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鈴木大拙の不生思想 「ただ不生のまま」

更新 2024年11月4日

 盤珪禅師ばんけいぜんじは江戸時代前期に活躍された無師独悟の僧で、いわゆる不生禅ふしょうぜんの生みの親である。禅師は「不生を念に変えるな」、「30日間だけ念を消す努力をしてごらん」と言う。

 (不生禅の要旨は ↓ 参照)

 この不生禅だが、後世に残された盤珪ばんけい禅の聞き書きを読むと、「仏心ぶっしん」の文字が目立っている。また、現在世に出ている解説書を見ても、盤珪ばんけいが「不生ふしょう」とのみ言っているところを「不生ふしょう仏心ぶっしん」と修正していることが多いようだ。なぜかというと、現代の仏教者がこの「不生」という得体えたいのしれない難解な文字を見ると、ついつい「仏心」という文字を補いたくなってしまうからだ。これに対して、盤珪禅再発見の立役者で、世界にローマ字表記のZENを広めたことでも有名な、昭和の仏教学者の鈴木大拙だいせつは、盤珪禅の真価を仏心の宣揚せんように置かず、「不生の思想」に見ている。

 坐禅で心を静めたり、念仏や題目を唱えたりする必要はない。ただ、余念を捨て、知情意に振り回されずに、本来の「不生のまま」でいればよい。これが、盤珪の不生禅の基本思想である。

1. 盤珪禅の独自性

 大拙だいせつは、盤珪ばんけいには思想があるという。盤珪の思想とは、禅経験の端的を人々に分かりやすく伝えるための、説明方法の工夫のことだ。大拙は、以下のように言う。

 盤珪の不生禅は彼の体験の深さに、思想的直接性と明瞭性を兼備している。

【禅思想史研究 第一 -盤珪禅-】 、[第一 不生禅概観] (全集第1巻 P14)

 盤珪の不生禅の経験的端的はインド伝来底で盤珪独自のものではないが、彼は不生を単なる体験の域に止めないで、これを思想とした。言葉は違っても、古来の禅者は皆同じところを見ている。ただ、彼らは思想的に事の外に出ていない。盤珪は不生観とでもいうべきものを意識して、これで彼の禅経験に統一的表現を与えた。

【禅思想史研究 第一 -盤珪禅-】、[第一 不生禅概観] (全集第1巻 P55)

 盤珪以前では、中国唐代の偉大な禅匠の、馬祖道一ばそどういつ趙州従諗じょうしゅうじゅうしんも不生の文字を使った。馬祖の「生即ち不生」、趙州の「法本不生」などだ。しかし、盤珪の場合は、彼らとは不生の扱い方が違うと、大拙は指摘する。

 馬祖道一の不生論はインド思想の伝統に過ぎない。また、別に新たな禅思想を発展させていない。
 趙州の不生は彼の思想体系ではない、生と滅とを対比し、その中から両端にかかわらざるものを引き出そうとする、禅者得意の誘導手段である。

【禅思想史研究 第一 -盤珪禅-】、[第一 不生禅概観] (全集第1巻 P56)

 馬祖や趙州と違って、盤珪のは、腹から不生を鷲づかみに取り出して、我らの面前に直に突きつける感がある。大拙は、また、盤珪の指導法を唐代の禅匠たちと比較して、以下のように言う。

 今までの禅者には思想としての標目となるべきものは何もなかった。臨済りんざいカツでも、徳山とくさんの棒でも、倶胝ぐてい一指頭でも、禾山かざん解打鼓かいたくでも、思想として現れてはいない。棒喝を不生の二字にしてこれを禅旨宣揚の大旆たいはい( 旗印) としたものは、盤珪より外にないのである。彼は悟りを不生という思想で表現した。しかし盤珪は哲学者ではないので、不生の哲学体系は作らなかった。彼のは不生禅であった。

【盤珪の不生禅】 、付録[不生禅の特徴につきて] (全集第1巻 P480)

