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”主語が大きい(括りが大きい)”の功罪

「桜が綺麗ですね」
と言われて思うのはどんな桜ですか。
僕は自宅からほど近い河原の桜を思い浮かべます。

”桜”が指す桜は種々多用です。皆さんが思い浮かべたのはどの桜でしょう?
僕が思い浮かべた桜と同じ桜かもしれないし、また別の桜かもしれません。
「桜がどの桜がわからないじゃないか!ちゃんとどれか言ってくれないと困るよ!!」
なんていう人はいないでしょう。なんせ桜がどれを指しているにしろ、「桜が綺麗」という文の内容は自分に対して致命的なものではないからです。
これが桜を取ることに命をかけるカメラマンだったら話は違うかもしれません。(笑)

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では、自分に対して致命的な状況を想定してみましょう。
私たちは山(名称をFJ山とする)に住んでいる狩猟民族です。今日は食料を調達に行かなくてはいけません。猪でも狩ろうかな。

ここで仲間がやってきて言いました。
「隣山に丸々として美味しそうな猪が出たぞ!」
そんな猪がいるとなれば狩りに行くしかない。しかし、
実はFJ山の隣には、A山・B山・C山の3つ山がある。
あなたは怒るでしょう。私も怒ります。
「どの山かわからないと狩りに行けないじゃないか。」

今度は別の仲間がやってきて言いました。
「隣山が燃えているから逃げろ!きっとこの山も燃えるぞ!」
火事となっては仕方ない、逃げるぞ。
私たちはA・B・C山の方向を避けて、平野に下りてきました。
(FJ山がA・B・C山に囲まれてたら終わりですね。今回は囲まれていませんでした。)
あなたは感謝するでしょう。私も感謝します。
「とりあえず隣山の遠くに来れた、ありがとう!」
(蛇足ですが、まだ逃げられたわけではありません。注1)

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以上の二つの例では、同じ”隣山”を指した内容であるにも関わらず、また、その曖昧さは変わらないにも関わらず、だいぶ反応が違いました。
この反応の違いの原因は、括りで示した対象物(=隣山)に「向かっているのか」・「遠ざかっているのか」にあると僕は考えています。
というのも曖昧さを残すことによる正答確率が「向かう」場合と「遠ざかる」場合で変わってくるからです。

~隣山に「向かう」場合~
FJ山の隣にあった、A・B・C山のどれかに正解があるので、仲間が言っていた猪のいる山に向かえる確率は1/3です。

~隣山から「遠ざかる」場合~
A・B・C山以外に行ければ正解です。その場合遠ざかる確率は1です。
それ以外という括りを見つけて、そこに行けば必ず正解できます。
遠ざかっているんだから、隣山に行くことはないですよね。

プレゼンテーション1

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つまり、主語(括り)が大きいことは、自分から括った対象にベクトルを向ける時には適しておらず(不適切)、括った対象からベクトルを遠ざける時に適している(適切)のです。

言い換えれば、”主語(括り)が大きい”言葉・文は、
自分からある対象に向け発信する際には有効ではなく、
自分を守る時には効果を発揮する
と言えます。

これが“主語が大きい(括りが大きい)”の功罪(罪功)です。

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この功罪の罪の側面は、世の中で発信されている言葉や文において、人間同士の齟齬を引き起こしている元凶の1つです。
「女だから」「男だから」「これだから若者は」「年寄りだからしょうがない」「社会人とは」
SNSやニュースを見れば、発信された外向きベクトルの言葉は、大きな括りを伴って発信されることが多いです。その非有用性にも関わらずです。

しかしながら、考えてみれば、物事を全て固有名詞で語りつくすことも不可能に近いでしょう。「桜が綺麗ですね」ですら言えません。
では、括らざるを得ないこの世において、どうしたらいいのでしょうか。

答えは「可能な限り正確な範囲で括ること」だと考えています。
向けたベクトルの範囲をしっかり見分けることで、ベクトルが正解に達する可能性をできるだけ高めるのです。
そうすれば、美味しそうな猪を見つける確率も上がるでしょう。
例えば、LGBTQなどもこの努力の結果生まれた言葉でしょう。

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私たちは生きてる限り、括りという”しがらみ”から逃れることはできません。それならば、括りの有用性を活かし、非有用性を抑えていくかを考えていくべきなのではないしょうか。
それこそが多様性が浮き彫りとなった現代における、人間の課題であるのです。

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注1:
「隣山が燃えている」の待遇は、「燃えていないならば、隣山ではない」なので、平野に下りてきただけだと「火事から逃げ切った」ことにはなりません。しかし、ここで注目してほしいのは、「隣山以外」に行けば、「隣山から遠ざかる確率は1である」ことです。

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