櫻坂46と選抜制度について、徒然に⑤(終)

 よくぞここまで辿り着いた、勇者よ。あるいは愚者よ。
 そんなこと言ってはいけませんね、ここまで付き合ってくださった優しいあなたに。
 折角ですから、これで終わりにしますから、あとちょっとだけ、お話聞いてください。
 そのちょっとが、長いんですけど。


【ミーグリ売上基準の問題点】

 ここまで、私の推しに着目してミーグリ売上基準が招いている実情と、一人のファンなりの向き合い方について語ってみました。
 続いて、グループ全体、ファン全体のマクロな規模において、ミーグリ売上基準が与える影響を考えてみると、ひとえに、CD売上が上がるという運営サイドのメリットがあるわけです。
 これは櫻坂46に関わる人々の中で、メンバーまで含めた、ファン以外の人全員が享受するメリットかもしれません。
 そしてその代償に、多くの人を疲弊させているのは、動かしがたい事実でしょう。
 ミーグリ売上基準が、推しの選抜入りを期待するファンのCD購買意欲を煽り、ファンを経済的に疲弊させる。またその基準が、結果に結びつかなかったメンバーのファンを精神的に疲弊させる。選抜されているメンバーのファンも、次はどうなるか分からないと、またCD購入に駆り立てられる。
 この精神的疲弊はメンバーにも及んでいるでしょう。最たる例の一つが大沼さんだと思うのです。
 ファン同士が推しの選抜入りのために競い合い、過熱すれば互いを罵りあうことだってするでしょう。ファン同士がいがみ合い分断する、そんなことも起きるでしょう。
 メンバーもファンも走り続けなければいけない、ゴールの無いマラソン。グループの寿命を縮め、ファン離れを引き起こし、いつか破綻・破滅する。
 そんな最悪な想像をするファンは少なくないでしょう。私もある程度同意できます。

 ただ、破綻とは、破滅とはどういう状態を指すのか、とは考えます。グループが解散してしまうということでしょうか。ファンが著しく減るということでしょうか。ファン個人の話でしょうか。
 一時代を席捲したモーニング娘。も、AKB48も、全盛期程の人気は今や失われています。
 坂道グループなどライバルの台頭も理由の一つでしょう。そもそもファンは移ろうものです。アイドルを追わなくなった人もいるでしょう。他のエンタメへと人々の興味が移っているというのもあるでしょう。時代が変わったのです。
 それでもまだ、モーニング娘。も、AKBも存在しています。人気が落ちていても、破滅したは言い過ぎでしょう。
 人気があろうがなかろうが、グループのメンバーは移ろうものです。メンバーが卒業することが破綻でしょうか。
 ミーグリ売上基準が精神的疲弊を招き、卒業が早まったという因果もあり得そうです。あり得そうですが、これまた「たられば」な気がします。

 グループの寿命が縮まるということなら、それはどういうことでしょうか。ミーグリ売上基準を設けなければグループは10年持ったはずなのに、その基準のために8年しか持たずに解散した。ということでしょうか。
 これは見方次第な気もします。まずよりポジティブな見方。
 サブスク全盛のこの時代、CDを売って儲けようということ自体、若干時代遅れなのかもしれません。そんな手法を取りながら、それでもグループが存続できるのは、ファンの購買意欲を煽るミーグリ売上基準があるから、とは考えられないでしょうか。
 それがあるから、本当は5年で解散したはずのグループが8年持った、なんてことになっているのかもしれません。
 そしてよりネガティブな見方。
 運営は最初から、メンバーやファンがついていけないことを想定している、と言う考え方です。
 多くの男の子が仮面ライダーや戦隊ヒーローから卒業するように、アイドルファンは、いずれアイドルから離れていく。成長に伴い、環境が変わって、人生の岐路に立つ度、ミーグリに現を抜かすこともしなくなる。
 ならば常に新しいファンを得続けなければ。
 ついていけずに卒業するメンバー、冷めてしまったファンを切り捨てて、人気メンバーと彼女たちを推してくれるファンを囲いながら、新たなメンバーを加入させ、新たなメンバーが連れてきてくれるファンを相手に商売をする。
 新メンバーのファンも、いずれミーグリ売上基準の歪さに気付く。それで離れてしまう頃には、新しいメンバーと新しいファンを捕まえる。
可能な限り現在の規模を維持し、可能な限りグループの寿命を延ばす。
 そんな残酷なシナリオは、あり得ないでしょうか。
 ゴールを目指して走っているのではなく、どこまで長く走っていられるかの記録を目指しているのかもしれません。
 いい年をしてニチアサのスーパーヒーロータイムに噛り付いているような私は、その持久走に付き合える素養を持っているのかもしれません。
 