 大拙は思想と言うが、これは緻密に構築された哲学体系ではない。ただ、「不生」の文字を中心に整理された、広く深い思索があるのである。又、大拙は、盤珪を道元どうげんと比較する。

 道元の只管打坐しかんたざは、大いに盤珪禅師の不生禅に似通うものがある。ただ、打坐に付随する黙照もくしょうの臭みは取り去りにくい。これに反して盤珪の不生禅は動いている。これで一切の事がととのうと言う。不生は兀兀地ごつごつちの不思量のところになくて、却って行住坐臥の日常生活の上に露堂々である。「今日の身の上」ですむことなのである。

【禅思想史研究 第一 -盤珪禅-】、[第二 日本禅における三つの思想類型] (全集第1巻 P67)

 道元の只管打坐しかんたざは、ただの黙照禅と見なされて、ともすれば、ただ雑念を押し殺して心を押さえつけておく手法のように誤解される憂いがある。これに対して、盤珪の不生禅は動いている。つまり、禅師は坐禅を排斥はしないが、坐禅などしなくても自分の心の動きをよく見れば不生は分かると説くのである。また、他の禅者が臨機応変に教えるのに対し、盤珪は不生の二字で押し通す。

 盤珪は不生の二字で直ちに仏心をつかんだ。そうしてこれを我らの面前に放り出して見せた。彼はどこへ行ってもこの旗印を変えなかった。倶胝ぐてい和尚が「天龍一指頭禅てんりゅういっしとうのぜん一生受用不尽いっしょうじゅゆうふじん」と言って一指を立て通したごとく。ただ、不生には一指頭よりも思想的に深いものがある。話頭の提撕ていぜいよりも、哲学的に指導的なものがある。

【禅思想史研究 第一 -盤珪禅-】、[第一 不生禅概観] (全集第1巻 P12)

2. 不生の二字

 大拙は、「不生の仏心ぶっしん」の五字ではなく、「不生」の二字に着目する。この不生の二字が不生思想の要である。

 (不生は)、「不生であるところの仏心」ということになるのが適当な読み方とも考えられる。しかし、「不生」を仏心の関係から離して、「不生の心」または「不生の気」などというときは「不生」それ自身を意味するものである。心を指すわけでも、仏心でもなく、「不生」という特異性をもった超意識性の意識を見ている。

【禅思想史研究 第一 -盤珪禅-】、[第一 不生禅概観] (全集第1巻 P21)

 大拙は、不生を超意識性の意識とし、また、その不生の二字の上に、盤珪の思想の集約を見ている。ただ、大拙自身、最初は、不生を単に仏心の修飾語と見ていたようだ。

 拙著「盤珪の不生禅」に「不生」を抽象的なものとし、「仏心」に置いて考えたが、今はその考えを取り消し、ここに述べたのを穏当な解説としておく。

【禅思想史研究 第一 -盤珪禅-】、[第一 不生禅概観] (全集第1巻 P22)

 「ここに述べたの」とは、「仏心」よりも「不生」の二文字が盤珪禅の要だという理解のことだ。自身の理解の深化を開示して、大拙は不生の二字の重要性を丁寧に説明していく。

 彼は「我らにそなわりたる仏心」と言ってはいるが、彼の主張の中心は「不生」にある。「仏心不生」と続けても、重点は不生の方にあって仏心の方にはない。「この不生の理を見出しまして」と言っている。

【禅思想史研究 第一 -盤珪禅-】、[第一 不生禅概観] (全集第1巻 P21)

 もし、仏心が盤珪禅の中心テーマであるならば、この難解な不生の文字をわざわざ持ち出す必要はない。盤珪があれほど「不生」を強調したのは、一句で民衆を大悲だいひ大智だいちへと導くためだ。ある意味では、不生は仏心の修飾語ではなく、仏心の同義語である。大拙は、盤珪の狙いを以下のように説明する。

