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人を変えてやろうなんておこがましい|変えるのは自分から

教員生活36年目のそいです。
自分でいうのも何ですが、振り返ると熱血教師してきたなと感じています。
今も、熱い血は流れています。
だけどね、結論から言うと、
人を変えてやろうなんておこがましい
と思うのね。
なんでそう思うようになったか。
今回はそのことについて話したいと思います。

ただし、センシティブな内容も含むで今回は有料記事にさせてもらいます。



全校児童20名の僻地1級の複式の小学校に赴任したのが、平成元年。

オホーツク海に面した小さな田舎町。

右も左もわからない。
まっさらな新卒23歳の私は、とにかく全力で事にあたる熱血青年だった。

男子5名女子2名形7名の初担任。

小学校3年生と4年生の初授業。
しかも算数と国語は複式(2学年の授業を同時に行う)
そんな名人芸的なことなんて、初の担任でできるわけもなく、撃沈の毎日。

それでも若さとバイタリティーで地域の青年とも仲良くなり、気がつけば、あっという間の6年に。

当時の学習指導要領は「ゆとり教育」で、ベテランの先生方からは、「ゆとり教育の賛否両論のご意見を頂戴しながらも、モヤモヤと試行錯誤の毎日。

悩みに悩んだ新卒3年目で、天から降りてきたかのような確信が自分の中に湧いたのが
子供達の心の根っこを育てる
というワード。

当時、教科の内容を教えることに躍起になるも、授業技術も乏しく、子供達が退屈そうに授業を受けているのをなんとかしたかったのです。

想像してみてくださいよ。

たった七人しかいないのに、退屈そうにされている我が身を。
もう生き地獄です。

だから、なんとか子供達が喜んで授業を受けられるようにと、子供達が食いつきそうなオモシロネタの実践を探す毎日。
しかし、上部だけなぞってやってみたところで、所詮は単発の打ち上げ花火みたいなもの。

しかも、小学校は全教科教えなきゃならないから、生徒が食いつくネタ探しをしながら授業の準備をするなんて物理的に不可能でした。

万事休す。

と諦めたその時に降りてきたのが

心の根っこを伸ばす!

というメッセージ。

そもそも教師が教え込もうと躍起になっても、子供たちは学ぶ必然性を感じてなければ意味がないのではないか!

ならば、何のために学ぶのか?!

そこを最初に徹底的に話し合ってみよう。
そして、授業は自分たちが学び合うもの。
教師はその手伝いをする立場。

そんなコンセプトが自分の中で固まったのです。

先生は何も教えてくれない

夏休みを直前に控えた1学期最後の参観日。

子供達との授業も、「自ら学ぶ」スタイルにシフトして、自分なりには大いに手応えを感じていました。

どころが、授業後の懇談の保護者の表情が一様に固い。

なんかやばいな😅

そう思いながら、

お母さん方から何かありますか?

と話題を振ったら、

「先生は何も教えてくれない」
「先生に見放された」

そう子供たちが言っていると苦情の集中砲火。

子供達との関係も、保護者との関係もうまくいっていたと思っていただけに、思いっきり足元をすくわれた感じでした。

私は、なぜこのようなスタイルに変えたのかを丁寧に説明しました。

まず、見捨ててはいない。
そこは明確にしつつ、以下のことを保護者に伝えました。

・これからの時代、自ら学ぼうという意欲こそ大事だと考えている。その意欲を育てるには、学ぶ必然性を感じなければない。
だから、年度初めのオリエンテーションでは、徹底にその教科で何を何のために学ぶのかを徹底的に話し合わせた。
・学び教えあうところで、教師のサポートが確かに足りなかったかもしれない。そこのところはお詫びしたい。しかし、子供達が自ら学んでいくスタイルは変えない。ここは曲げずに貫きたい。
なぜなら、自ら学んでいける心の根っこを育てることが、これからの人生をよりよく生きるために必要だと考えているから。

・年度終わりの子供達の成長する姿に期待してほしい!

必ず成功するなんて言えない。未来のことなんて誰にもわからないから。
でも、これでやる!
そう決めたからには、今後に期待してほしい!

と大見栄を切った形で懇談は終わりました。

保護者の反応はというと、

まあ、先生の考え方はわかったけど…
そこまでいうのなら、様子をみてみようかしら。

こんな微妙な反応だった記憶しています。

果たして結果はいかに!?

心の根っこを伸ばすスタイルに自信!

結論はというと、
ほら、いい感じになったでしょ?
と安堵できる形で年度を終えることができました。

子供達は一生懸命学び、私はそれをサポートする。
そのバランスがいい塩梅に行ったのだと思います。

保護者も子供達も笑顔で年度末を迎えることができました。

新卒6年。

心の根っこを伸ばす!
という教師としての核が私の中に出来上がりました。

この核を財産に、念願の中学校へと異動となりました。

教科の授業でもベースは心の根っこを伸ばすこと


初めての中学校の授業で、私は専門の社会科を担当。

受験生を受け持つことで、小学校の時とは違ったプレッシャーを感じていました。

その他にも、学校規模も十倍以上に大きくなったことや初の中学校の授業で、一から教材研究が必要だったこともあり、戸惑いもありました。

しかし、念願のサッカー部の顧問になって、バリバリと部活動がやれたことで、思う存分自分の持ち味を発揮できたのも事実。

いわゆる『熱血』スタイルではありましたが、生徒たちとも良好な関係を築き、自分でもいうのも何ですが、「良い先生」だと思っていました。

ところが、そんなふうに調子に乗っていると、冷や水を浴びせられるような出来事って起こるものなのです。

「良い先生の自信」はその一言で木っ端微塵に砕けた

受験も差し迫った3学期のとある日。
中3男子生徒にこう言われたのです。

あんたには、何も話したくない!消えてください!

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