思い通りにいかないことばかり?大丈夫よ!人生はいつだって完璧だから!|人間万事塞翁が馬②
note街の小さな商店街 ようこそ虹色通りへ。
今回の担当は私、そいが務めます。
ここでちょっと虹色通り🌈について説明させてください。
さて、前回は思い通りにいかないことも、実はなんとかなっているものだよね。
という話でした。
今回はその続きになります。
どうぞお楽しみください!
初めての一人暮らしは寂しい
小清水町は、実家から4時間はかかるオホーツク海から内陸にまたがる人口7000ぐらいの町(平成元年当時)。
血気盛んな20代前半の若者にとって、田舎暮らしは正直キツイ!
もうその思いしかなかったんです。
実際に、コンビニもない。
だから、9時をすぎて、何かを買いたくなったら1時間以上かけて、北見市で買い物。
と、それは表向きの理由であり、本心は『寂しさ』だったのだと思います。
考えてみたら、それまでの人生大学浪人の1年間だけ、自宅を出ての下宿生活を除けば、ずっと自宅暮らしだったわけで。
人生23年にして初の一人暮らしだったのです。
振り返ってみると、札幌での下宿生活だって、大家さんの家族もいるし、下宿生(同じ予備校に通う年上の男、単身赴任のサラリーマン、高校生)と顔をつき合わせてご飯も食べてました。
何かと気を使う面はあったけど、大家さんの人柄のせいなのか、大家族で暮らしているようなアットホーム雰囲気の下宿でした。
めでたく大学に合格し、下宿を出てからも、大学の4年間は、サッカーの試合で札幌に行った際には、お土産を持って顔を出していたぐらい、思い入れのある下宿。実家を出ても、人のぬくもりの恩恵を受けていたのでしょう。
親のありがたみに気づけなかった大学時代
めでたく合格したのは地元の教育大学。
一人暮らしの選択は最初からなく。自宅から4年間大学に通いました。
部活とバイトに明け暮れる大学生活。
そんな私に対して、母は毎朝・毎晩食事の準備をしてくれました。
病院の給食を担当してた母は早出の時には朝の5時には家をでる。
そんな時にも、きちんと朝食が準備されていたのです。
これがどんなに大変でありがたいことか。
今ならわかりますよ。今なら(笑)
いや、大学生にもなって、分かれよ!
当時の自分にいってやりたい(笑)
朝食・夕食は準備されていて当たり前の感覚でした。
友達と遊ぶ約束が入り、ご飯がいらなくなっても、連絡すらしない。(携帯電話もないしね…言い訳)
そんな私に対して母は、どんなに夜遅く帰っても、
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