櫻坂46と選抜制度について、徒然に②

 よく、②に辿り着きましたね。
 ①のくだらなさ程度では、足止めにもならなかったようです。
 しかし、ここからは強敵ですよ。気を引き締めてかかってください。


【櫻坂46に選抜制度は必要なのか】

 まず私の結論を述べますと、「目的による」です。ズルい話ですね。しかし、こういう結論しか出せませんでした。

 選抜制度と相対する概念に「全員選抜」と呼ばれるものがあります。グループに所属する全メンバーが表題曲を歌唱する、櫻坂46の前身・欅坂46や、かつての日向坂46、その他多くのアイドルグループが採用している、採用していた制度です。
 選抜制度には、表題曲参加メンバーが限られることと、限られた結果、選抜から漏れたメンバー当人のみならず選抜されているはずのメンバーにも、ファンたちにも緊張感をもたらし、暗い影を落とすという問題点があります。
 では全員選抜ではその問題点が解消されるのかと言うと、その点について私は少し疑問を覚えます。
 全員選抜にも結局、フォーメーションと言う名目で序列が作られているだろうと思うからです。この序列の存在が、選抜制度ほどではないにしても、選抜制度と同質の緊張感や暗い影をもたらしているのではないかと想像しているのです。
 この序列は、運営が付け、ファンが付け、メンバー自身が感じているものではないでしょうか。そのグループがより人気になるようにと、ある基準でメンバーを配し、あのポジションがより良い場所だとファンが値踏みし、アイドルもまた少しでも良いポジションを目指して努力する。
 結果として、全員が舞台上にいるのにその立ち位置に序列が生まれる。そしてそこからグループに関わる人々の悲喜こもごもが生まれる。
 などと言う想像は、全く的外れなのかもしれません。何せ私は、選抜制度を敷いた櫻坂46くらいしか追いかけていないもので、全員選抜を採用しているグループの実情、それを追うファンの心情を知りません。
 もしかしたら全員選抜は、関わる皆が幸福感しか抱かないような、素敵な制度だったのかもしれませんし、仮に全員選抜の中に序列があったとしても、それでも選抜制度により味わう辛酸に比べれば幾分マシ、そんな考えも当然存在するでしょうし、私もそれは頷ける意見の一つです。

 余談ですが、陰りの著しく少ない全員選抜とはどういうものかと考えてみると、例えば二人組、三人組といった、ポジションに関わらずそれぞれが目立ちやすい少人数アイドルグループなどではないかと思います。
 結成当初から公平なフォーメーションのローテーションを意識していたグループがあるならば、それも該当しそうです。
 またアイドルアニメ発のアイドルユニットではしばしばみられる「グループの主役がはっきりしている。不動のセンターを置いていて、たまに他のメンバーがセンターを務めるようなグループ」もそうかもしれません。
 グループ全体の物語が既に出来上がっていて、各位の役割が決まっていて、センター以上の人気者は名脇役という、それはそれで名誉な称号が与えられるからです。
 つまり、坂道グループをはじめとした、流動的人事を採用する大人数アイドルグループには、どうあれ濃い影が生まれてしまうものなのではないでしょうか。

