更新 2024年11月4日
盤珪禅師は江戸時代前期に活躍された無師独悟の僧で、いわゆる不生禅の生みの親である。禅師は「不生を念に変えるな」、「30日間だけ念を消す努力をしてごらん」と言う。
(不生禅の要旨は ↓ 参照)
この不生禅だが、後世に残された盤珪禅の聞き書きを読むと、「仏心」の文字が目立っている。また、現在世に出ている解説書を見ても、盤珪が「不生」とのみ言っているところを「不生の仏心」と修正していることが多いようだ。なぜかというと、現代の仏教者がこの「不生」という得体のしれない難解な文字を見ると、ついつい「仏心」という文字を補いたくなってしまうからだ。これに対して、盤珪禅再発見の立役者で、世界にローマ字表記のZENを広めたことでも有名な、昭和の仏教学者の鈴木大拙は、盤珪禅の真価を仏心の宣揚に置かず、「不生の思想」に見ている。
坐禅で心を静めたり、念仏や題目を唱えたりする必要はない。ただ、余念を捨て、知情意に振り回されずに、本来の「不生のまま」でいればよい。これが、盤珪の不生禅の基本思想である。
1. 盤珪禅の独自性
大拙は、盤珪には思想があるという。盤珪の思想とは、禅経験の端的を人々に分かりやすく伝えるための、説明方法の工夫のことだ。大拙は、以下のように言う。
盤珪以前では、中国唐代の偉大な禅匠の、馬祖道一や趙州従諗も不生の文字を使った。馬祖の「生即ち不生」、趙州の「法本不生」などだ。しかし、盤珪の場合は、彼らとは不生の扱い方が違うと、大拙は指摘する。
馬祖や趙州と違って、盤珪のは、腹から不生を鷲づかみに取り出して、我らの面前に直に突きつける感がある。大拙は、また、盤珪の指導法を唐代の禅匠たちと比較して、以下のように言う。
大拙は思想と言うが、これは緻密に構築された哲学体系ではない。ただ、「不生」の文字を中心に整理された、広く深い思索があるのである。又、大拙は、盤珪を道元と比較する。
道元の只管打坐は、ただの黙照禅と見なされて、ともすれば、ただ雑念を押し殺して心を押さえつけておく手法のように誤解される憂いがある。これに対して、盤珪の不生禅は動いている。つまり、禅師は坐禅を排斥はしないが、坐禅などしなくても自分の心の動きをよく見れば不生は分かると説くのである。また、他の禅者が臨機応変に教えるのに対し、盤珪は不生の二字で押し通す。
2. 不生の二字
大拙は、「不生の仏心」の五字ではなく、「不生」の二字に着目する。この不生の二字が不生思想の要である。
大拙は、不生を超意識性の意識とし、また、その不生の二字の上に、盤珪の思想の集約を見ている。ただ、大拙自身、最初は、不生を単に仏心の修飾語と見ていたようだ。
「ここに述べたの」とは、「仏心」よりも「不生」の二文字が盤珪禅の要だという理解のことだ。自身の理解の深化を開示して、大拙は不生の二字の重要性を丁寧に説明していく。
もし、仏心が盤珪禅の中心テーマであるならば、この難解な不生の文字をわざわざ持ち出す必要はない。盤珪があれほど「不生」を強調したのは、一句で民衆を大悲・大智へと導くためだ。ある意味では、不生は仏心の修飾語ではなく、仏心の同義語である。大拙は、盤珪の狙いを以下のように説明する。
不生の思想などといって「不生」の文字ばかりを理詰めで説明していくとクールになり過ぎて、暖かみに欠けることになりやすい。「仏心」といえばホトケ様の御心の慈悲の面が感じられて、ただ不生思想とのみ言うときの幾分冷徹な感じを補うことはできるだろう。ただし、後で述べるが、「不生」の文字にはかえって生きたものを感じさせるレトリックが組み込まれていると思う。次に、大拙はまた、不生を無我と比べて、以下のように言う。
不生は、「霊明なる仏心」、「カラスの声を聞く」、「怒りや念に変えない」など、盤珪がさまざまに語ったその重なり合いに現れる禅意識の端的で、そうして、盤珪の思想である。不生では、主客未分の現前の「不生」と、顕在意識上の分後の『不生』が、串刺しにされている。
3. 不生の思想
