p活女子で貧乏コンプレックスに気がついた
「コーチやマイケルコースのアイテム持ってる人ってハイブランド持ってます感出したいだけの貧乏人だよね」
と言ったニュアンスのツイートを偶然Twitterのおすすめで見かけた。
どちらももちろんいいブランドだと思うし、決して安いものではないが、図星だった人も多かったのか、賛成意見より否定的な意見が多く見られた。
自分はというと、「賛成」だった。
小学生の頃、山の麓のボロボロのアパートの1階に住んでいた。妹が2人居たが、3人仲良く同じ部屋だった。確かに仲は良かったかもしれないが、自分の部屋はなかった。居心地は悪かった。
そのせいか、毎日のように友達の家に遊びにいっていた。
広い家、広いリビング、友達の専用部屋、充実した家具家電、自宅なら年に一度しか出てこないような量のおかしとジュースが毎日のようにもてなされる。
そこで少年ながらに強く思っただろう「うちはなんでこんな生活できないんだろう」と。
きっとその時から貧乏に対してコンプレックスを抱いたんだと思う。
それからお金に対して苦労したくないという思いが強くなり、小学生から家計簿を付け、貯金を始め、中学生になってからは中古のゲームを売ったり、親の手伝いでお小遣いをもらったりして手元にお金がない状態にならないように意識し続けた。
そして月日が経ち、数年前、コーチのリュックをアウトレットで買っていた。
学生の頃から貯めた貯金をはたいて買ったというわけではない、すでに社会人となり、ヴィトンでもグッチでも買えたが、あまりにも桁が違うので怖くなり、妥協してコーチで買った。
とても気に入っていた、なぜか優越感があった。
「お前ら貧乏人はこんなリュック買えないだろ」と言わんばかりの表情をしていたと思う。
しかし、高いとはいえせいぜい4万程度だ。買おうと思えば高校生でも買える。街を見渡せばもっと高いものを身につけている人なんていくらでもいる。
もちろんもっと安いものを身につけている人も沢山居たが、中途半端なマウントを取りたいが為に中途半端な値段のものを買ったんだなと気がついた。しかし、それでもまあ見た目も気に入っていたし、そこそこ高いし十分マウント取れるだろうなんて思いで使って数年、例のツイートを見かけたのだ。
今ではコーチのリュックより高いアイテムも何点か所持しているが、それらは見せつけたくて買ったわけではない。自分へのご褒美、満足感、モチベーションと言った意味合いが強いものだ。
しかしコーチのリュックは見せつけたくて買った。サイズが使いづらさを感じ、重さも気になっていたが、マウントをとりたかったので使い続けていた。しかし見ず知らずのp活女子にバカにされた。
そこで気がついた。彼女らもまた貧乏コンプレックスなんだろうなと。安物しか買えないあなた達とはい違いますよという事をTwitterを通して示している。見せつけているのだ。そして、それを見て悟った。
彼女らの行為に対してバカにする気持ちはないが、同じ土俵には上がれないという事はわかっているので、くだらないマウント合戦からはすぐにでも降りるべきだと教えてくれた気がする。上には上がいる。どんなに頑張ってもそれは変わらない。
下には下がいる。それも変わらない。
しかし、下にマウントを取るか取らないかは変えることが出来る。
いつまでもマウントをとり続けるか?
そして今、リュックを売りに出した。