「ギャル」に学ぶ
三人のギャルと仲良くなったことがある。
一人は姐御肌、一人はいかにもモテ、一人は我が道を行くタイプのそれぞれ個性的な人物で、共通点といえば、端的に形容しようとすると「ギャル」になることくらいだったように思う。
私のような陰キャにとって、ギャルなんてものは畏怖の対象である。
初めは私がバイト先で後輩だったことや、何かやらかしたら絶対キレられるとの事前情報もあったため、正直めちゃくちゃ怖かった。
実際、自分にも他人にも厳しい人たちだったので、やる気のないスタッフには暴言が飛び出すこともあり、出会って数か月は怯えながら出勤していたことを覚えている。
そんなだったので当然ただの同僚として過ごしていたわけだが、当時在籍していた我々以外のスタッフにはいい加減な人たちが多かった。恒常的に私たちが彼らの残した仕事をこなさざるを得なかったことから愚痴などこぼしあう内、次第に仲間意識が芽生えたのだろう。
怯えていた日々が嘘みたいに私は、恐らくは向こうも、心の内をさらけ出して会話することができるようになっていた。
遊びにも行ったし、飲みにも行った。遠出した際にはお土産を贈りあったり、誕生日プレゼントも交換した。
しかし、冒頭に「仲良くなったことがある」という表現をしたのは、今彼女たちと私とはすでに「友人」と呼べる関係ではなくなってしまったからだ。
インフルエンザが職場で蔓延し、その際、私も彼女らもほとんど同時に罹患してしまったのがきっかけだった。
私は元々あまり体が強くなく、これまでも幾度となく欠勤しては迷惑をかけていた。今思えばなかなかに体力勝負の仕事内容だったため、そもそも向いていなかったのだろう。
合わない仕事に一年以上従事してきた無理が祟ったのか、同時に倒れた数名のうち、私だけ症状が長引いてしまったのだ。上長から命じられた出勤停止期間を過ぎても回復の兆しが見られず、職場へ欠勤の連絡を入れた。
その返事として、「甘えるな」という旨の叱咤とともにLINEで軽蔑を示されたのが、彼女たちとまともに会話した最後だった。
半月以上もまともに動けなかった私に、上長はやんわりと退職を促した。
体調管理も仕事の内。己の体を恨みはしたもの、これまでに迷惑をかけてきた悪い実績もある。納得の上で私は首を縦に振り、謝罪と共に退職届を提出した。
ギャルたちへは「体調が戻らないので辞めることになった」と連絡して、「そっか、お大事にね」なんて返ってきて、それきりだった。
思い返せば、彼女らと過ごした時間は留学でもしているかのようなひと時だった。
彼女たちは私にとって、異文化といって差し支えないような生活をしていたからだ。
ドラマ化できそうなくらいヘビーな恋バナを聞いたり、ストレートな罵倒を平然と口に出すさまにハラハラしたり、一本分けてもらって初めての喫煙を経験した(私には合わなくてそれきりだったが)り、カラオケで聞いたこともないラップを勢いで歌って盛り上がったり。
もう二度とないだろういい経験をさせてもらった。
最後の最後に迷惑をかけてしまったのが気がかりだけれど、今更改めて謝罪しても自己満足にしかならないのはわかりきっているし、当時できる最大限のことは伝えたつもりなので、もう二度と連絡するつもりはない。
私は体も心も打たれ弱いタイプの人間なのだが、実際に交流してみたギャルはすごかった。メンタルもフィジカルもめちゃくちゃ強くて、自分をしっかり持っていて、敵とみなしたものとはやりすぎなくらい徹底的に戦う。
そんな感じなので問題も起こせば敵も増えるのだけれど、自分で蒔いた種であることをきちんと理解して責任を取る。そして一度納得してしまえば、引きずることなく次へ進むのだ。
保身を考えて意見を飲み込んでしまいがちな私とは、真逆といっていい生き方だった。
今や他人となってしまった彼女たちの生き方に触発されて……とはいっても根っからの陰キャに真似できることなんてほとんどないのだけれど、ペーパードライバーだった私は今、一生懸命車の運転を練習している。
一人でどこへでも行けるという自信がつけば、少しは心が強くなれる気がして。
彼女らと出会った町を離れることになったので、立つ前に思い出を書き起こしてみた。
インフルエンザのせいで砕かれた友情という気もするが、この虚弱な体ではあの職場に居座ることで迷惑をかけ続けただろうし、遅かれ早かれ似たようなことになっていただろう。
体も心もボロボロな中、環境変化に追い打ちをかけられるような形になって泣いたりもしたけれど、今となってはあのタイミングで辞められてよかったと思う。ストレートに思いをぶつけてくれた彼女たちには、感謝しなければならないのかも。
いい思い出ばかりではないが、いい町だった。
機会があれば、また遊びに来ようと思う。