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「心の自動安全装置」を、わざわざ外すことができる人
人間には、生まれながらに「心の自動安全装置」みたいなものが備わっているのだと思う。
人間も生きものである。生きものはたぶん、基本的に生きやすく設計されている。個の生命維持や種の存続を達成するために。
ささいなことでいちいち傷ついたり、悲しんだり、悩んだり、落ち込んだり、罪悪感を抱いたりすれば、生きるための効率が非常に悪くなる。
お金を稼ぎに行けなくなるかもしれないし、食事がのどを通らなくなるかもしれない。それでは、とても生きづらい。
だから、基本的には「心の自動安全装置」が自動的に作動する。そして、あらゆるできごとの受け止め方を、自分が生きやすいように自動変換してくれるのだ。
たとえばこんなふうに。
傷つかないために、感情を無視する。
悲しまないために、思考停止する。
悩まないために、誰かのせいにする。
落ち込まないために、気づかないふりをする。
罪悪感を抱かないために、自分を正当化にする。
そうして立ち止まらないようにする。立ち止まらず、今日もお金を稼いでごはんをしっかり食べていける。
心の自動安全装置が作動している人々のおかげで、社会は効率よく回っているのかもしれない。
だけど私は、せっかく備わっている心の自動安全装置を破壊してしまう人のことも好きなのだ。「こんなところに、こんな装置があったのか!」と気づいて、わざわざ外して、投げ捨ててしまう人が。
装置を投げ捨てた人は、できごとを別のかたちで受け止められる。
「心の自動安全装置が、傷つかないために感情を無視していた。でも私は本当は今、深く傷ついているんだ」
「悲しまないために、思考停止しかけていた。でも本当は報われなくてとても悲しい。寂しい」
「悩まないために、あの人のせいにしていたのかもしれない。きっと私にも問題はあった」
そうして、一時的には立ち止まってしまうかもしれない。効率が悪く、生きづらくなるかもしれない。でもそれを経験すれば、やがてもっと幸せになれるのかもしれないと思う。
嫌なことに直面するたびに心の自動安全装置でなんとかしていく対処療法的な方法ではなく、根本的な解決を望めるようになるだろう。
最近「生きづらさ/生きづらい人」という言葉をよく見かける。たぶん、「そんなことでいちいち悩んでたら生きていけないよ」みたいなことを言われるようなタイプを指しているのかと思う。
でもその「いちいち悩むこと」も強さのひとつではないだろうか。それは、心の自動安全装置を外して恐ろしい現実に直面する強さだ。
もちろん、生きづらい人の悩みを矮小化する意図はない。「あなたは本当は強いんですからもっとがんばってくださいね」ということが言いたいわけでは決してない。メンタルの不調で深刻に苦しまれている方もいて、その苦しみを他人が軽視するのは絶対に許されないと思う。
そもそも、「装置が動作している人 or 外す人」と人間をきっぱり分けられるわけでもないだろう。きっと人それぞれ、そのときどきで対応が異なるのだと思う。どちらがよいも悪いもない。
ただ「悩んだり傷ついたりしやすい=弱い」という考え方に、疑問を持った。
*
傷つくべきときに傷つけなかった人々が出てくる映画。
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