 ところで、アイドルに求められている仕事の中に、「音源で、MVで、ライブで、楽曲の世界観を表現し、メッセージを届ける」と言うものがあるだろうと思っています。
 あくまでアイドルの担う数ある仕事の中の一つですが、役者としても活躍するお笑い芸人にとっての漫才・コントのような、アイドルの活動の芯にある部分ではないでしょうか。
 その楽曲を表現することを突き詰めようとしたとき、全員選抜が弊害になることもあるのではないかと感じます。
 令和3年の紅白歌合戦、櫻坂46はこの場で「流れ弾」を披露しました。現在とは若干異なる形ではありましたが、当時から櫻坂46は選抜制度を採用しており、「流れ弾」は通常、選抜メンバーにより歌唱されていましたが、紅白歌合戦においては、広い特設会場において、当時在籍するメンバー全員によって披露されました。
 私も嬉しかったものです。いつもは「流れ弾」にいない推しメンが参加していたのですから。
 とはいえ、画面に映る推しメンの姿はあまりに小さく、やはり目立つのは表題メンバーです。それに不満があったわけではありません。ただ、全員が揃っていてもその立場には差があるのだということを実感しました。
 この時の「流れ弾」は、全員参加によるお祭りめいた特別さ、楽しさこそあれ、選抜メンバーのみで歌唱したような、MVのような、ライブで見たような迫力、特有の熱や刺々しさがあったかと言えば、そうではなかったのではないかと記憶しています。
 テレビドラマにおいて、画面に不要な人物が映っていると、画面に映る全員が強い主張をすると、肝心な物語が届きません。物語を魅力的に見せるためには必要な人数というものがあり、登場人物たちも、いつでも前に出るわけではなく時には後ろへ下がり、画面の中心人物を際立たせるという仕事をしているものでしょう。
 同じように、楽曲に参加する人数を絞ることでダンスはより纏まり、見る側の視線も集めやすく、グループ全体のカメラの映り方も変わり、またメンバー個々の表情も映しやすく、したがって曲の世界観もより表現しやすい、そんな側面もあるのかもしれないと思っています。
 
 紅白歌合戦のような特別な舞台のみならず、通常の歌番組においても同じようなことが言えそうです。
 そもそも、全員選抜としてメンバー全員で、アウェイの舞台とも言える歌番組にお邪魔するのは案外大変なことなのかもしれません。
 人数が増えるほどにマネジメントは複雑になり、経費はかさむ。番組のトークパートにせよ、歌唱パートにせよ、30名弱のメンバーをスタジオに置いておくには狭い。延いては他の出演者の邪魔になるは言いすぎですが、もう少し少ないほうがありがたい、なんてこともあるのかもしれません。
 メンバー全員いるのだから、皆を等しく映してほしいとファンが思っても、そんなことをしたら、ダンスで作り込んだ世界観への注目が逸れてしまうかもしれません。
 そしてあるメンバーが長く映り、あるメンバーがあまり映らなかったら、そのことに対して運営か、ファンか、メンバー自身か、誰かがその差を意識したら、それはもう小さな選抜制度の始まりではないでしょうか。

 選抜、全員選抜、どちらが良いという話ではありません。それぞれに良さ、特徴やメリットがあり、何を重視し、どちらを採用するかなのだと思います。
 全員選抜を選びながら、メンバーの見せ場を均等にし、世界観をしっかりと表現することは、理論的には可能だと思います。しかしそれを成すためにはきっと、多くの労力と時間、多方面の協力が必要なはずです。
 運営に、そんな労力を割く余裕はないのかもしれません。そしてファンは、そんな時間を待てるような余裕がないのではないかとも思っています。 
 加えて音楽番組側が、楽曲をパーフェクトに表現する時間を用意してほしい、メンバー皆の良さに注目してほしいなんて要求を飲んでくれるとも思えません。
 
 あれこれ語ってきましたが、結局、私はどんな判断のもと櫻坂46に選抜制度が適用されたのかは知る由もありません。
 ただ、現実に櫻坂46においては選抜制度が採用されています。きっと選抜制度から生じるデメリットに目を瞑り、メリットを取ったのでしょう。そのことだけで運営に是非は問えません。
 その上で、ここからやっと本題、選抜基準の適切性について、持論を述べたいと思います。

【なぜミーグリ売上基準が採用されているのか】

 現在、櫻坂46において選抜メンバーを選ぶ基準は、ミーグリ売上基準と言われています。
 改めてこのnote上での定義を再確認いたしますが、この基準は「メンバーを評価するいくつかの項目の中で、特にミーグリ売上に重きを置いて評価し、選抜メンバーを選んでいる基準」です。
 これまた再確認ですが、これはファンが、私自身が、推察しているだけのものです。九分九厘、的を射ていると思いますが、あくまで推察です。そしてミーグリ売上基準は、ミーグリの売上だけを評価項目にはしていないはずだ、というのも私の推測でしかありません。

