クリスマスが今年もやってくる
クリスマスなので、粘土で彼女を作った。 日本の神様は矛で海を捏ねて国を作り、僕は粘土を捏ねて彼女を作った。ユダヤ教におけるゴーレム、ギリシャ神話におけるガラテア、ヒンドゥー教のガネーシャ。古今東西、粘土とか垢とか、全く生命力の欠片もないものから作られた伝承は多い。その一端に僕も加わったと言うだけの話なので、別に物珍しくもないだろう。
口でも作るか、と顔のあたりをグニグニと触っていたらその窪みが口と判定されたようで「やめて」 と彼女は初めて言葉を発した。喋った! どういう仕組みなのか。人造人間といえばホムンクルスかフランケンだから、彼女を「ほむ」と呼ぶことにした。萌え豚みたいだから「フラン」にした方が良かったかも、と彼女に言ったら、「フランも大概だよ」と言われた。
それから二週間が経って、粘土の彼女に何ができて、何ができないかあらかた把握した。早起きは苦手らしい。寝ぼけ眼の彼女に僕は簡単な朝食を作る。消化の仕組みがどうなっているのか分からないが、ぼちぼち食事を楽しんでくれる。
イブ当日、張り切って地元の小さな遊園地にやってきた。連れ歩く分には問題がないが、ジェットコースターに乗る想定はしていなかったのでどこか欠けたり取れないか心配だったが、コースターの速度と回転に僕が呆然としているときにも、彼女はケロッとしていた。良かった。胃のひっくり返った僕の横で彼女はチュロスを食べていた。
やがて日が沈んだので観覧車に乗ったら、頂点付近で彼女は急に崩壊した。僕は突然のことに、粘土に冬場の外気は乾燥しすぎたか、と呑気な推測がよぎったほどだ。
「クリスマスが今年もやってくる 楽しかった出来事を消し去るように」。
なんてことだろう。帰ったらケンチキを食べる手配もしていたからか、んな有名な空耳が脳内に流れる。 あと半周するまでに直せるだろうか。どんどん昇降口が近付いてくる。僕は焦る。たかが粘土だ。けれど仮にも彼女なのだ。
せめて最後に何か言ってくれよ、と言いそうになるところ、僕は持っていたお〜いお茶を彼女だったものに掛ける。最後なんかにさせない。クリスマスにくっついた人々がすぐに別れるという定説を、今だけは認めるわけにいかない。
ここで、作り上げる。観覧車の上で粘土を捏ねたことはあるだろうか? 結構時間がかかるので気をつけてほしい。僕たちは降りずに二周目に突入する。困惑する係員さんに「ごめんなさい」と口パクする。
胎内で人体が出来る順番は、脳、心臓、目、手足、耳、唇らしい。僕は力の限り捏ねる。決して涙を流すことはないけれど、笑う時にはうっとり細める瞳を。体温をもつことはない腕を、恋人繋ぎのように今度は固く作り直す。そして最後に唇を。前回よりは上手くできたはずだ。どうか、目を覚ましておくれ。
「ほむ?」
彼女は、瞬きをした。
「......目覚めのキスはないの?」
胸が震えた。慟哭のような息が漏れる。
キスは、お〜いお茶の香りがした。