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暮らしに句読点を
毎日22時くらいまで残業していた時期、ある夜ベッドに倒れ込んだ瞬間に突然こんな言葉が頭に浮かんだ。
「暮らしに句読点がほしいな……」
自分の生活がまるで句読点のない文章のようだと思った。
目覚める支度する家を出る仕事する残業する帰宅する夕飯てきとうに食べるお風呂に入る髪を乾かすてきとうに家事をする寝るまた目覚める支度するーーエンドレスに溢れでてくる、息継ぎをする暇もないひどい文章。
こんなはずではなかった。
たとえるならば私が望んでいた暮らしは、すきなところに自由に句読点を打ち、心地よいリズムで読める文章のようなものだったはずだ。
目が覚める。お湯をわかして、紅茶を淹れる。植物に水をやる。朝ごはんを食べて、一日の計画を立てる。毎日少しずつ違っている街の風景を楽しみ、肌で季節の空気を感じながら、通勤する……。そんなふうに。
「句読点」という比喩を思いついたのも偶然ではないのだろう。
きっと私は別の意味でも句読点を求めていた。
それは「もっと言葉に触れたい、本を読みたい」という気持ちの現れだった。
本をたくさん読んで、自分らしい暮らしを送りたい。
それがふとした瞬間にこぼれた「暮らしに句読点がほしい」という願いの正体だったのだ。
こちらの記事につづく
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