盤珪禅師の不生禅「6つの教え」
更新 2024年4月7日
盤珪禅師の教えはシンプルで、「不生で一切が調う」と言い、「まずは30日間、ただ思念を静めてごらん」と提案します。 ここでは、盤珪禅の骨子を6つの項目にまとめてみます。
1. 不生で一切がととのう
人はみな、「不生の仏心」ひとつを抱えて生まれてくる。ところが、人は、その尊い仏心を、怒りや欲などの念に変えてしまう。不生のままでいれば、一切がととのうのに。
2. 仏心は不生で霊明
不生であれば不滅は言うまでもない、それで盤珪は、不滅の文字を省略して、ただ不生というのである。禅師は、「仏心は不生であり、不滅であり、霊明である」と説く。この霊明は聞きなれない言葉だが、明らかな、一切を照らし分けるすばらしい働きという意味だ。盤珪は、決定すれば、その日その場から、人の心胆が見えると断言する。「仏心は不生で霊明」は盤珪の常套句で、不生の内容を端的に言い表している。
3. 不生の証拠を知る
盤珪は、分かりやすく「不生の仏心」を提示する。曰く、「皆さんがこちらを向いて、私の話を聞いているとき、後ろでカラスやスズメの声がすれば、意識して聞こうとしなくても、カラスの声スズメの声を聞き分けて、間違うことはありません。これが不生の証拠です。」と。意図せずとも無意識に聞き分けるところに、不生の証拠を見よというのである。
4. 親の生みつけた不生の仏心
親が産みつけたのは「不生の仏心」一つである。欲とか怒りとか愚かさは、生まれた後に家族などの間で見習い聞き習って身につけたもので、生まれつきの怒りっぽさというものはない。それを生まれつきというのは親に難癖をつけるものだ。念は生まれつきではなく、生まれつきは不生だけだ。だから、生まれたときの尊い不生の仏心のままでいなさい。盤珪は、一般の心理学でいう本能的欲求などよりも、もっと深い相で不生を見ている。
5. 気癖・身びいきを出さない
私たちは自分の気癖・身びいきで、霊明なる不生の仏心を念に変えてしまう。気癖は、状況に応じて生じた短気とか執着とか、あるいは「タバコを吸いたい」「おやつを食べなきゃ(ダイエット中なのに)」など、平静をかき乱す、習慣的で小さな念のことだ。人は常々、思いに思いを重ねて、気癖を固定化してしまう。また、身びいきは、自己愛と自己防衛で怒りや欲を深める。だが、向こうからどんなものがやってきても、それに取り合って愛着したり憎んだりしなければ迷いは起きない。始めから気癖や身びいきを出さなければ、抑え込む必要もない。不生に一点の迷いなし。だから、迷いなき不生のままでいなさい。
6. 雑念に取り合わない
盤珪は、不生を念に変えるなというが、一方では、不生は霊明なので過去の影は念として映るともいう。念を止めよとは言わず、ただ、血で血を洗うように、念で念を煩うなという。無念を目指すほど、雑念はつぎつぎに湧いてくる。そうした雑念に対して、盤珪は「取り合うな」と教えている。動揺したら、動揺すればいい。抑え込もうとすれば、なおさら動揺することになる。曰く、「仏心は霊明で、一切のことに通じ、よく見分けられ、病苦のときも取り合わず、執着しないでいる。苦痛があればうめき、平生に、不生の仏心でいるのがよい」と。禅師の教えはただ一つ、不生のままでいなさい、それだけなのである。
盤珪の教えは極めてシンプルで、以上6項に集約される。また、釈尊以降の祖師方の禅体験も、結局は不生の二字に収まってしまう。そこに、大拙は、不生の思想を見ている。
不生思想について更に詳しく知りたい方は、下記投稿をご覧ください。
Aki.Z