教外別伝・不立文字と言われるように、禅は思想ではない。そうすると、盤珪の不生禅に思想があるという大拙の主張は少し的はずれに感じられるかもしれない。しかし、禅が思想を嫌うというのは、型にはまり固定化された思想を嫌うということで、自由な思想を嫌うものではない。盤珪は、「不生」の一句を核として自由闊達に思想した。師が弟子たちに、自身の説法を書き物にすることを禁じたのは、不生の定式化を嫌ったからだろう。だが、盤珪は、いかなる質問に対しても「不生」の二字を駆使して、問者に解説することができた。
盤珪には、無秩序でなく、しかも型にはまらない、一連のよく整理された思想のまとまりがあった。それが、大拙の強調する、盤珪の思想なのである。この不生の思想について、大拙は以下のように分析を進める。
不生をある種の心理的な場として捉える見方は、現代人には親しみやすいだろう。だが、大拙が「不生に思想あり」というその「思想」は実に掴みにくいと思う。もう少し解説してもらおう。
私達は普段、知性を通して世界を見ている。知性は、あらゆるものごとを分析的に、二元的に見ようとする。上記引用で「生死を一棒に打殺する」というのは、知性による二元的な見方から自由になることを意味する。つづけて、大拙の解説をもう少し見てみよう。
不生というとき、始めて、死との対比でない、生の本来の面目が現れる。すなわち、「不生」は生きている。「無我」のように、ただ我なし、無、何も無し、というアイデアに引きずられることはない。一見、否定的に見える不生は、不思議な思想的転化力で絶対的な肯定の一句に転じていく。
不生思想といっても、盤珪の手にかかれば、これは紙に書いた思想の枠に留まりはしない。型にハマった定型の思想ではなくて、この思想は「不生」という活句を支点とし、人心に直接的に働き掛けていく。
そして、盤珪の思想を貫く基本構造について、大拙は、以下のように解説する。
知性の立場で、言葉の上で考えると、不生は思想を超えているか、思想以前のものという考えに至るだろう。だが、自分が不生になって考えてみれば、ある意味、知性も思想もすべては不生の産物なのである。そして「思想」という言葉は、単に【知性の範囲内に留まる思想】と、【知性を超えた、霊性を解説するための思想】との二つに分けられる。ただ、この二種類の「思想」は結局のところ、「主客未分の霊性の働き」という同じ果汁で満たされている。そして、大拙が「不生に思想あり」というときの「思想」は、【霊性解説のための思想】の方で、つまり知性の限界内に納まらない思想を言うのである。
4. 不生と霊明
結局、不生とは何か。大拙は、不生の当体について、以下のように解説する。
ここでは、「生死」というのは、ほぼ「知性」の同義語になっている。一方、不生は無意識か、あるいは自己の本源なのか。とにかく、不生は知性に働きかけ、生死の連続を破るものらしい。
大悲の光は、無明の闇を切り開く。阿弥陀の力は絶大で、無量光は時空を超えて、知性の隙間に入り込んでくる。念仏を称えずとも、自力で信じようとしなくても、他力は、知性の鎖を解き放つ。大悲は不請で、私たちを不生へと救いとるのである。
大拙は、「霊明の内容がわかると不生も仏心もわかりやすくなる」といい、霊明についてさらに深く説明する。
5. 不生の証拠
大拙は、禅経験と禅意識に言及する。そして、盤珪が頻繁に口にした「不生の証拠」について、以下のように言う。
盤珪は不生の証拠を示したといい、大拙も上記の説明をするが、禅経験のない者には鐘のゴンがどのように不生を証拠しているのかは分かりにくい。不生は一体どこにあるのだろうか。不生の仏心の在り処について、大拙は、盤珪の言葉を引用する。
不生を無我に相応するものと見れば、盤珪の言う不生の証拠も、いくらか分かりやすくなる。だが、盤珪が、「わざわざ聞こうとしなくても、カラスの声を聞き、カラスの声と知る、それが霊明なる不生の証拠なのだ」と言うとき、不生は単なる五感の受け手のように聞こえて、不生は受動的で、不生の側には能動的なものは何もない、という誤解にも繋がってくる。
しかし、盤珪は、「不生なが一切のもと、不生なが一切のはじめ」という。不生が先なのだ。先に鳥が鳴いて意識がそれを聞くという、対象性、二分性の五感の機構の話ではない。五感は、不生が意識に通じた後の話なのだ。
また、盤珪が「親の生みつけたのは不生の仏心ただひとつ」と繰り返すのに対して、大拙は、不生と生死の間にある本質的矛盾を指摘する。そして、不生を仏心、無分別などの言葉に置き換えながら、これらの関係を以下のように説明する。
