「#19」タイ難民キャンプとSuzukiさん。
みなさま、こんにちは。
カンボジアシアヌークビル在住のそくあんです。
今回は5歳まで過ごしたタイの難民キャンプ内の様子を書きますね。
記憶を辿って綴りますが曖昧な箇所もあり調べながら、また父親の話をもとに纏めていきます。
彷徨いタイ国境へ逃げる
1979年1月、軍事トラックに乗ったベトナムの兵士がカンボジアに侵攻しポル・ポト派はこの戦いに必ず勝てると信じていたがあっけなく敗北しタイの密林を彷徨いながらもタイ国境に着きます。
支援団体による救護活動
国境に到着するとUNHCRの支援団体が救護活動により命を助けられます。
女優のアンジェリーナ・ジョリーが2001年にUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の親善大使に任命され慈善活動の一環として、2002年3月にカンボジア人の男児(マドックス・チヴァン)を養子として引き取ったことでUNHCR団体の活動も世界に広まったのではないでしょうか。
これらの救護活動は、国際機関、NGO、地元の政府などが協力して実施されることがあります。救護活動は緊急な状況や災害から回復するための基本的な支援を提供するだけでなく、長期的な持続可能な発展を促進することも目指していました。
探求心
幼少期は聞く耳も持たず反抗をしていたのですが、両親の話を聞くうちにポル・ポト内戦や自分のルーツ、難民キャンプ内での様子を深堀したくなり数十年かけて調べあげたのをいくつか紹介します。
父親の記憶は、
「日本人と仕事をして絵本や竹で家やお寺を作った」
「男性ボランティアの名前はSuzukiでタイ女性と結婚してバンコクに住んでいる」
この2点の情報しかなかったのですが、SNSやネットを駆使して見つけた時の歓びを今でも覚えています。
当時、広報課長の鎌倉幸子さんにご連絡をして、私自身のこと、
上記の経緯を一通り説明しました。
すると男性の名前を教えてくれ私は直ぐにfacebookで検索をします。
2013年9月頃。
Suzukiさんは元シャンティ国際ボランティアで働いており私たちの写真を手元に置いていたそうです。
確かに私たち家族の写真で間違いないです!!
この男性が私たち家族に寄り添い、助けてくれたのですね。感動しちゃって。
そして何よりも嬉しいのは父親の名前を憶えてくれたこと。
-有料記事-
貴重な写真とSuzukiさんのお写真も含まれ、これ以下の文章は有料記事にさせていただきますね、ごめんなさい。
バンコクへSuzukiさんを訪ねる旅を考えてます。
Suzukiさんが綴ったブログのURLも添付しますね。
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カンボジア、時に日本。 知らない世界を学ぶのが好き。カンボジア南部海辺街のシアヌークビルで暮らしてます。 皆様の暖かいサポートをお待ちしております。