 仏心とか仏性など、その頃普通に理解されていた最高理体を出さず、今までの慣用文字を避けたのは、人の注意を集めたいと考えたものと見なくてはならない。

【禅思想史研究 第一 -盤珪禅-】、[第一 不生禅概観] (全集第1巻 P21)

 彼の思想の重点は不生にある。不生をわかりやすくするために、普通の人の思索水準まで下がって「不生と申すが仏心でござる」と、彼は言っているようである。

【禅思想史研究 第一 -盤珪禅-】、[第一 不生禅概観] (全集第1巻 P28)

 不生の思想などといって「不生」の文字ばかりを理詰めで説明していくとクールになり過ぎて、暖かみに欠けることになりやすい。「仏心」といえばホトケ様の御心の慈悲の面が感じられて、ただ不生思想とのみ言うときの幾分冷徹な感じを補うことはできるだろう。ただし、後で述べるが、「不生」の文字にはかえって生きたものを感じさせるレトリックが組み込まれていると思う。次に、大拙はまた、不生を無我と比べて、以下のように言う。

 「我」の根本を突けば生死しょうじはなくなる。また生死の方から言って、生死が不生となれば、分別識面に跳躍している「我」もまたおのずからその帰るべきところへ帰るわけである。不生は無我であるが、無我というよりも広いところがある。

【禅思想史研究 第一 -盤珪禅-】、[第一 不生禅概観] (全集第1巻 P28)

 仏教や禅の伝統を離れても何か言い得るような今日では、「絶体無」とか、「矛盾の自己同一」とか説きだし得るかもしれないが、盤珪の頃には不生である。

【禅思想史研究 第一 -盤珪禅-】、[第一 不生禅概観] (全集第1巻 P13)

 不生は、「霊明れいめいなる仏心」、「カラスの声を聞く」、「怒りや念に変えない」など、盤珪がさまざまに語ったその重なり合いに現れる禅意識の端的で、そうして、盤珪の思想である。不生では、主客未分しゅきゃくみぶん現前げんぜんの「不生」と、顕在意識上の分後ぶんごの『不生』が、串刺しにされている。

3. 不生の思想

 教外別伝きょうげべつでん不立文字ふりゅうもんじと言われるように、禅は思想ではない。そうすると、盤珪の不生禅に思想があるという大拙の主張は少し的はずれに感じられるかもしれない。しかし、禅が思想を嫌うというのは、型にはまり固定化された思想を嫌うということで、自由な思想を嫌うものではない。盤珪は、「不生」の一句を核として自由闊達に思想した。師が弟子たちに、自身の説法を書き物にすることを禁じたのは、不生の定式化を嫌ったからだろう。だが、盤珪は、いかなる質問に対しても「不生」の二字を駆使して、問者に解説することができた。

 不生は等閑とうかん(なおざり)に思いついたものではなく、大いに思考を経た結果だと、(盤珪)みずからも言っている。

【禅思想史研究 第一 -盤珪禅-】、「第七 盤珪禅の再叙」 (全集第1巻 P344)

 盤珪は大疑たいぎの解決がついてから、何とかしてこれを他にも伝えたいとの心持で一杯であった。その所見を伝えて、衆人に納得のいくようにするには並々ならぬ思量が必要である。体験は思想によってはじめて一般的なものになり、社会性をもってくる。

【禅思想史研究 第一 -盤珪禅-】、[第二 日本禅における三つの思想類型] (全集第1巻 P75)

 盤珪には、無秩序でなく、しかも型にはまらない、一連のよく整理された思想のまとまりがあった。それが、大拙の強調する、盤珪の思想なのである。この不生の思想について、大拙は以下のように分析を進める。

 不生はどんな意味になるのか。「不生なるもの」との義か。または生を否定したというだけの動詞か。その場を不生というのか。不生は名詞であるが、それは具体名詞でも抽象名詞でもない、一種の状態または場所名詞と言ったらよいか、、、

【禅思想史研究 第一 -盤珪禅-】、[第一 不生禅概観] (全集第1巻 P20)