 破綻・破滅論、何となくは分かるのですが、具体的に何を指しているのかが私には掴めません。

 破綻・破滅。私があり得そうだと思ったのは、ミーグリ売上基準だから売れなくなる、ではなく、そもそも時代の流れとしてCDが売れなくなり、グループを経済的に維持できなくなる、という未来です。
 サブスク全盛のこの頃、CDの意義は日ごとに薄くなっているのではないでしょうか。先述した通り、CDを売るなんて少々、いやもう時代遅れなのかもしれません。何年後かには化石になっているのかもしれません。
 そんな中、運営はCDを売っています。ファンはCDを買っています。
 いいえ、ミーグリというサービスだけを単独で売るには法律の問題が立ちはだかるから、CDと合わせ売りする、グレーに半歩踏み込んだ苦肉の策で、運営はミーグリを売っています。そしてファンはミーグリを買っています。
 しかし、CDという文化そのものが存在感を無くして、それが当たり前の世代がやって来たら。いつかはCDというものも、カセットテープのように消えていくなら。レコードのような嗜好品になるなら。ミーグリは、ミーグリ売上基準は行き場を失います。
 いや、そんな未来、きっと音楽業界はとうに知っています。ならば、そんな未来が来たときは、それに合わせたミーグリの売り方をして、メンバーを選抜して、しぶとく生き抜くのかもしれません。

 ちなみにファン個人が経済的に、精神的に追い詰められているのだとしたら、それは自分で対処なさい、上手に距離を取りなさい、と言いたいところです。

 ただ、現状を全面肯定できるわけではありません。最初に「ベストでなく、ベター」だと私は申し上げましたが、それはつまりベストを目指す余地がある、よりベターを目指すべきである、とも言い表せます。

【運営の判断】

 ベスト、とは何でしょうか。これはきっと、ファンに限っても意見はそれぞれでしょう。運営、メンバー、立場によって多種多様でしょう。
 櫻坂46に関わる全ての人、会社、従業員、顧客(ファン)が満足して、グループ存続のための利益も十分に上げる。具体的ではないですが、ベストっぽい感じがします。そして現実的ではないとも思います。
 現実的なベスト、とは何でしょうか。例えば、なるべく多くの顧客(ファン)に喜ばれて、従業員等が可能な限り満足できるだけの利益と、グループ存続のための利益を少しでも多く上げる。
 少しは現実的なりましたが、まだまだ抽象的です。そもそもこの時点で、少数のファンが若干無視されました。
 こういう風に現実的に具体的にと、ハードルを下げて、だいぶ妥協して生まれた産物がミーグリ売上基準なのではないかと思うのです。

