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コントロールしない、させない

おはようございます!けんちゃんです。

今日は「コントロール」についてお話します。

以前コロナ禍の時に、私がコンクール審査員を務めていたら

「こんな時期にコンクール審査員なんか引き受けて、医療関係者が可哀想だと思わないのか!」

と言われたことがありました。その時は罪悪感が募り「ごめんなさい…」としか言いようがなかったのですが、そのような感情も今では無くなり、そのように意見を述べた方とは縁を切りました。

なぜか?

「コントロールだった」事に氣付いたからです。

結局はその方がコロナ禍で思うように仕事が出来ない事に対する苛立ちを私にぶつけ、なおかつ私が仕事をしないことで安心するために半ば脅しのように(しかもコロナと言う、どうしようもない事を利用して)私をコントロールしようとしていた事に氣付いたから。氣付くのに私も3年近くかかりましたから、ある意味「自分で自分を洗脳してしまった」のだと思います。

震災の時も、コロナの時も同じでした。

「〇〇が可哀想だと思わないのか!」

と苛立ちを他人にぶつける人は、実は

「私だって好き勝手に生きたいのに、我慢しているんだ。しかしあいつは我慢もしないで好き勝手に生きている…許せない」

と言う感情に縛られています。そして他人を攻撃する事で自分の精神を保とうとしますが、実は他人ではなく、自分自身を攻撃しているので、対象となる攻撃者が変わったとしても、自分を許さない限りずっとその感情の奴隷のままになります(これがいわゆる「生き地獄」だと、私は解釈しています)

また「見えない世界」ざっくり言うとスピリチュアル全般についても、価値観が変わりました。

私は「見えない」「聴こえない」のほうなので、宇宙人とか、UFOとか、守護霊とか、龍神様とか、特定の宗教とかには傾倒していませんが「うっすら感じる」ことは出来ます。

その「うっすら」を「はっきり」したくて、様々勉強はしたものの、何か違和感がありました。

宇宙人とコンタクト出来る人はもちろん素晴らしい事だし、神様の声を聴けるのも、それで人助け出来る事は非常に尊い事だと思います。

ただ、その能力を使って誰かにマウントしたり「地獄に堕ちる」などと恐怖で人をコントロールしたり、感じない人を仲間はずれにしたり、逆に能力ある者同士がお互いの悪口を言って争っていたり、ビジネスに使って搾取したりする事例も多々見てきたので「スピ系」に嫌氣が差していたのですが、そんな中、巡り会えた本が「地球大暴露」でした。

超現実主義の方や、私みたいに「見えない、聴こえない」
と言う方にこそ、オススメかもです!

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