 不生をある種の心理的な場として捉える見方は、現代人には親しみやすいだろう。だが、大拙が「不生に思想あり」というその「思想」は実に掴みにくいと思う。もう少し解説してもらおう。

 盤珪は生だの死だのを見て不生と言うのではない。生も死もまだ考えられ、分別ふんべつされていないときの不生を見ているのである。

【禅思想史研究 第一 -盤珪禅-】、[第一 不生禅概観] (全集第1巻 P26)

 迷いに対して悟りといっても、どうも取りつく島がない。凡夫ぼんぶに対して仏と言うと、どうも及びもつかぬということになる。分別に対して無分別むふんべつというと馬鹿になった気がする。それで盤珪は、不生の二字を点出し、生死を一棒に打殺しようとする。

【盤珪の不生禅】、付録[不生禅の特徴につきて] (全集第1巻 P483)

 私達は普段、知性を通して世界を見ている。知性は、あらゆるものごとを分析的に、二元的に見ようとする。上記引用で「生死を一棒に打殺する」というのは、知性による二元的な見方から自由になることを意味する。つづけて、大拙の解説をもう少し見てみよう。

 涅槃ねはんにも無にも否定的意味が効きすぎて見える。しかし不生というときは、生死の転変的なのに対して、表面は否定的形態をとるように見えるが、生死の方がかえって否定的に響いて、不生が大いに肯定性を帯びてくる。不生というと生が死に転ずる機会を失って、生そのものの永遠性が浮かび出る。

【盤珪の不生禅】、付録[不生禅の特徴につきて] (全集第1巻 P483)

 不生ふしょうというとき、始めて、死との対比でない、生の本来の面目が現れる。すなわち、「不生」は生きている。「無我」のように、ただ我なし、無、何も無し、というアイデアに引きずられることはない。一見、否定的に見える不生は、不思議な思想的転化力で絶対的な肯定の一句に転じていく。

 不生は、突如として湧き上がる絶対そのものの如く、相互否定の「生死」を両断し、天にる一剣の凄まじさで自己肯定をやるのである。

【禅思想史研究 第一 -盤珪禅-】、[第一 不生禅概観] (全集第1巻 P22)

 不生思想といっても、盤珪の手にかかれば、これは紙に書いた思想の枠に留まりはしない。型にハマった定型の思想ではなくて、この思想は「不生」という活句を支点とし、人心に直接的に働き掛けていく。

 不生は思想で兼ねて「直指じきし」であるところに、創造的新鮮性をもっている。これが単に思想的なものと見られるとき、言い古したものとの批判を受けるのだ。

【禅思想史研究 第一 -盤珪禅-】、[第一 不生禅概観] (全集第1巻 P26)

 そして、盤珪の思想を貫く基本構造について、大拙は、以下のように解説する。

 不生を姿とすれば霊明はそのハタラキである。不生を存在論的に解すれば、霊明は高度の意味での知性である。仏心、不生、霊明と、この三語が盤珪の思想を貫通している。霊明は般若はんにゃ無分別智むふんべつちで、仏心は真如しんにょそのものである。これだけなら、盤珪の禅には何らの新味がない。が、不生の二字が点綴てんていされて、その特異性が目につく。

【禅思想史研究 第一 -盤珪禅-】、[第一 不生禅概観] (全集第1巻 P29)

 知性の立場で、言葉の上で考えると、不生は思想を超えているか、思想以前のものという考えに至るだろう。だが、自分が不生になって考えてみれば、ある意味、知性も思想もすべては不生の産物なのである。そして「思想」という言葉は、単に【知性の範囲内に留まる思想】と、【知性を超えた、霊性を解説するための思想】との二つに分けられる。ただ、この二種類の「思想」は結局のところ、「主客未分の霊性の働き」という同じ果汁で満たされている。そして、大拙が「不生に思想あり」というときの「思想」は、【霊性解説のための思想】の方で、つまり知性の限界内に納まらない思想を言うのである。

