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[#1]SORIYA HOUSEリノベーションの記録(憧れたゲストハウス運営の実態とは)

私の仕事とは


noteを開くたびにカンボジア関連のことを書きたい衝動に駆られるのですが
すぐにパソコンを打つ私の指が止まります。
相変わらず執筆するのは苦手ですが、SNSは何百年先もデータとして記録に残るということで、過去の実績を書き残し記録していこう。
なので私らしい言葉で楽しんで書き続けよう。

今日は私が普段行っているアパート管理とその補修工事について少し書こうと思います。現状のお部屋になるまでには波乱万丈の物語がありましたので包み隠さずに記録します。

現在のお部屋

2024年7月時点の賃貸部屋。

譲ってもらったアパート



私がカンボジアに移住したのは2016年5月でした。
当時このアパートには義理姉夫婦が住んでいましたが、別の場所に引っ越すことになり、この家を譲り受けることになりました。
玄関先は暗く、天井の高い建物で、奥行きが長いカンボジア特有のお家です。
住んでも心地よい空気やエネルギーが流れないと感じ、思い切ってリノベーションすることにしました。
22歳で結婚し、日本に渡った息子に対して何もしてあげられなかった父の思いとして、リノベーション費用を工面してくれました。

一階建ての家を4階建てにして、ゲストハウスを運営する計画でした。
ですが、設計士がおらず、レンガを積み重ねるのも素人の叔父さんや叔母さんたちでした。義理の父が手配してくれた中年のベトナム男性2人と叔母さんと若い子が一人も手伝ってくれました。
ベトナム男性はいつもタバコを咥えながら黙々と作業をしていました。

彼はクメール語を話しますが、私はベトナム訛りのクメール語を十分に聞き取れず、また私自身もクメール語を上手に話せないため、意思疎通には苦労しました。しかし、文句ひとつ言わずにひたすら作業をしてくれたのでとても助かりました。叔母さんは義姉の家に掃除をしに行くお手伝いをしていました。
物やお金が度々盗まれるという状況にも関わらず、義姉は懲りずに彼女を家に招き入れるのですが、叔母に会った瞬間、何か変な感じがしました。
よく男性と一緒にどこかへ行く姿を見かけましたね。建物が完成するまではまだ時間がかかりましたが、彼女から「妊娠したので仕事に行かない」という連絡がありました。後にそれは全くの嘘だと知ることになりました。
そして、若い子が一人働いていましたが、この子は叔母の娘で、ほとんど育児を放棄されている状況で成人まで育ちましたと本人から聞かされました。
本当かどうかはわかりませんが、若い頃に結婚し、のちに離婚したと聞きました。そんなメンバーと一緒に約半年間建設作業をしました。


予備知識があればよかった


私は毎日現場に出向いていましたが、その時は建築知識もなかったため、ただ作業員の進捗を確認するだけの日々でした。
正しい方法がわからず、任せっきりでした。今、考えるとあの時に建設の予備知識を持っていれば、後の大きな補修工事で無駄なお金や時間を使わずに済んだのにと悔やんでも仕方ありません。
何事も経験で次に生かします。
足場には木材の棒を使いますが、折れないか心配です。作業員の服装はラフで、サンダルを履いています。安全基準が全く存在しない国ですが、幸い大きな事故はありませんでした。
レンガや重い資材は手前のロープを使って上階に運びます。レンガの積み上げは地味な作業ですが、基礎として重要ですね。写真では見えにくいですが、セメントを流して床も完成させてた…はずです。

右隣の灰色は他人のお家なんですが何故か私の作業員は壁をくっつけています。これはカンボジアあるあるなんですが、万が一、建物を壊すとなるとくっついていた部分はどうなるんだろう。不思議でならない。

この場所は玄関から奥にまっすぐ進んだ位置にあります。
写真左はお風呂場とトイレがあり右側には台所がありましたが思い切って壊しました。大量に出た瓦礫はどうしたんだっけ。

フランス建築に憧れて



木材で作られたドアは、私が想像していたものとは違っていて驚きましたがまぁ、仕方ない。例えば、フランスの建築で使われるような木製の窓みたいな感じでイメージを伝えたのですが、私のクメール語の理解力が足りなかったのかもしれません。完成するまでに何度も加工場に足を運び、進捗を確認しましたが、それでも長い時間を要しイライラしましたね。当時は、私の忍耐力が不足していたのかも。

内庭の水場にはビーズを埋め込んだが、正直あまり可愛くなかったです。
最初から立っていながら手を洗えるシンクを設置すれば良かったと後悔しました。

憧れの白基調の家具


ベッドフレームは海と雲をイメージした白を基調にしようと思って、木窓を作った木材屋で新たに追加注文しました。当時のシアヌークビルの家具屋には私が欲しいものはなく、妥協して買うのも嫌だったので、紙に図面や寸法と写真を見せて、ジェスチャーで説明しました。今思えば、必死だったんだなと思います。
結局、ベッドフレームの完成までにかなり時間がかかり、再びイライラが募り、当時記録していたアメブロに愚痴を書いていたかもしれません。
塗装が完全に乾いていない状態で二度目の塗装をしたのか、塗り方がまばらで仕事の雑さが呆れるほど目立ちました。
結局、この白いベッドフレームはある事情で義姉夫婦に売り渡すことにしました。

お部屋の壁とベッドの色合いは、迷うことなく白にしようと思っていた。

見た目重視に後悔


屋上には、貯水タンクとカウンターテーブルを設置しました。
夜空の星を眺めながらお酒を楽しむことができれば良いなと思いましたが、実現したのはこの時だけで他に実現することはありませんでした。
また、私が後悔しているのは、建物の見た目を重視して屋上に波板を取り付けなかったことです。その結果、雨にさらされてしまいました。
後になって、浸水によってお部屋の天井石膏ボードが剥がれ落ちて多くの補修工事に時間と費用を費やした。

