ソケリッサとの出会いを通して
#10 山下幸治(新人Hソケリッサ!)
ソケリッサに入って4年と半年になります。 ソケリッサと初めての出会いはちょうど神保町で10周年ツアーで寺尾紗穂さんのコラボ。 あの時の感動を今でも忘れません。この人達の様な踊りをしたい、この人達と一緒に踊りをしたい、という思いと同様に承認されたい、モてたい、お客さんの拍手良いなあなど、色んな感情が心の中を動かしました。
最初、ソケリッサメンバーとして、どう表現していいか、どう踊っていいかわからなかったので、見よう見マネでなんとかなると自分なりに変な自信を持っていました。 しかし、色々な本番を重ねるごとに他のソケリッサメンバーに圧倒されました。 なんというか、凄い、深いなというか、踊りに人生があるなというか、 自分にできるのかなとか疑心暗鬼になることもシバシバ。 ソケリッサメンバーとして、まだまだ未熟な自分です。 ソケリッサメンバーは面白くて個性的な人がたくさんいます。 いつも皆が言っている言葉は、なんとかなる、なるようにしかならない。気にしない。 駄目な自分を受け入れるなど、 人間らしいなと本当に思います。
これからもソケリッサメンバーよろしくお願いします。
(山下幸治)
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実はヤマシタさんとは良く「存在」について語り合います。僕が重要だと感じているのは、認められる存在、認められない存在、どちらがどうなどでなく、いかにそのままの姿の延長でいるかどうかだと思っています。この世の中、仕事や生き方にしろもてはやされるような形式化されたものを身につけることが正しいように思えてしまう世の中ですが、良いと思い込んだものが、自分に備わる生きてきて染み込んできた特異さとかけ離れたものであればあるほど、身体は悲鳴をあげ始めて自分の存在を問う苦しみに飲まれていくように思えます。我々の踊りも同じく、ソケリッサ!を偏った形式で固めてしまっていたらきっと素人の発表会という認識で活動はすぐに終わっていたように思います。やり方にはかなり苦しみましたが一人一人がその身体でただできることを形にして、自身という歪なままの「存在」をいかに動きや形に落とし込めるかに傾倒できたからこそ、それが魅力となり継続という今があると強く感じています。過剰な情報の波に揉まれ山下 さんと言葉を交わしながら、いろんな鎧のようなものを身につけることに必死になってきた自分を振り返り、何かを捨てた身体に芽生える可能性を強く感じます。
(アオキ裕キ)