 序盤で書いたように、理論的には、時間と労力を掛ければメンバー全員に花を持たせた全員選抜を実施しつつ、パフォーマンスクオリティを損なわない、ファンが皆満足する作品を作り、売り出すことができるでしょう。
 しかし、それでは運営、会社は持たないのではないでしょうか。これでは年3枚も作れないでしょう。この方法で作れるのが年に1枚だとしたら、収益はがた落ちです。
 その1枚が3枚分の利益を生み出すくらい売れるならよいのですが、いいモノを作れば確実に売れるという世の中でもありません。ミーグリ売上基準を取っ払ったとして、基準がある時よりも売れてくれるでしょうか。
 年3枚、それくらいの作品を作り続けるのも無理がありそうです。それは過重労働であり、これまた、それに見合うだけの収益に繋がるわけでもなさそうだからです。
 収益減により、ライブ等の回数や規模が減るかもしれません。ライブばかりでメンバーに負担を掛けたくはないけれど、ライブが無いのも私は嫌です。メンバーだって、晴れ舞台にはなるべく多く立ちたいのではないかと思うのです。
 そう、晴れ舞台です。選抜制にせよ、わずかながらでも序列のついた全員選抜でも、そのフォーメーションはきっと、メンバーにとっての晴れ舞台です。
 アイドルという生き方ができる時間は限られています。ならば、晴れ舞台に立てるチャンスは多い方がいいと思います。年3枚の発売、年3回の選抜には、そんな副産物もあるような気がしています。

 会社の利益のため、グループの発展のため、少しでも多くのファンに少しでも多く喜ばれるために、CD販売の機会を維持し、かつなるべく売る。
 櫻坂46を、運営にとっての従業員と捉えるなら、ミーグリ売上基準とは人事評価制度と言えるでしょう。選抜入りは褒賞と見做せるでしょう。
 櫻坂46を、運営にとっての商品と捉えるなら、メンバー一人一人を商品と見るか、グループと言う商品の一つの構成要素と見るかで少々変わってきますが、ミーグリ売上基準とは経営判断の指標でしょう。
 限られたリソースをどの商品に、即ち誰に注ぐか。より将来の利益につながる可能性のあるメンバーをより前に配置する。そんな判断の指標です。
 なんてひどい話でしょう。しかし、これがある程度の顧客満足に繋がっているのだと思うのです。
 ミーグリを餌にしたCD売上にどんな意味があるのかとも思いますが、売らなきゃしょうがないのでしょう。
 運営と呼ばれるものに所属する方皆が皆、冷酷な方ではないと想像します。メンバーの努力を間近で見て、支えている方が多いと思います。メンバー皆に少しでも活躍を、そう思ってくれている方は少なくないだろうと。
 信頼と言うより、人と関わる仕事をしている人が、そこまで残忍かと言えば違うのではないかという、経験則と肌感覚です。
 ただ組織を維持し、回していくためにはドライな判断をせざるを得ないのではないか。運営はずっと苦渋の判断をしてきたのではないか。

 運営を擁護する、というつもりはないのですが、これまでの経営判断に対して、まるで理解ができないとは言いませんし、ある程度の結果は出しているという点で、私はある程度評価もしています。
 グループ改名のタイミングでは、一世を風靡した人気も凋落したと聞きます。そこからわずか3年で、ここまでの盛り上がりを見せているのです。ミーグリ売上基準じゃなかったらもっとすごかった、は架空の話。ここまでに至った現実に、その基準が多少は寄与してきただろうことを、私は否定できません。

【ファンができること】

 それでも運営にはベストを、よりベターを目指してほしい。推しが苦しむようなことは、少数派に属してしまうファンが悲しむようなことは少しでも減ってほしいと思います。
 思いますが、運営が今の姿勢を変える理由がありません。売れているからです。他の方法を採ったらより売れるという確証がないからです。
 これを改めさせる方法は、外圧しかありません。

①人道的側面からの批判

 一つは、運営のやり方は人道から外れているのではないかと指摘し、その気運が世間的に高まることです。
 メンバーに対してあまりに酷な運営の商売方法は、社会のルールからは外れていなくても、道理に沿わないのではないか。
 その意見に正当性があろうがなかろうが、論理的であろうがなかろうが関係ありません。SNS上で一度火がつき燃え上がれば、運営が炎上すれば、もうミーグリ売上基準なんて取れないでしょう。もっとメンバーに、ファンに優しい方法を取らざるを得ないでしょう。
 ファンの不満が、コップの中の嵐にもなっていないそよ風なら、コップの外から暴風が吹いてくれればいいのです。
 炎上の結果、グループ規模はぐっと小さくなって、そのまま消滅してしまうかもしれませんが。 