4. 不生と霊明

 結局、不生とは何か。大拙は、不生の当体について、以下のように解説する。

 (生死を)出たい出たいというか、あるいは出ていけ出ていけというか、あるいは出てくれ出てくれというか、何かはっきり意識面には表れないが、この不断の要請が目に見えないところから生死の分別面をつつく。これが不生の当体である。

【禅思想史研究 第一 -盤珪禅-】、[第一 不生禅概観] (全集第1巻 P24)

 ここでは、「生死しょうじ」というのは、ほぼ「知性」の同義語になっている。一方、不生は無意識か、あるいは自己の本源なのか。とにかく、不生は知性に働きかけ、生死の連続を破るものらしい。

 真実は大悲である、無縁の慈悲である、無功徳むくどく性のものである。力ではない。それゆえに、真実は各自の中から開けてくる。これを他力というのである。弥陀みだ大悲だいひは力ではない、外から加わるものでない。(盤珪は)、その真実性を不生の二字に凝結させて、我らの心をその中から揺るぎ立たせるのである。彼は不生の禅を外から植え付けようとせず、各自の心のうちにその自覚を呼び起こそうとする。盤珪自身の存在の奥の奥に動いている大悲が、これを聞くものの心の底に徹するとき、そこにまた、それに応ずるものが動きだす。禅の活句は大悲のなかからの表詮でなくてはならない。

【禅思想史研究 第一 -盤珪禅-】、[第四 慧能以降における悟るの道] (全集第1巻 P190)

 大悲の光は、無明むみょうの闇を切り開く。阿弥陀の力は絶大で、無量光は時空を超えて、知性の隙間に入り込んでくる。念仏を称えずとも、自力で信じようとしなくても、他力は、知性の鎖を解き放つ。大悲は不請ふしょうで、私たちを不生へと救いとるのである。

 大拙は、「霊明れいめいの内容がわかると不生も仏心もわかりやすくなる」といい、霊明についてさらに深く説明する。

 不生のところには二がない、生死の相殺がない、対抗がない、矛盾がない。矛盾・対抗・相殺などというのは分別によってあるので、不生の一のところでは霊明のみがある。盤珪はこの場所をみて不生といい、霊明というのである。

【禅思想史研究 第一 -盤珪禅-】、[第一 不生禅概観] (全集第1巻 P34)

 霊明は「うっかりしている」ところ、すなわちぼんやりしているところにあるのでなくて、響きの声に応ずるが如く、月影の水に宿る如く、即応の端的、これが霊明性だということでなくてはならない。ぼんやりと意識が休止または静止している状態、または一つの状態から他へ移ろうとする転向の刹那に霊明性があるのでなくて、その動くはずみそのものが不生の霊明性なのである。霊明は直観の閃きで、動くものが見るもの、見るものが動くものということでなくてはならない。

【禅思想史研究 第一 -盤珪禅-】、[第一 不生禅概観] (全集第1巻 P33)

5. 不生の証拠

 大拙は、禅経験と禅意識に言及する。そして、盤珪が頻繁に口にした「不生ふしょうの証拠」について、以下のように言う。

 「不生の証拠」とは、禅意識の確立するとき、無分別の分別が成立するときである。ゴンと鳴ればそれが鐘であることを知るとき、「無意識」の本覚ほんがくが、忽然として無明むみょうの一念すなわち分別ふんべつを起こすとき、そのときがやがて禅意識なるものを話し得るときなのである。不生の証拠をここで捉えるのである。

【盤珪の不生禅】、[第二 盤珪の不生禅 其二]  (全集第1巻 P393)

 盤珪は不生の証拠を示したといい、大拙も上記の説明をするが、禅経験のない者には鐘のゴンがどのように不生を証拠しているのかは分かりにくい。不生は一体どこにあるのだろうか。不生の仏心ぶっしんの在り処について、大拙は、盤珪の言葉を引用する。

