「#16」死に近づく母の傍に
みなさま、こんにちは。カンボジアシアヌークビル在住のそくあんです。
前回のあらすじはこちらです。
いかがお過ごしでしょうか。
少し前に書き留めた私と、家族と、その長く美しい物語が続きます。
今後はカンボジアを軸に多岐にわたる内容を書いていきたいと思います。
それと、ずっと構想していたラジオ配信もはじめました☺
自分の声が嫌いでお喋り下手なのに無謀なことをしてしまったと、やや後悔すらしてますがモヤモヤした感情や、メンドクサイ内なる自分や、縛り付けていた何かを言語化したい。
この想いを誰かの言葉でなくて自分が感じたままに、自分の声で伝えたい。
あなたに、きみに、この想いが胸の奥深くに届くといいな。
そんな想いが高まった次第です。
URLは最後にのせてあります。
自発呼吸が困難
長期入院に切り替わった頃から自発呼吸が難しくなって表情が苦しそうな母親です。
できるならば衰弱した母親を直視したくない。のが、正直な気持ちです。
私が知る母親は一方的に大声で話したり怒ったり、それに反抗する娘。
もうその姿がどこにもない。そのやりとりもない。
彼女は「死への階段」に向かってます。
これは天国なのだろうか。
その世界に行けばこの苦しみから解放されるのでしょうか、
それともこの世に生きていたいのだろうか。
栄養輸液となる
最終的には人口呼吸器をつけるようになったもの、ケーキを食べたり食事も、固形物も口に運ぶことができましたが、次第に経口摂取が困難になり、身体に必要な栄養素を補給する栄養輸液に変わります。
果たしてこれで満腹になるのだろうか。
そんな疑問を感じながら母親と過ごした幼少期や中学生、高校生時代の記憶を遡ってみることにした。
感情豊かで涙もろい私は涙が溢れてしかたない。
でもそれを言葉にして伝えるのはできなかった。
そう、私たちは親子であっても耳と言葉の意思疎通が難しくて気持ちを伝えあうことは人生の中で一度もなかった。
というのは大袈裟だけど母親が難聴になってからは記憶がありません。
それに恥ずかしさや照れもあったと思う。
この時の感情がどこからくるか、自覚していることがあるので別の機会に書き留めておきます。
それからお水さえ飲むのも母親は拒むようになり、介護にあたる私たちも主治医も心配が尽きません。
回復見込みもなく症状は悪化するばかり。
母は一体どうなるのだろうか。
今日はここまでにしますね。
最後まで読んでいただきありがとうございます☺
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SOKOEUN