②全員即時全完売

 もし、メンバー全員のミーグリ枠が、1次、2次と言った早い段階で全て完売してしまったら、選抜を選ぶにあたりミーグリ売上基準は、差を判断できずに機能しません。
 ファンが結託して、ミーグリ売上が振るわないメンバーのミーグリにも積極的に申し込み、「申込基準」で見ても差が分からないくらいに完売させてしまう。
 運営はミーグリ未完売だった分の売上を確保でき、ミーグリ順位の低かったメンバーは、ミーグリを通じてファンを増やす機会を得る。
 悪くない・・・・わけないですね。営業努力は売り手側がするものです。ミーグリの売上は、アイドル自身が掴み取るものです。
 ファンからしても、どうして身銭を切って、興味のない女性と会話しなければならないのでしょうか。
 ミーグリ売上に差がついているからこそ、推しが選抜に入れているというファンにとっては敵に塩を送る様なものですし、多くのファンにとって、こんな行動をする理由が無いです。

③不買運動と適切な購買行動

 もう少しまっとうな方法は、ファンの意思をしかと示すということです。
 アイドルビジネスとは、一般的な小売業、サービス業とは異なる点があります。それは、「顧客が、不満があっても商品を買う」と言う点です。
 買ってしまうものだから、売っている側からすれば、これでいいんだと思ってしまう。その商品・サービスを買っている人が、積極的に支持しているのか、消極的に仕方なく支持しているのか分からない。不満を持っていることに気付いても見ないふりをする。アイドルビジネスとは、殿様商売めいています。
 絶対に代わりの利かないタイプの商品、というものがあります。アイドルとの交流を売りにする櫻坂46はそれに近いです。ただそんな商品を売る会社も、ライバルに取って代わられないようにと商品をブラッシュアップし続け、何とか顧客が離れないようにと苦心するものなのです。
 しかし、運営はある意味ファンを信用しています。どうせCDを買ってくれるのですよね、と。そしてある意味信用していません。ミーグリ売上基準で選抜を選ばなくなったらCDを買ってくれませんよね、と。
 だから突きつけなければいけません。ミーグリ売上基準ではCDは売れないのだと。
 SDG‘sが重要視されて、環境問題への取り組みが重要視され始めたことで、そういった配慮ができる企業に注目が集まったように、私たちはアイドルに、ファンに配慮できている商品こそ買うのですよと示すのです。
 即ち、不満があるなら買わないことです。推しに会うのを我慢して。
 一人二人がやったところで意味はありません。ファンが力を結集させて、それなりの大きさの売り上げ減に繋げなければなりません。1発で決めなくてもよいのです。ミーグリ売上基準が採用されている感に徐々に徐々に落ちていけば、運営も気づくでしょう。何かを変えなければいけないと。
 そしてファンは、運営の変化を見逃さないことです。メンバーが選抜されたとき、その顔触れがミーグリ売上とは違う何かが評価されていると気付いたら、それに気付いて売り上げに貢献してあげることです。
 基準を変えて売り上げが上がれば、運営はいよいよ心を改めるでしょう。

 色々考えてみましたが・・・・正直、できる気がしません。
 ミーグリ売上基準による選抜争い、それに乗っかって推しを応援するのは、スポーツチームの応援に似ています。一つのアイドルグループは一つのリーグ。選抜はJ1、バックスがJ2。メンバー一人一人が一つのチームで、推しているファンはサポーター。
 一生懸命応援して、勝った負けたに一喜一憂。サポーター同士のいがみ合いが起こるところもよく似ています。リーグ運営に文句を言いたいこともある。不満があるならそっぽを向けばいいのに、自チームの応援はしたい。
 結局ファンは、ある程度今の状態に満足しているのだろうな、と少し空しくなります。

