好きな作家
好きな作家や本の話をしたいと思います。
好きな作家が自分と同じという人は、身の回りにはあまりいません。きっとどこかにいるはずの、本の趣味が合う人に届くことを願って。
①J.D.サリンジャー
私のもっとも好きな作家はJ.D.サリンジャーです。何が好きなのか細部を取り出して語るのも気が進まないくらい全体として好きなのですが、あえて挙げるとすればこんな感じです。文体、散りばめられたユーモアのセンス、死を強く意識していること、イノセンス、描写の巧みさ…。
もちろん、作品単体で見ていくと好きじゃないものもあります。ハプワースなんとかとか…。
作品としては『フラニーとズーイ』が好きです。そして2021年に『謎解きサリンジャー』が出版されたときには歓喜でした。
『謎解きサリンジャー』は小林秀雄賞を取りましたね。
②P.G.ウッドハウス
高校時代ウッドハウスにはまり、バスの中、電車の中、授業中、家に帰ってからも、どこでもひたすらウッドハウスを読んでいました。やみつきになるんですよね、ウッドハウス。
美智子さまがどこかで話題にされたことで、一瞬ジーブスが書店で平置きされるようになったのを覚えています。
美智子さまが読んでいらっしゃるということで高尚な本だと勘違いされた方が多かったのかもしれません。ところがジーヴスはアホな貴族と賢い執事のドタバタコメディで、毎回毎回同じような話だし、警察官のヘルメット盗んで捕まるみたいなバカな話ばっかりなんです。
だから、ジーヴスを読みます発言は高度な皇室ジョークですよね。貴族を風刺するような作品を、くだらないバカ話を、やんごとなき人が読んでいるという面白さ。
ウッドハウスは単純に面白くてダラダラ読んでいられる一方、急に絶望を感じさせてくることもあります。それは、日本人凡人読者に立ちはだかる、英語圏の重層的な教養の壁です。シェイクスピアや聖書を間違ったかたちで引用するようなジョークがぽろぽろとあり、その笑いを理解するのが難しかったりするんですね。じゃあシェイクスピア読むか…となって読書の幅が広がるかも。
③L.M.モンゴメリ
言わずと知れた『赤毛のアン』の作者です。中学時代に夢中で読み、アンブックス全巻をすぐに読破して、何回も何回も読みました。
赤毛のアンも私にとっては英文学への招待みたいな位置づけの作品です(カナダ文学ですけどね)。とにかく引用が多い! シェイクスピア、ワーズワース、バイロン、ディケンズ、なんたらかんたら…。中学生だった私はできる限り全てを理解したいと思い、引用っぽい意味不明な箇所を見つけてはググるということをやっていました。時代背景を知りたくてググったり(今思うとググらないで専門書読んでみればとアドバイスしたい)。
赤毛のアンは、私にとってはレトリックと人物描写が魅力でした。アンという主人公が「とにかく言葉に長けている女の子」なので、一つ一つのセリフが豊かなんですよね。情景描写は子どもの頃はよくわからなかった。カントリーサイドのゆるふわガール物語みたいな感じに世間で思われているのも、私としてはちょっと悔しいです。もちろんそう読んでも楽しいんだけど。
ただエミリーシリーズや『青い城』など、アン以外の作品は正直微妙です。そう考えると私はモンゴメリファンというよりシンプルに赤毛のアンが刺さっただけなのかもしれない。
④穂村弘
歌人・エッセイスト。異常なまでの感性の鋭さと言語センスの高さが好きです。掲載媒体や内容によって文体を使い分ける引き出しの多さにも惚れ惚れ。
どう表現すればいいのか難しいですが、生存に対しては無力とされるものへの愛と、生存に対して無力とされるものを愛することの生きづらさ、みたいなものを多くの作品に感じて、それが好きです。それは芸術が好きな人なら多かれ少なかれ共感できる発想ではないでしょうか。
⑤村上春樹
別に好きじゃないしと思いながらも結構読んでいるので、たぶん好きなんじゃないかと思います。やっぱり主に言語センスが好きですね。
そして村上春樹の文学的本能の鋭さみたいなものにも惹きつけられる。個人的にはですが、村上春樹は理屈で書いている感じがあまりしてこないんですよね。よく海外文学っぽいと言われますが、英米文学にありがちの製図みたいな緻密さ・計算され尽くしている感じはあまりしない。「フリーハンドの色鮮やかな抽象画」みたいな魅力を感じます。定規の線がないんです。
そういうフリーハンドの素敵な絵を描くには、自分の生まれ育った環境や生活を小道具みたいに散りばめて支えにすることが多いと思うんですが、それもない。そこが不思議で惹かれます(自分でも何を言ってるかわからなくなってきた)。
ここまで読んでくださりありがとうございます。もし趣味が合いそうな方がいれば嬉しいです。