「私の周りにはカッコいい大人がたくさんいるんです。」


私の周りにはカッコいい大人がたくさんいる。

ともかく、カッコいいのだ。

単に見た目がいいとかじゃない。

それなら私は「美形」とか「美人」って書くから。

ここで言う「カッコいい」は「粋」に近いとおもう。

「粋」って言っても、その道の人たちじゃないよ。

粋、っていうのは「自分を体現している」×「美しさ」の形なのかもと思う。

歳をとったから…

結婚してるから…

お母さんだから…

仕事があるから…

なんて言い訳は、彼らに存在しない。

そんなものは当たり前にあるんだもの。

その上で、彼らは自分を体現し続けてる。

言い訳をするなんて、辞書にないみたい。

批評家でもなく、分析家でもなく、行動家な彼らに出会うことは、

私の奮い立たせてくれる。

ああ、あんな風に歳を重ねる生き方をしよう、と勝手に鼓舞される。

ありがたいことに、十代の頃からそんな大人に出会い続けてきた。

おかげで歳をとることに恐怖でなく憧れを抱くようになった。

あんな風に生きれるなら、おばあちゃんになるのも悪くないって思う。

若くてぴちぴちも、もちろん可愛くて素敵だけど

「粋」ほど囚われるような魅力はない。

「粋」は年齢問わず、自分で育てることができるから。

それって限りがないこと。

つまりは無限だ。

無限を自分で生み出せるなんて、最高じゃないか。

だから

カッコいい大人は、最高なんだ。


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ブログ再掲です。
オオバナソケイです。
書くことが少しずつ自分の体に染み入ってきたような感覚を
覚えます。
日々模索、日々積み重ね。

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