 盤珪の法語に曰く、「仏を外に見つけ出そうとする仏心と、見つけ出される仏心と二つになって、見つけようとすれば、見つけ手になるので、千年万年かかっても見つけ出すことができない。見つけ手が仏心であることを知らないのだ。」

【盤珪の不生禅】、[第五 分別意識面 其二]  (全集第1巻 P440)

 不生を無我に相応するものと見れば、盤珪の言う不生の証拠も、いくらか分かりやすくなる。だが、盤珪が、「わざわざ聞こうとしなくても、カラスの声を聞き、カラスの声と知る、それが霊明なる不生の証拠なのだ」と言うとき、不生は単なる五感の受け手のように聞こえて、不生は受動的で、不生の側には能動的なものは何もない、という誤解にも繋がってくる。
 しかし、盤珪は、「不生なが一切のもと、不生なが一切のはじめ」という。不生が先なのだ。先に鳥が鳴いて意識がそれを聞くという、対象性、二分性の五感の機構の話ではない。五感は、不生が意識に通じた後の話なのだ。

 また、盤珪が「親の生みつけたのは不生の仏心ただひとつ」と繰り返すのに対して、大拙は、不生と生死の間にある本質的矛盾を指摘する。そして、不生を仏心、無分別などの言葉に置き換えながら、これらの関係を以下のように説明する。

 仏心は元来不生であり、親からたまわるわけではない。その親も、またその親も生まれざる前に、既に厳存していなくてはならない仏心ではあるが、分別意識のきっかけがないと動き出ないので、盤珪は「親の生みつけてたもった」と言うのである。

【盤珪の不生禅】、[第四 「無分別」の意義 其一]  (全集第1巻 P410)

 「親が生みつけた」仏心と、「不生の仏心」というところに矛盾が見える。この矛盾は生滅せいめつの世界にいる人間の意識から見ての話で、不生の仏心に生きる盤珪からすれば、「親が生みつけた」という所のものは、やがて又未だかつて生滅に禍いされない所のものである。念慮をきめて今犬の声、烏の声を聞こうとして聞くのは、念慮すなわち意識面の事象であり、不生の仏心の働きではない。仏心は、無意識・無分別、即ち未だ何ともかとも機の動かない時に、忽然として聞こえるものを聞くのである。

【盤珪の不生禅】、[第二 盤珪の不生禅 其二] (全集第1巻 P387)

 これで、生みつけられたものなら既に「生」であって「不生」ではなかろう、という疑問には、一応の答えが与えられている。だが、どうしても、私たちは不生を意図して探そうとしてしまう。この見つけにくい不生の働きを、大拙は以下のように説明する。

 般若の智慧は無分別智でありながら、分別的自覚をもっているから、「知ろうと思う念を生ぜずに」、しかも良く知り尽くすことができる。これを不生の仏心の霊明性というのである。

【盤珪の不生禅】、[第四 「無分別」の意義 其一]  (全集第1巻 P406)

 無分別と分別の開きはあまりにも大きい。そこに、普段私たちの慣れ親しんでいる知性とは別に、もっと無意識的な、無分別の玄関となる「無分別むふんべつ分別ふんべつ」を言わなくてはならなくなるのだ。その玄関部分は、無分別側にあると言ってもよく、また、分別側にあると言っても良い。ここが実に微妙で、無分別と分別の境界を、曖昧に感じさせてしまうのだ。それはそれとして、このように無分別側と分別側に分けてしまっては、もう後の祭りなのである。

6. 無分別の分別

 無分別の分別は、大拙得意の言い回しである。また、無分別の分別は、不生ふしょうしょうである。

 分別的経験または経験的分別というものを可能にする、根本的分別とでも名づけるべきものがある。これを称して無分別の分別・・・・・・、無意識の意識という。即ち般若はんにゃ智慧ちえである。ここに禅体験が成立し、禅意識が可能になるのである。

【盤珪の不生禅】、[第一 禅体験と禅意識 其一]  (全集第1巻 P356)