 そもそもなぜ、櫻坂46の選抜メンバーを選ぶにあたりミーグリ売上基準が採用されているのでしょうか。などと問題提起をしてみましたが、これは考えるまでもないでしょう。
 「その方がCDが売れるから」これはもう取り繕いようの無い真実でしょう。
 先程、選抜制度は必要なのかをファン目線で云々と論じてみましたが、運営目線では、選抜制度か全員選抜かを問わず、メンバーの所属や立ち位置に序列をつけることは必要なのです。
 話の順序としては、「よりCDを売るためにミーグリ売上基準によりメンバーを選抜している」のであり、選抜すること自体のメリットデメリットは、副次的なものなのではないでしょうか。
 ミーグリ売上をもって選抜メンバーが選ばれる。となれば、推しメンの選抜メンバー入りを後押しせんと、推しメンの選抜メンバー入りを維持せんと、バックスメンバーから選抜メンバーへ昇格させようと、ファンも期待を込めて多数CDを買うだろう。
 何とも分かりやすい思惑です。櫻坂46のCDは年におよそ2、3枚。運営はそのタイミングでしか収益を獲得できないのですから、そこでがっぽり儲けようという魂胆なのでしょう。
 勿論実際にはCD売上だけでなく、櫻坂46は数々の方法で儲けを出しているはずなのですが。

 さて、手法はさておき、利益を上げるということは大切です。
 CD売上の収益が、関係各位でどのように分配されているかは分かりませんが、グループのメンバー、それを支える人々の給与の一部となり、ライブやイベントの開催、次のCD、MV製作、それらの販促etc…櫻坂46を世に放ち続けるにあたり先立つものとして、CD売上が重要な位置づけにあるのだろうな、という想像はできるものです。
 一般論ですが、ライブ開催においてチケット収益だけでは収支はせいぜいトントン、グッズ売上などで利益を得る、なんて話を耳にすることもあります。
 大きな会場程借りるのにもお金がかかり、またライブに向けて数か月間、多くの人やモノを準備し続けることにも、あのド派手なライブ演出にも、とにかく金がかかるでしょうから、チケット代だけでは足りないのだ、という主張は説得力を感じます。
 収支トントンではなく、利益を上げるということが大切です。その余ったお金が新しい挑戦の元手になっているはずですから。昨今の櫻坂46の海外進出にも、CD売上は一役買っているのではないでしょうか。

 では改めて、その儲けを得るための方法が、選抜メンバーを決める方法が、ミーグリ売上基準でよいのかという論点に…移る前に、そもそもミーグリ売上とは何を表す指標なのか、について確認します。

【ミーグリ売上の本質】


 「本質」とは大仰ですが、改めて、ミーグリ売上とは何を指し示す指標なのか、ついて考えると…いや、これも考えるまでもないことなのですが、つまりそのアイドルの「人気」に他ありません。
 この「人気」を数値化、あるいは明示化したものが「ミーグリ売上」と言ってもいいでしょう。
 言わずもがな、ミーグリ売上が振るわない子は人気が無いのではありません。「より売れているメンバーと比較して相対的に」人気が低いのです。
 もう少し踏み込んで言い表すと、ミーグリ売上の差とは「お金をかけてCDを買ってでも、その子と話がしたいと思っている(思わせた)ファンの数」、「この子を選抜メンバーに入れたいと思っている(思わせた)ファンの数」の差、ではないでしょうか。

 とはいえ、とあるメンバーのミーグリ売上が、そのメンバーの人気を正確に表しているかと言えば、おおよそ表してはいるが、厳密には違うのではないかと感じます。理由は以下の3点です。

【ミーグリ売上の不備】

①ミーグリ売上(基準)は、ミーグリに参加しないファンを数に入れることができない

 もしミーグリに参加しないタイプのファンの割合が著しく高いメンバーがいるなら、その子は人気の割にはミーグリが売れない、と言う状態になります。
 アイドルのミーグリに行くなんて、そもそもなかなかコアなファンなのです。熱狂的ともいえるファンの中にも、ミーグリに興味はない、興味はあるけどハードルが高い、そんなファンもいるでしょう。
 あの歌手が出るから音楽番組を見よう、でもライブまでは行かない。あの芸人が出るからネタ番組を見よう、でも単独ライブにはいかない。同じように、いつもテレビであの子を見ているけれど、ミーグリの存在自体知らないと言うファンだっているかもしれません。
 
