不便さが交流を生む
京大卒元メガバンカーの総一郎です。
年末年始、みなさんはどのように過ごされただろうか。
年明けに会った人に聞いてみると、親と兄弟と食卓を囲むも、なんとなくみんなでテレビを見ているだけで会話も乏しく寂しいものだったと寂しげに語っていた。
みなさんはどうだっただろうか。
#写真は1月10日まで期間限定のFENDIカフェ
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▼不便さが交流を生む
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僕は実家に帰ったが年末特番を見るでもなく、お墓参りというイベント以外はいつも通り過ごした。
最近実家に帰るときはいつも娘を連れていたが、今回は久々に娘を連れずに実家に帰ったので食卓を囲むのは僕と父と母の三人。
父はいつものようにテレビをつけて食事をする。
テレビがついているものだからなんとなく「間」が保っているし、会話が生まれるとすればテレビの内容に関連するものになりがちだ。
先日の『議論に勝ちたいのか幸せになりたいのか』という記事にも書いたが、テレビに関連する内容を話すだけなら良いのだが、我が両親はわざわざ議論までしてしまう。
https://note.com/soichiro_k/n/n25542a6cc828
議題は「地球温暖化」だった。
せっかく久々に家族が集まったというのに寂しいものだ。
「最近どうしてるの?」とか、お互いの近況を話し合った方がどれだけ心豊かになることだろうか。
ただ、毎日顔を突き合わせている家族、久々に会う家族に改まってそんなことを聞くのがこっ恥ずかしいというのも分かる。
だから必要以上に会話をしなくて済むテレビに逃げてしまうのも分かる。
会話をしない良い「言い訳」がテレビだ。
テレビがついていながらわざわざ「最近どう?」なんて話題を振るのは非常にハードルが高い。
そんなことは恥ずかしがっている場合ではないのだが、今回も「ヒューマンエラーではなくシステムエラー」だと考えた方が良い。
そもそも「テレビ」をつけているからそうなるのだ。
テレビさえついていなければ、それこそ「間」が保たないので、「間」を保たせるために苦し紛れに「最近どう?」なんて話題が飛び出してくる。
受け取った側も、「なんだよ改まって」なんて照れ隠しをする余裕などない。
むしろ「間」が保たせるために質問してくれてありがとうと思う人もいるだろう。
「テレビがついていない」ということがお互いにとって会話をする「言い訳」になってくれるわけだ。
この「不便さ」「居心地の悪さ」こそが都合の良い「言い訳」を作ってくれて、そこに交流が生まれる。
この仕組みをキングコングの西野亮廣さんは上手く利用してスナックを設計されている。
絵本・映画『えんとつ町のプペル』の作中でも登場する「スナックCANDY」というスナックは現実世界にも有る。
そのスナックは入口で携帯電話を没収されるのだ。
入店したお客さんはスマホが無いものだから誰かに話しかけるより他無い。
話しかけられる側も「なに!?この人急に話しかけてきたよ…」なんてことにはならない。
お互いスマホが無いのだから、よくぞ話しかけてくれました!となるのだ。
スマホが無いという「不便さ」が、お互いが話しかける都合の良い「言い訳」になってくれる。
そこに交流が生まれるのだ。
「言い訳」が有るから普段は出ない勇気も出て話しかけることが出来るし、初対面の人とでも話すことが出来る。
この「言い訳」をうまく設計してあげるのが大事そうだ。
以前『母がテレビを見なくなった件』という記事で書いたように僕もかつては実家のリビングのテレビのテレビ線を封印したこともあるのだが、
https://note.com/soichiro_k/n/n0aad45e1b111
もし家族との交流がもっと有ったら良いのになぁと心のどこかで嘆いている人がいたら、まずはテレビのコードを奪い「言い訳」を作ってあげると良いかもしれない。
それで受けるであろう大ブーイングよりも、それで得られる交流の方が何倍も何倍も価値が有るはずだ。
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