写真がありますので、次のnoteに記録しますね。


今は手すりの色を青にしましたが2016年当初は白でした。これは自分で塗装したんだっけな。

浴室の水面台とシャワー。スタンダードな鏡。

現在使用しているトイレは2016年から使用。まだ故障していないが、一部屋だけ隙間から水が浸水しているのが確認できた。右側にあるのはお尻を洗浄する時に使うシャワーです。日本にもありますよね、自動の。名前はなんだっけな。こちらは手動であそこに当ててあらい流します。通常家庭にはテッシュが置いていないので拭かずにみんな濡れながらパンツを履くのかな?誰かに聞いてみたい。赤ちゃんのお尻を洗う時にも便利ですよ。

この建物が完全に完成したのは工事開始から6ヶ月後の2016年12月中旬頃だったと思う。年末年始にはお客様を入れたく毎日フルに動いて間に合うようにしたのね、夫が私に寄り添う助けてくれることは一切なかったので一人でほぼやり切りました。こうしてnoteに記録しておかないと私の記憶が薄れていくのが不安で。
この時、賃貸貸も検討していたので合わせて作ってもらったよ。

他に写真を探したが、全てのDETAを削除してしまったようですね。
ゲストハウスのライセンスも登録していざビジネススタートです。といっても告知などはせず、アメーバーブログとX(twitter)のみで発信していたので、誰の目にも止まっていないかも。

カンボジア年末


当時のシアヌークビルは観光客は増加するもの宿泊施設が足りない状態でした。年末年始やお盆、クメール正月になると事前予約していない観光客が真夜中に宿泊施設を探す姿をよく見かけました。良いカモが来たと、そのオーナーはやたら高い金額を提示するんですよね。ハイシーズンとローシーズンの違いってこんなに大きいのって感じ。それでも泊まりたい人はその価格を飲むしかない。

幸いにも、私の小さなゲストハウスにはカンボジア人とSNSを見た日本人が宿泊に来てくれまして、年末年始は満室でスタートしました。
お客様が帰った後はエレベーターなしの建物を上がったり下がったりして部屋掃除をしていたんですね、この時は清掃員を雇う金銭的余裕もなく一人で動いた。
昔憧れていたゲストハウス運営ですが、次第に利益と労苦が割に合わないことに気づいてしまいました。
それらを夫に愚痴ったら「そんなビジネスやめてしまえ」と解決策を提案することなく、一方的で意味不明な答え。妻としては夫の協力を得て二人で同じ方向を向きたかったのに、彼は一切の協力なし。今回は二度目の移住(過去に色々あった経緯についてはまた別の機会に)で、少しずつ夫婦間のズレと溝ができていきます。

この後、シアヌークビルは中華系の不動産投資が盛んとなり、大量のチャイナーマネーが流れました。シアヌークビルの産業は主に観光だったのが人間の手によって自然環境が破壊され、巨大なホテルカジノ施設が街のあちこちで建設されていきます。それらの従業員の宿泊施設が不足しているということで、2016年12月に完成したゲストハウスの建物を中華系に一棟貸しすることを夫婦で決めた。
内心、安定した収入を得れることでホッとした私もいました。


いつから不動産バブルなのかわかりませんが、恐らく2016年からでしょうね。
8部屋あった部屋の賃貸料相場は1ヶ月1700ドルでした。
当時の円価値がいくらだったかな、覚えていません。仮に、2024年7月現在なら26万8000円程度です。
2017年が終わる翌年の2018年は不動産価格が更に上がった記憶があります。
市街地はもちろん、街のあちこちの不動産は最も簡単に買い上げられる状態に。
住む場所を失った人々。
正式な賃貸契約書はあるのに無効になる事態で立ち退きを命じられた国民の怒りの矛先は政府と不動産を所有している我々にも向けられます。

2018年の賃貸料は一気に爆上がりし、1ヶ月3200ドルです。たったの8部屋で、日本円に換算したら50万と少し。
ちなみに、私が高校卒業し入社した会社の初任給は17万位で税金諸々引かれて13万だったのかな、もう、記憶ないや。実は、他にも2つ掛け持ちバイトしていました。若さもあり寝なくても平気でしたね。まぁ高卒で活かせるスキルなど何一つないからね、妥当な給料だよね、私が社長ならそうするかもね。

とにかく、2016年から2018年の上半期は異常なまでの不動産バブルでした。大量に増加した人口によって犯罪率も多くなったと報道されます。街中は大量のゴミ投棄で悪臭が漂ってもう最悪。特に雨季になると豪雨と共に道端に放棄したゴミが散乱し流れてきます。そのゴミの終着地は海に繋がり、環境汚染も半端なかった。

そしてついにXdayはやってきた。「不法オンラインカジノ摘発で大量の中国人が強制送還。」というニュース。
これによってシアヌークビルから人は消え、街は次第にゴースト化となりました。そして、私のアパートを借りていた彼らも夜逃げ同然でいなくなりました。さらに、都市計画の一つでシアヌークビル州の道路復旧・拡張プロジェクト、インフラ整備が始まっりこの街はさらにゴースト化し、廃墟建築物が目立ちました。
私のアパートもすごいことに。
次回のnoteに書きますね。

最後まで読んでくれてありがとうございます。

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そくあん
カンボジア、時に日本。 知らない世界を学ぶのが好き。カンボジア南部海辺街のシアヌークビルで暮らしてます。 皆様の暖かいサポートをお待ちしております。