 分別念なるものは本有のものでなく、縁に従ってひょっと出るものに過ぎない。それゆえ、移ってゆくのをその性格としている。「さあここへ出して見せよ」と言われても出せない。分別識上の経験的個我を究極の真実と見ず、念々に移って跡なきものと知るとき、不生の仏心の働きがある。無分別の分別・・・・・・で万事が片づくことになる。

【盤珪の不生禅】、[第五 分別意識面 其一]  (全集第1巻 P426)

 悟りと言語とは本質的に矛盾して相容れないものである。言語すなわち論理を頼る限り、所現底の悟りは矛盾に満ちたものと成らざるを得ない。

【禅思想史研究 第一 -盤珪禅-】、 [悟りと悟る 上]  (全集第1巻 P93)

 盤珪は、からすの声を聞くなどの感性的な証拠の他に、「分別ふんべつの念を生じなくても自由に道を歩く」など、行為的な証拠を示している。これに関連して、大拙は以下のようにいう。

 禅意識の分別意識と異なるところは、常に霊明性を忘れないことだ。「念念不停流ねんねんふじょうる」でこの流れと共に動くところにある。分別の念そのものに引っかからずに、それと共にさらさらと動いて行くと、分別はするが、そこに無分別の処があるのを見るのである。

【盤珪の不生禅】、[第三 禅意識と心理学]  (全集第1巻 P402)

 無分別の分別である不生の仏心が自ら顕現すると、一心は永く一心で、二心にならず、念慮の相闘は止む。霊明れいめいは分別意識面に出ないと話にならないが、この分別は単なる分別我をもととしているのでない。本当の自覚は、能所のうしょを分けない自覚である。

【盤珪の不生禅】、[第三 禅意識と心理学]  (全集第1巻 P404)

 大拙は、無分別智と、因果や迷いの関係について、以下のように説明する。

 無分別智すなわち不生の仏心を知らないのは、分別に囚えられるからである。分別に囚えられるのを惑いといい、迷いという。そうして、一切の罪業はこれから出る。仏教ではとんじんを三毒と名づけて、これを一切の罪業の根本とする。我らが因果の世界に永劫流転るてんして、三毒に悩まされ、善悪の念に翻弄されるのは、分別識の桎梏を抜け出せないからなのである。

【盤珪の不生禅】、[第五 分別意識面 其一]  (全集第1巻 P424)

 不生の無分別心はその始め分別はするが、それはなお無分別のところがとれないので、身びいきと、気癖、我欲などいうものが起こってこない。

【盤珪の不生禅】、[第五 分別意識面 其一]  (全集第1巻 P425)

7. 霊性と思想と

 大拙の別の名著から不生の文字の見える文章を引用しておく。ここに、「無分別の分別」は「不生」の文字を借りて、「日本的霊性」へと発展していく。この引用文は少し分かりにくいが、「生まれて死んで死んで生まれるというとかえって不思議になる」というのは、「本来不生」という立場からみていうのである。

 我らは始めから生も死もないのに、生まれて死んで死んで生まれるというと却って不思議になるのに、我らはそれに気がつかない。そして、いつまでも生きたいとか、死にたくないとか言うのである。そこにかえって波乱が起きたといってよかろう。山や河や花や何かの場合にはこれを否定すると不思議だ、非合理だといわれるが、われら自身の上になると「不生」のところに生死を見たりして、「不生」の否定を当たり前に考えている。

【日本的霊性】 、第五篇「金剛経の禅」、第二節「般若即非の論理」、第5項「般若の論理」

 不生の禅意識の上では現前がすべてである。この絶対の現在は動いているが、生まれたり死んだりはしないのだ。無分別の分別から見ると、本当の現実は絶対現在にあって、生と死という切り分けは、知性の作り出した仮想のものなのだ。

