「人を愛する」って、「何を」愛しているの?
はじめに
私たちが誰かを愛するとき、何を愛しているのだろう。
例えば、僕の大好きな彼女がいつか認知症になった時を考える。
もう一生、僕のことを思い出すことができないとしたら、僕は彼女を変わらず愛し続けられるのか?
きっと答えはでないだろうけど、これを考えてみようと思う。
考えてみる。
例えば、一緒に水族館に行ったら、子供と並んでガラスに張り付いて魚を見ていたこと。美味しい麻婆豆腐を作ったら、「お店より美味しい!」と笑っていたこと。
この僕の目線からの思い出。例え彼女が認知症になっても、この記憶は僕の中に残り続けるだろう。
でも、2人だけの思い出は、これから先ずっと自分の記憶を辿ることでしか追体験できなくなる。彼女と一緒にふりかえって、どう感じていたかを聞くことができなくなる。
彼女にとって私がいなくなるだけでなく、彼女と話している時の自分は、失われてしまう。
だから、その時「これまでの自分」で彼女を愛することはできなくなる。
けれど、「これまでのあなた」を愛していたから、「これからのあなた」をまた違った自分でもう一度愛し直すのかな。
おわりに
「誰かを愛する」ということは、「誰かを愛している時の自分が好き」ということなのではないだろうか。
だからといって、その「私が愛している誰か」がいなくなったとしても、「私が愛す前の誰か」のことも愛し直すことはできるのだろうと思う。
すごくまどろっこしい書き方になっちゃったけど、じっくり読んでくれた方、ありがとうございます。