これで、生みつけられたものなら既に「生」であって「不生」ではなかろう、という疑問には、一応の答えが与えられている。だが、どうしても、私たちは不生を意図して探そうとしてしまう。この見つけにくい不生の働きを、大拙は以下のように説明する。
無分別と分別の開きはあまりにも大きい。そこに、普段私たちの慣れ親しんでいる知性とは別に、もっと無意識的な、無分別の玄関となる「無分別の分別」を言わなくてはならなくなるのだ。その玄関部分は、無分別側にあると言ってもよく、また、分別側にあると言っても良い。ここが実に微妙で、無分別と分別の境界を、曖昧に感じさせてしまうのだ。それはそれとして、このように無分別側と分別側に分けてしまっては、もう後の祭りなのである。
6. 無分別の分別
無分別の分別は、大拙得意の言い回しである。また、無分別の分別は、不生の生である。
盤珪は、烏の声を聞くなどの感性的な証拠の他に、「分別の念を生じなくても自由に道を歩く」など、行為的な証拠を示している。これに関連して、大拙は以下のようにいう。
大拙は、無分別智と、因果や迷いの関係について、以下のように説明する。
7. 霊性と思想と
大拙の別の名著から不生の文字の見える文章を引用しておく。ここに、「無分別の分別」は「不生」の文字を借りて、「日本的霊性」へと発展していく。この引用文は少し分かりにくいが、「生まれて死んで死んで生まれるというとかえって不思議になる」というのは、「本来不生」という立場からみていうのである。
不生の禅意識の上では現前がすべてである。この絶対の現在は動いているが、生まれたり死んだりはしないのだ。無分別の分別から見ると、本当の現実は絶対現在にあって、生と死という切り分けは、知性の作り出した仮想のものなのだ。
続いて、日本的霊性からもう一つ引用しよう。これは、大拙が思想を重視する理由を説明している。
最後に、不生思想の締めくくりとして、禅宗第三祖、僧璨禅師の信心銘の冒頭の一節を取り上げる。信心銘は、「禅旨の大要を尽くす堂々たる哲学詩」と評されて、大拙の名著「禅の思想」の中では、達磨の「二入四行観」「安心法門」の後に続けて取り上げられている。
少し端折ったが、この引用を読んでみると、僧璨の「至道」は、盤珪の「不生」そのものである。つまり、四言、146句、584文字の哲学詩は、「不生」の二文字に集約されてしまう。逆に、「不生」をかみ砕いて説明すれば、壮大なる禅詩の「信心銘」になるのである。だが、盤珪は多言を要さずに、ただ「不生」と言う。そこにこそ、盤珪の無類の親切さが見えてくると思う。
一方で、違いもある。「至道」という言葉は (すくなくとも文字の上では) 単なる抽象名詞か心理場の名詞のようなものだが、「不生」には大乗仏教的な般若の論理構造がうまく反映されている。不生の二字には、既に「生」が含まれている。生なくして不生はなく、不生なくして生はない。その上で、生以前に還って不生を言う。つまり、不生の文字は初めから、生の不生、不生の生という、矛盾同一の論理的位相を示唆しているのである。これは、知性の二分性を打破して不二法門へと横超する大乗の論理である。江戸時代前期の盤珪禅師の「不生」の二文字は、日本思想の頂点とも言うべき、西田幾多郎の「絶対矛盾的自己同一」や、鈴木大拙の「即非の論理」の論理構造を、300年以上先どりしている。
不生の思想が整理されると、盤珪が「地獄道や畜生道に落ちる」と言ったりして、六道輪廻で民衆を脅したようなことは無用になる。盤珪の教えが思想として受け止められるようになると、「不生」は十分な社会性を獲得する。そして思想となった不生は現代的な教えとなり、科学を信仰する若い頭脳にもいくらか入りやすくはなるだろう。
初版 2022年11月 Aki.Z
[1]【禅思想史研究 第一 ~盤珪禅~】(昭和18年7月)鈴木大拙全集(増補新版)第一巻(2000年1月発行)収載
[2]【盤珪の不生禅】(昭和15年3月)全集第一巻収載
[3]【日本的霊性】(昭和22年11月)全集第八巻(1999年10月発行)収載
[4]【禅の思想】(昭和18年9月)全集第十三巻(2000年10月発行)収載