 続いて、日本的霊性からもう一つ引用しよう。これは、大拙が思想を重視する理由を説明している。

 何かの意味で思想的体系を持つということが大切である。単に体験といってばかりおられぬ。やはり抽象的に全部を把握する機構を作り上げないと、個々の具体的なるものの、それぞれに据わるべき位置がわからなくなる。体系ができるとき体験なるものがますます有力になるわけである。ここにも回互えご性があるといってよい。
 一般に禅家の人々は分別思量を斥けるのであるが、それにはもとより理由はある。体験に基礎を持たない思想には力がない、心がない、魂がない。一度体験の世界を通ってくると、分別思量は、さほど大事でないことになる。体験は無分別である。思量は分別である。無分別の分別でなくてはならぬ。分別の無分別でなくてはならぬ。

【日本的霊性】、第五篇「金剛経の禅」、第六節「禅概観」、第4項「洞家の五位」

 最後に、不生思想の締めくくりとして、禅宗第三祖、僧璨そうさん禅師の信心銘の冒頭の一節を取り上げる。信心銘は、「禅旨の大要を尽くす堂々たる哲学詩」と評されて、大拙の名著「禅の思想」の中では、達磨だるまの「二入四行観」「安心法門」の後に続けて取り上げられている。

至道無難しどうぶなん、唯だ揀択けんじゃくを嫌う。
だ憎愛くんば、
洞然とうねんとして明白なり。

 シナでは、最高の真理または無上絶対の実在を大道または至道といった。僧璨に従えば、この至道は何も難しいものでない。ただ嫌うところは、彼此かれこれといってえらびとりをすることである。即ち分別計較心ふんべつけきょうしんをはたらかすことである。このはたらきから憎愛の念が出て、心そのものが曇ってくる。心が有心うしんの心になると、もともと洞然として何らのさわりものもなく明白をきわめたものが見えなくなる。分別を去れ、憎愛を抱くな、すると本来の明白性が自ら現れる。

【禅の思想】 、第一篇「禅思想」、第四節「信心銘」

 少し端折ったが、この引用を読んでみると、僧璨の「至道」は、盤珪の「不生」そのものである。つまり、四言、146句、584文字の哲学詩は、「不生」の二文字に集約されてしまう。逆に、「不生」をかみ砕いて説明すれば、壮大なる禅詩の「信心銘」になるのである。だが、盤珪は多言を要さずに、ただ「不生」と言う。そこにこそ、盤珪の無類の親切さが見えてくると思う。

 一方で、違いもある。「至道」という言葉は (すくなくとも文字の上では) 単なる抽象名詞か心理場の名詞のようなものだが、「不生」には大乗仏教的な般若の論理構造がうまく反映されている。不生の二字には、既に「生」が含まれている。生なくして不生はなく、不生なくして生はない。その上で、生以前に還って不生を言う。つまり、不生の文字は初めから、生の不生、不生の生という、矛盾同一の論理的位相を示唆しているのである。これは、知性の二分性を打破して不二法門へと横超する大乗の論理である。江戸時代前期の盤珪禅師の「不生」の二文字は、日本思想の頂点とも言うべき、西田幾多郎の「絶対矛盾的自己同一」や、鈴木大拙の「即非の論理」の論理構造を、300年以上先どりしている。

 不生の思想が整理されると、盤珪が「地獄道や畜生道に落ちる」と言ったりして、六道輪廻ろくどうりんねで民衆を脅したようなことは無用になる。盤珪の教えが思想として受け止められるようになると、「不生」は十分な社会性を獲得する。そして思想となった不生は現代的な教えとなり、科学を信仰する若い頭脳にもいくらか入りやすくはなるだろう。

初版 2022年11月 Aki.Z


[1]【禅思想史研究 第一 ~盤珪禅~】(昭和18年7月)鈴木大拙全集(増補新版)第一巻(2000年1月発行)収載

[2]【盤珪の不生禅】(昭和15年3月)全集第一巻収載

[3]【日本的霊性】(昭和22年11月)全集第八巻(1999年10月発行)収載

[4]【禅の思想】(昭和18年9月)全集第十三巻(2000年10月発行)収載


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