 松田里奈さんは、おそらくBuddies以外の方々に最も顔と名前を知られているメンバーでしょう。朝の情報番組「THE,TIME」のレギュラーなのですから。しかし、彼女のミーグリ売上順位は高くありません。
 「THE,TIME」をきっかけに松田さんのファンになったという方のほとんどは、アイドル松田里奈のファンと言うより、朝の情報番組に出ているあの元気な女の子のファン、なのではないでしょうか。
 彼女が櫻坂46と言うアイドルグループに所属していることは知っているけれど、曲は知らない、ライブには行ったことが無いといった、不正確を承知で使う言葉ですが「ライトなファン」なのではないかと思います。
 即ち、ミーグリに関わらない方々だと思います。実際にミーグリ参加にまで至ったファンはいるようですが、これは少数例でしょう。
 世間からの知名度・人気≠ミーグリに参加するようなコアなファンからの人気、ということなのでしょう。

 そもそも、ミーグリに参加しない人が「ミーグリに参加しないタイプのファン」なのか「そもそも櫻坂46のファンでも何でもない人」なのか、運営目線では区別が付けられないのではないでしょうか。
 「ミーグリに参加しないタイプのファン」の実態は、ミーグリ売上という明確な数字からの類推になります。
 そして、櫻坂46のメンバーのファンだという方全員の実態を調査できるなら、その結果現れる人気順は、ミーグリ売上の順位とそこまで大きくは変わらないと私は推察します。
 日本人全体の傾向を統計的に調べるには、約2千人のサンプルで足りると聞きます。ならば、ファン全体の傾向は、ミーグリを買うコアなファンの傾向に現れると言ってもよさそうです。
 個人的体感としても、ライブ会場でファンが提げる推しメンタオルの名前は、ミーグリ売上の高いメンバー、即ち、ミーグリ売上基準において選ばれた選抜メンバー、特に1列目2列目に抜擢されるメンバーのものが多いと思います。
 ミーグリ売上はメンバーの人気を厳密には表さないが、大まかには表していると言えるのではないかと思います。

②ミーグリは、一人の人間が何度も申し込める

 ミーグリへの申し込みは、一人の人間が数多くのCDを買って数多く申し込むことが可能です。
 これが何を示すかと言うと、あるメンバーのミーグリ売上が高い理由が、多くのファンが申し込んでいる、つまりファンが多いからなのか、数少ないファンが大量に申し込んだからなのか、区別がつかないということです。
 1次完売同士、2次完売同士のメンバーで比べても、両者は同じくらい人気があると思えるものでしょう。

 しかしながら、実際には区別がついているのです。ファン側からは分かりづらくても、少なくともCD販売サイドは誰がミーグリに申し込んだか把握できるはずです。それを分析すれば、申し込んでくれるファンの人数と言うものが明らかになるでしょう。
 「ミーグリ売上基準」という言葉を散々使ってきましたが、正しくは「ミーグリ申込数基準」なのかもしれません。

 ちなみに、このファンの人数差を、ファン自身が目で確かめることができるのが、リアルミーグリの待機列です。
 リアルミーグリの申込枠の上限は皆一緒です。そして、そのリアルミーグリの申込枠は、どのメンバーも上限いっぱいまであっという間に売れてしまいます。すると、売上(申込数)だけ見ると、どのメンバーも同じくらい人気があると錯覚できるでしょう。
 しかし、イベント会場にて、実際にメンバー毎に分かれて待つファンの数を見ると、申し込みの実態が分かります。
 超人気メンバーには申し込みが殺到しているため、一人当たりの当選数が少なく、結果、多くのファンが並んでいます。対して、相対的に人気が低いメンバーは申込数自体が少ないため、一人当たり当選数が多く、結果、並んでいるファンの数は少なくなります。
 目にする実際の景色と、ミーグリ売上にはある程度の相関がある。そう思うと、ミーグリ売上はメンバーの人気を厳密には表さないが、大まかには表していると言えるのではないかと再び思います。

