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恐れに従うか、喜びに生きるか
時間が過ぎるのは早いもので、もう10月です。
暑さもすっかり和らぎ、過ごしやすい日が続いています。
夜寝る時に聞こえる虫の鳴き声も変わってきましたね。
前にも書きましたが、全体では大きな流れがうごめいています。個においても世界においても、誤魔化しはあっという間に暴かれ、そのものの本当の姿が露わになります。
わたしも日常において人と相対する時に、自分についても他者についても、使う言葉や雰囲気で本音がどこにあるかを大変敏感に察知しています。損得勘定等の打算的選択で物事が上手くいくことはもう無理な世界だなと実感中です。おそらく同様に感じている方々も多いのではないでしょうか。
正直な心の交流ができない人とのお付き合いは、もう続かないですね。
我慢して付き合うと体調が悪くなったりするのは前からありますが、そうなるスピードがこれまでよりもっと速いと思います。
それは、常に正直でいることを自分が自分に求めているからです。
打算や誤魔化しによる言動は心や意識を濁らせ、負を引き寄せます。
他者や世界に対して「嫌だな」「もやっとする」といった心の声は間違いなく正しいです。相手が正直であってもそう感じるなら、それはただ合わないだけですので、どちらかを責めることなく静かに離れるのが吉。
これまでの世界は『恐れ』を利用した支配が優位でしたが、その支配が終わる過渡期を私たちは生きています。ですから、まだ『恐れ』によって動かされる人も多い状況ではあります。これまでの世界を生きてきた人たちにとって、『恐れ』を手放して『自身の喜び』を選択した生き方に変えるというのはとても勇気がいるだろうと思います。『恐れ』は、日常で不安に思っていること、例えばお金の事とかを絶妙に刺激しますから。
しかし人の真に幸せな状態とは、物的ではなく、精神的充足感を得られている状態です。そのためには外側から煽られ生じる『恐れ』を手放さないといつまでも精神的充足感は得られないし、不足感を世界にぶつけ続けます。またその”自分の不幸や不満は世界のせい思考”は、自らを”恐れの従者である”と認めているのと同義なのです。
覚醒によって起こる一側面は、自分にとっての喜び・何が大切かを知っている状態で生きることを選べるようになることです。
実際においては、『恐れ』を煽る世界や他者に対して飲まれることなく「煽ってんな~」と距離を置いて見れるようになります。支配しようとするものに肩透かしを食らわせるという感じ。
自分と世界を健やかな精神で眺められるようになること
いま、けっこう大事ですよね。