 何だか日本の政治と国民のようです。不満はあるが、口にもするが、決起するほどではない。それ位には満足してる、あるいはさせられてる。
 政治ならわが身にまつわることだからと躍起になる人もいるでしょうが、アイドルの行く末なんて、やはり自分の人生には関係ないでしょうか。
 仕方が無い。そんな諦観と同時に、ある程度満足しているから、櫻坂46というグループはこれからも応援され、今しばらくは存続し続けるのだろうな、という安心感もあります。
 
 いや、むしろ皆、アイドルに一生懸命なのかもしれません。
 アイドル人生は短いのだ。応援できる時間は短いのだ。推しがいつ卒業するかも分からないのだ、と。
 新メンバーが入る度、選抜の壁は高くなるのだ。次、選抜にいられるか分からないのだ。チャンスがある今のうちに掴むのだ。だから全力で推すのだ、と。
 だからこんな状態になっているなら、これもやっぱり仕方が無いです。

【総括】

 総括…何もありませんね。何もありませんでしたね。ただ思いの丈を、なるべく整理して吐き出したかっただけ、そのために根拠のない色んな考察をこねくり回しただけです。
 こんなに長い文章を書いてしまうくらい櫻坂46のことを考え、憂慮しているようで、私は実のところ、あまり悲観していません。
 推しの選抜漏れを悔しみ、推しの悲嘆に胸を痛め、どんな理由でもいいから選抜に入ってほしい、それをさせない運営はなんて非情なんだ。と、想いながらそれはそれとして、2次完売メンバーがこんなに増えるなんて、櫻坂46のファンはこんなに増えたんだな、と感慨も覚えます。
 推しが参加していようがいまいが、いい楽曲だな、ライブ楽しいなといつも思っています。
 選抜制度について納得はしていて、しかし思うこともあって、でもとにかく、櫻坂46を追っているのは楽しいのです。
 ミーグリもめっちゃ参加します。推しに申し込むのは勿論、ちょっと気になるメンバー、会話したら面白そうだなと思うメンバー、この人を間近で見てみたいと思ったメンバーのリアルミーグリに、大いに申し込みます。
 この子を応援するんだ、という気持ちで申し込んでいるのではありません。結果としては応援していることになっているのでしょうが、私はただ、その子とお話ししたいだけなのです。
 それが推しの選抜入りを遠ざけると知っていても。それは私の責任の範疇ではないと思っているからです。
 もしかしたら、そんなファンも多い、そんなファンこそ多いのかもしれませんね。選抜入りさせたいとか、そんなことではなくて、私はあの子と話したいんだという、より純粋なファン心理を持ったファンが。
 そして櫻坂46を取り巻く環境をとても引いた目線で見て、運営の行動に経営戦略論的な、ファンの行動に心理学、行動経済学的な面白さを感じています。
 まもなく4期生がやってきます。すると、現在人気のメンバーのミーグリの売れ方も変わるでしょう。4期生がファン人気の勢力図をどう変えるか、少しワクワクしています。
 大沼さんが向き合う壁が、更に高くなると分かっていても。
 推しに寄り添う親心も、グループを応援する情もありますが、全ては他人事、他人の人生だと割り切っています。私が自分自身の人生を彩るために、今一番楽しいと思うエンタメを覗き見ているだけなのです。

 私が提示したのは、正解でも真実でもありません。書き連ねて自己満足に浸るための、取るに足らない一意見です。数日後には考え方が変わっているかもしれない位、薄くて軽い意見です。
 ただの自己満足ですので、だからこそ、この駄文をここまで読んでくれた人がいたなら尚嬉しいです。あの意見には共感した、この意見には納得できない、という反応があったなら、それもまた嬉しいです。
 同じ意見の人と、異なる意見の人と議論を深めることができたら、それには何の生産性もないのですが、満足感は一層高まるだろうと思っています。
 一見何の反響もなくても、いつかどこかで誰かに届いていたら、そう考えるだけも少しだけ楽しいです。

 これを読んでくださった優しいあなたへ。お時間を取らせて申し訳ありませんでした。お付き合い頂いてありがとうございました。もしよろしければ、引き続きご愛顧のほどを。


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