So-ro
はじめてMOROHAを聞いたのは大学3年くらいだった。2015年くらい。大学のボート部に所属していた僕は、スマホの中で叫ぶアフロに見入っていた。 「ごめんな友よ。俺はもう行くよ。居酒屋だけの意気込みじゃゴミだ。」 夢を語るだけでなく行動せよというその言葉は、部活で練習に取り組む日々だった僕に、ストレートに、それはもうまっすぐに突き刺さってきた。そして、頑張れた。最後には身体がぼろぼろになるまで。挫折しそうなときは何度もMOROHAを聴いた。それが僕のスタンダードだった。 そ
僕は学生時代、ボート部に所属していた。 ボート。日本ではあまり馴染みのないスポーツだ。 主に大学スポーツとして日本全国のオアズマンたちが日々想像を絶する厳しい練習に励んでいることはあまり知られていない。 馴染みがないことからも御察しの通り、大学卒業後、選手として活動する選手はごくわずかだ。多くの選手は引退し、それぞれの道を歩んでいく。 そして、引退後、オアズマン達が必ずぶつかると行ってもいい問題がある。 それは、「ボート競技を通して得たものをうまく言語化できない」、と
https://realsound.jp/2018/10/post-267803.html 良記事。 山田智和氏の作品の研究もしよう。
「うまい飯」とは、いったいなんなのか
ぐちゃぐちゃに絡まったイヤフォンを解く時間が、何よりも愛おしい
無限の空間のなかには、悲劇の気配が宿ることもある。
死ぬのはよくない、ってのはなんとなくわかったつもりでいるけど、生きなきゃならない理由がどうしてもわからない。みんななんで朝起きて「よし今日も頑張るぞ」と思えるのか。なぜ眠り、なぜ食べ、なぜオナニーをし、欲求を満たす必要性があるのか。子孫を残すことになんの意味があるのか。生命としての義務?誰に要請されている?結局社会じゃないのかそれって。社会って人間が作り出した虚構でしかなくって。その虚構の上で生かされているとしたらなんと虚しいことか。人が生きる意味ってそんな無機物的な冷たいも
じぶんが、あなたが、せかいが、すべてが、 存在する意味がわからない。 そこに意味がないと存在しちゃいけないんだよ。
第三者視点 ○東京23区内どこかの路上(新橋あたり、夜) 地面におびただしい量の血が流れている。人が集まっている。救急車と警察のライトがやかましいくらいに瞬く。 刑事AとBが血の出どころへと歩み、合掌。 刑事A「、、こりゃひどいな」 刑事B「自殺、、ですかね」 刑事A「ああ、おそらくな」 刑事A、首を上に向け、ビルの屋上を睨む。 刑事B「制服だったってことは、、」 刑事A「学生、それも高校生だとよ。ったく今時の高校生ってのは何考えてんのか。。」 刑事B「ちょ
1、地方の老舗和食料理店(内) 綺麗に並べられた料理の皿を前にして店主(厨房内)とバイト(ホール側) 店主「来ないな・・・」 バイト「来ないですね、近頃よくあるみたいですよ、こういうの、この前もツイッターで見ましたよ」 バイト、目の前の刺身の盛り合わせの少しをつまみ食いする。 店主「ったく、近頃の大学生ってのはキャンセルの連絡もできねえのか。。この料理、どうしろってんだい、、」 バイト「腹たってきましたね、いっそのこと、ネットに晒しあげてやりましょうか。」 店主「
ひとりでいるのは好きなのに、 孤独でいるのは好きでない。
爪を切るとき、生を実感するとき。 時間性、身体性をもっとも顕著に表している。 (自らの手で切るという所作において散髪とは異なる)
嫌い、はいいすぎた。 「あんまり好きじゃない」、くらいかな、他の季節に比べると。 これを人に言うと、 「え、意外」 「夏、いいじゃん、なんで?」 「遊べるし最高なのに!」 みたいな反応をされる。80%くらい。 ほう、そんないみんな夏が好きなのか。 各季節に対する僕の印象はこうだ。 春は、寒かった冬もおわって、これからだんだんあったかくなっていく。花も咲きだすし、これから何かが始まるって感じがして好き。 秋は、暑い夏も終わって、また過ごしやすくなる、食べ物も
どんな形であれやりきること。 やることでしか得られないものが絶対にある。 どんなに苦しくても、どんなにアウトプットの質が低そうでも。「やりきる」。 そしてまずやりきった自分を褒める。そして詰め切れなかったところをしっかりと反省する。 そうして次に進んでいけばいい。 心に余裕を、人生に刺激を。 So-ro #エッセイ