③売り上げが売り上げを呼ぶ構造である

 あるメンバーのミーグリ申込枠には上限があり、それを超える申し込みのあるメンバー、つまり人気のあるメンバーは1次完売、2次完売など、より早い段階で申込枠が埋まってしまう。
 と、言うことは以下のようなことが起こっていることも想像されます。
1推しはA、2推しはBと言うメンバーのファンがいて、その両方とミーグリを行いたいというファンがいたとします。
 そして過去のミーグリ売上の実績を見るに、その人気はA<Bと推察できる、またAは2次完売するが、Bは1次完売してしまうと予想できる場合。
 こんな時このファンは、どんな風にミーグリに申し込むでしょうか。1回目の申込においてはBに申し込み、2回目の申込においてAに申し込む。だと想像されませんか。2推しだからとBへの申し込みを遅らせると、Bに申し込む機会すら失うかもしれないのですから。
 こういった考えを多くのファンが持っていた場合、1次完売したメンバー、1番人気のあるとされるメンバーの人気の実態は、そのメンバーのことを1番に推しているファンだけで構成されているわけではないと言えるかもしれません。
 人気があるという状態が、その子を2推し、3推ししているというファンの票まで引き寄せ、人気のある子に、ミーグリ売上の高い子に、更に申し込みが殺到するという状態を生んでいるのではないかと思います。

 では、そういった子は実は人気が無いのだ、と言えるかと言えば、勿論違うでしょう。
 ミーグリに申し込むにはお金がかかります。だからファンも、会話したい相手を厳選しているはずです。仮に2推し、3推しだったとしても、お金を出してでも会いに行きたいと思わせるくらいの好感度があるということです。人気があると言って差し支えないのではないでしょうか。

 また、実はミーグリ申込時のある制限が、そのメンバーの人気を裏付けします。
 ミーグリ申込は複数回にわたって行われますが、全メンバーの全枠を対象にした1回目の申込においては、申込者があるメンバーのある枠に申し込める回数は1度だけです(1度の申込で申込者が申し込める枠の数は15個、枠の重複は認められません)
 これが2回目の申し込みの機会においては3度まで、3回目以降においては5度までと制限がかかっています。
 具体例に起こすと、メンバーAの、ミーグリ1日目、第1部への申し込みは1回目の申込においては1度しかできません。より長く話したいからと重ねて申し込むことはできません。
(メンバーAの1日目第2部、2日目第1部、メンバーBの1日目第1部、など別の枠への申し込みは15個の上限の中においては可能です。)
 2回目の申し込みの機会においては、メンバーAの、ミーグリ1日目、第1部の枠について、完売していなければ再度申し込むことができます。それも、3回まで申し込むことができます。
 3回目の申込においては5回。この繰り返し申し込めるという状態がつまり、一人の人間が数多くのCDを買って数多く申し込むことが可能、ということです。
 即ち1次完売というのは、少しだけしか申し込めないファンによる申し込みが多数あったということです。
 人気メンバーに会いたいというファンがなるべく多く会えるように、経済力のあるファンが会える機会を独占しないようにという配慮ゆえのシステムなのかもしれません。
 完売速度が速いということは、それだけファンの数が多いということです。特に申し込みの制限が強い1回目、2回目の機会において全完売をつけるメンバーには間違いなく多くのファンがいると言っていいでしょう。

 ミーグリは売り上げが売り上げを呼ぶ構造ではあるものの、それが示す人気は、メンバーの人気を厳密には表さないが、大まかには表していると言えるのではないかとこれまた思います

 
 ミーグリ売上はメンバーの人気を表す指標、ミーグリ売上基準はメンバーの人気に基づいた基準、これを確認したところで、もしくはこの仮定を前提とした上で、次の投稿では、ミーグリ売上基準をもってメンバーを選抜することの是非を考えたいと思います。

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