、結構危険な状況でした。
しんどい立ち上げ
O田さんは、途中でパートナーY子さんが帰国してしまったため一人で現地の言うこと聞かないドライバーを使いながら立ち上げなければなりません。
さらにM哉さん&E藤さんペアでは、準備途中でアンカー車両のドライバーが車と一緒に立ち去ってしまうトラブルも。信じられないけど本当です。何も盗まれなかったからよかったですが、アンカーなしの状態で暗闇の中立ち上げ、別のアンカー者が手配されるのを待っていました。
そのほかS江さんもパートナーとはぐれてしまったり、暗闇の中の作業なので、無理して腰をやっちゃったり。。
それでなくとも疲れがたまっている状態からの、1機2名で真夜中のインフレは結構しんどい作業でした。それぞれ苦しみながら、フォローし合いながらも、何とか立ち上げ、合図を待つことに。
しかし日本チームはほとんど無線を持っていなかったので、横の気球が焚いたら焚く、というような何となくの実施。
これを見ると横をガンガン車が通ってるのがわかります。しかも関係者じゃなく一般車両。
でも結果的には何とかすべての気球が立ち上がり、
ギネス挑戦は成功!!
したのですが、回収時も風向きが変わり道路に球皮が横たわってしまう機体や、一般車に球皮を牽かれてしまい壊れてしまった他国の機体もあるようでした。
そして回収と充填とバスに戻って寝床についたらすでに午前3時。朝から計算したら22時間は活動しており、この日もなかなか骨が折れる1日となりました。
翌日フライトは朝も夕方もキャンセルとなり休養日。やっとゆっくりした観光時間が取れる~なんて思いながら、寝床につきました。
つづく
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