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盤珪禅師の不生禅「6つの教え」

更新 2025年1月25日

 臨済宗のある禅匠は、「更に勉強すれば、きっと何か見えてくる」と言いながら、不生禅を解説しています。盤珪を腹の底から見抜いた人であれば、こんな言い方はしないと思います。

 和歌山県紀の川市にある、玄燈庵の暁山禅師(井上哲玄老師)は、大悟徹底された禅匠です。哲玄老師は、いつでもハッキリしています。老師はいつも、「禅を学ぶには、大悟徹底した禅匠から学ぶべきだ」と注意を促します。

 勉強をすれば仏教の知識は身につくでしょう。でも、それでは仏道を体現することはできません。本気で取り組みたい方は、大悟徹底の禅匠に参禅することが、どうしても必要です。

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 盤珪ばんけい禅師の教えはシンプルで、「不生ふしょうで一切が調う」と言い、「まずは30日間、ただ思念を静めてごらん」と提案します。 ここでは、盤珪禅の骨子を6つの項目にまとめてみます。



1. 不生ふしょうで一切がととのう

 人はみな、「不生の仏心」ひとつを抱えて生まれてくる。ところが、人は、その尊い仏心を、怒りや欲などの念に変えてしまう。不生のままでいれば、一切がととのうのに。


2. 仏心は不生で霊明

 不生であれば不滅は言うまでもない、それで盤珪は、不滅の文字を省略して、ただ不生というのである。禅師は、「仏心は不生であり、不滅であり、霊明である」と説く。この霊明は聞きなれない言葉だが、明らかな、一切を照らし分けるすばらしい働きという意味だ。盤珪は、決定けつじょうすれば、その日その場から、人の心胆が見えると断言する。「仏心は不生で霊明」は盤珪の常套句で、不生の内容を端的に言い表している。


3. 不生の証拠を知る

 盤珪は、分かりやすく「不生の仏心」を提示する。曰く、「皆さんがこちらを向いて、私の話を聞いているとき、後ろでカラスやスズメの声がすれば、意識して聞こうとしなくても、カラスの声スズメの声を聞き分けて、間違うことはありません。これが不生の証拠です。」と。意図せずとも無意識に聞き分けるところに、不生の証拠を見よというのである。


4. 親の生みつけた不生の仏心

 親が産みつけたのは「不生の仏心」一つである。欲とか怒りとか愚かさは、生まれた後に家族などの間で見習い聞き習って身につけたもので、生まれつきの怒りっぽさというものはない。それを生まれつきというのは親に難癖をつけるものだ。念は生まれつきではなく、生まれつきは不生だけだ。だから、生まれたときの尊い不生の仏心のままでいなさい。盤珪は、一般の心理学でいう本能的欲求などよりも、もっと深い相で不生を見ている。


5. 気癖・身びいきを出さない

 私たちは自分の気癖きぐせ・身びいきで、霊明なる不生の仏心を念に変えてしまう。気癖は、状況に応じて生じた短気とか執着とか、あるいは「タバコを吸いたい」「おやつを食べなきゃ(ダイエット中なのに)」など、平静をかき乱す、習慣的で小さな念のことだ。人は常々、思いに思いを重ねて、気癖を固定化してしまう。また、身びいきは、自己愛と自己防衛で怒りや欲を深める。だが、向こうからどんなものがやってきても、それに取り合って愛着したり憎んだりしなければ迷いは起きない。始めから気癖や身びいきを出さなければ、抑え込む必要もない。不生に一点の迷いなし。だから、迷いなき不生のままでいなさい。


6. 雑念に取り合わない

 盤珪は、不生を念に変えるなというが、一方では、不生は霊明なので過去の影は念として映るともいう。念を止めよとは言わず、ただ、血で血を洗うように、念で念をわずらうなという。無念を目指すほど、雑念はつぎつぎに湧いてくる。そうした雑念に対して、盤珪は「取り合うな」と教えている。動揺したら、動揺すればいい。抑え込もうとすれば、なおさら動揺することになる。いわく、「仏心は霊明で、一切のことに通じ、よく見分けられ、病苦のときも取り合わず、執着しないでいる。苦痛があればうめき、平生へいぜいに、不生の仏心でいるのがよい」と。禅師の教えはただ一つ、不生のままでいなさい、それだけなのである。


 盤珪の教えは極めてシンプルで、以上6項に集約される。また、釈尊しゃくそん以降の祖師方の禅体験も、結局は不生の二字に収まってしまう。そこに、大拙は、不生の思想を見ている。

 不生思想について更に詳しく知りたい方は、下記投稿をご覧ください。

2022.10.20 Aki Z

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