「#14」病院へ搬送された母
みなさま、こんにちは。カンボジアシアヌークビル在住のそくあんです。
前回のあらすじはこちらです。
あっけない人生だった
大和の定住促進センターを退所後、
両親の就職先が決まり、家族は神奈川県田舎町の小さなアパ ートを借りて、慎ましい暮らしが始まりました。 朝から晩まで共働き、慣れない日本生活はさぞかし大変だっ たと思います。
幼い兄弟を自転車に乗せ保育園まで送迎し、職場に向かいます。
反抗期や思春期に頭を悩ませながらも、3人の子供たちは成長しそれぞれが家庭を持ちます。
それまで仕事とお家の往復、子育てのみの人生しか知らない母にはお友達と呼べる人がいませんでしたが、同境遇で辛い体験をした彼らを毎週自宅に招きお料理を振る舞うのが人一倍好きな母でした。
定年退職が近づくに連れて余生を祖国で暮らす友人たちが増 えてきた中で、母は政権下の悪夢が未だに消えぬまま、というよりSNSで祖国の悪意ある情報を鵜呑みにしてしって、内戦が終わった今もカンボジアは危険な国で止まっているんですよね。
また難聴者である不安によって医療のことも念頭において日本で暮らす選択をします。
本当の意味で、仕事、子育てから解放され自由の身となりましたがこの頃から全身に異変を強く感じます。
そして、突然の心臓発作を起こします。
風が目を覚ますような寒さで吹きつける、2018年1月10日の こと。
完治しない難病になってしまった
パニックになる父親
大丈夫、大丈夫という母親の横でパニックになる父親。
救急車は呼ばずに自家用車で近くの大学病院に搬送します。
こういう時は女性より男性がめっぽうに弱い。
そのまま検査となります。
主治医の診断は「指定難病の全身性強皮症」でした。
聞いたこともない病名でおまけに難病指定とはなんでしょうか。
日本語の理解が不自由な両親はこの病気の恐ろしさをまだ知らずにいました。そういえば、
昔から冬になると節々で手先が浮腫み、紫色に変色したり、呼吸困難という自覚症状はありました。
「病院で一度検査したら?」という家族の声は母には一度だって届かない。
彼女は我慢強い女性で内戦を生き延びた人だ。
そのくらいの痛みはなんてことないんでしょうね。
https://note.com/sokoeun/n/n584fcbc75983
いつもの事だし、と気にせず過ごしていたある日、胸の苦しさを訴え発作を起こしたことで過去の前兆が点と点なり繋がったのです。
指定難病の全身性強皮症
簡単に病気の説明をすると、
この病気は手の指や足の指が発作的に血行障害を起こす現象か ら始まり、しびれ感、冷感、異和感、痛みなどの自覚症状をとも なっていきます。
次に皮膚が硬くなり色素異常、潰瘍が生じます。
皮膚の硬い変化が強い場合、乾燥、かゆみ、肘、膝、手首 などの関節に痛みや炎症を伴い、 消化器全般に病変があり胃酸 が食道に逆流して逆流性食道炎という変化が起こるようになりま す。
たしかに、食事の時に毎回「うえっ」となる母の姿を覚えていました。
まさか、それが病気の前兆だとは家族誰一人知らなかったのです。
次第に肺も硬くなり機能低下し 息切れ、慢性の咳、疲れやす い、階段が昇りづらいなどをひき起こしていきます。 腎の血管 が狭くなり高血圧も起こします。
少しの距離を歩くたびに呼吸が苦しいのは運動不足だからと、母に怒ったことがあります。
いま、思えばそれも病気の前兆でしたか。
なんて酷い娘なんでしょうか。ごめんなさい。
今日はここで筆をおろします。
最後まで読んでくださりありがとうございます☺
SOKOEUN