少年吸血鬼の優雅な生活

生まれて初めてじっくり創作を書いてみたやつです。改行が多くて痒い。
中学生の時のキャラクターを使っているので珍しくキャラ設定が細かいです。痒い。

登場人物

  オズ・ニコラグル・グレゴリオ・ディノッツォ
  :後天性吸血鬼。現在一四○歳。九歳の誕生日に、
   ユークリッドの手によって吸血鬼になった。
   普段は地下に住み着いているひきこもりおじいちゃん。

  シントウ
  :吸血鬼殺し。現在十七歳。十三歳のとき吸血鬼殺しになり、
   オズのもとに来る。ユークリッドの実子ではないが、訂正もしない。


  サミュエル・ユークリッド
  :先天性吸血鬼。年齢不祥。王立騎士団所属。
   吸血鬼を滅ぼそうとしている。

  ヴェロニカ
  :オズが人間だった頃からの使用人。
   死後は、生前の行動パターンを学習させた人工知能により働いている。

教授:オズの友人。
箪笥:オズの喋り相手。

吸血とは征服である

吸血の定義
 吸血鬼が傷をつけた所から出血し、かつ吸血鬼がその場でその血を飲むこと。吸血鬼以外がつけた傷からの血を飲んでも吸血と看做されない。またその場でなく後から飲んだ場合も吸血と看做されない。

吸血行為
 被吸血者は吸血鬼に忠誠を、吸血鬼は被吸血者の守護を契約するもの。吸血鬼は被吸血者の身体に一定の拘束力を持ち、吸血鬼の命令は被吸血者の意志に関係なく作用する。


備考
 吸血鬼の唾液には反止血作用がある。

 輸血パックにストローを挿して飲み下す。
 美味いモノではない。血液など、飲食物として採られていないのだから当然だ。ヒトはこの量の血を飲んだら腹を壊すので、これからも血液が飲食物となるのは叶わないのだろう。従ってこの先、残念なことに、血液の味が改善されることはない。
 血液の美味さとは、血を保持していたときの身体の健康さと、血が採られてから経過した時間──即ち新鮮さによる。吸血鬼に回ってくる輸血パックなど消費期限切れかつ廃棄寸前で、その時点で新鮮さなど議論するのもナンセンスであり、要するに不味い。
 さてそのところつまり僕は、輸血パックを一気した時点でお気づきかもしれないが、吸血鬼である。もしくは、姿こそ僕は人間そのままなので「自分を吸血鬼と思い込んでいる異常者」と思われたかもしれない。それもそれで恐ろしいが違う。そういう類の人には関わるなというふうに僕からは警告したい。正真正銘吸血鬼の僕のような人外と、そういう類の人間どちらが恐ろしいかは断定いたしかねる。
 吸血鬼と聞いてイメージする姿。
 貧相な男、または美しい女。それらが生き血を啜る様。コウモリやらヒルやらの人外を想像するかもしれない。どれでもいいがどれも吸血鬼ではない。吸血鬼とは得てして吸血鬼らしい姿、人外らしい姿をしていない。「まるで吸血鬼のような人間」はいかにも人外らしい姿をしているが、本当の吸血鬼はいかにも人間らしい姿である。七面倒臭い。
 僕を吸血鬼にしたあいつもそうだった。
 僕もそうだ。実年齢はともかくとして、見てくれはただの少年だ。
 生まれつき吸血鬼だったわけではない。
 少なくとも生まれてから九年間は人間だった。
 そんなわけで、吸血鬼の実態というものは寧ろ吸血鬼らしくない。見た目は血色のいい人間。確かに僕は地下に住んでいるが、それは地上の痴情の絡れ諸々を避けるためであり日光を避けるためではない。僕の茶目を理解していない諸君に一応お断りするが痴情の絡れなどない。為念。
 日光で灰になったりしない。日光下では日焼けさえする。
 銀を恐れることも無いし、鏡にも姿が映る。
 このようにまるで吸血鬼らしくない者どもを吸血鬼と呼ぶとしよう。
 このようにまるで吸血鬼らしくない吸血鬼は、それなら、何によってヒトと区別されるのか。
 定義は人によるが。
 ひとつ、吸血鬼は血を飲んでも腹を壊さない。
 ひとつ、というか飲まないと死ぬ。
 実にか弱い存在なのでは。
 死にかけの野良吸血鬼に聞いたところ、十日弱飲まないと死ぬらしい。その野良は僕が与えてやったおやつを一口飲み、幸せそうに死んだ。いまは僕の庭の薔薇の横に埋まっている。
 普通の飯も食える。味覚はヒトと同じだし、寧ろ食事の大半は普通の飯だ。
 ひとつ、このせいで僕は不味い輸血パックを飲み続けるハメになっているのだが、吸血とは、契約に他ならない。
 吸血鬼にとって、人間は単なる家畜ではない。あまり知られていないが、吸血された人間は、吸血鬼に忠誠を誓い、吸血鬼はその人間を守護しなければならない。この厄介な条件こそが、人間と吸血鬼を、時に結びつけ、大抵は遠ざける。あまり知られていない事それ自体がその証拠である。
 契約となる吸血は、二つの条件で定義される。
 条件一。契約する人間が、吸血鬼の暴力により失血していること。
 条件二。吸血鬼がその場で、その傷からの血を飲むこと。
 どちらかが欠けると契約は成り立たない。
 つまり輸血パックはセーフである。
 そしてこの契約はその成立条件上、基本的に人間に拒否権が無い。
 吸血鬼が吸血鬼らしい姿であることすら学校で教わらないのだから、こんな「契約」のことなど知っている人間はいない。だから大抵の人間は訳も分からぬまま契約を結ばされている。
 とんだ欺罔だ。
 後になって消費者センターに訴えられても困るから、僕は契約書と懇談の準備をしてある。今までに役立ってくれたことは無い。
 ひとつ、そして、これが一番の特徴だろうと僕は思うのだが、吸血鬼はとにかく力が強い。膂力、治癒力、体力、知力、もろもろのヒトに備わっている能力全てが強い。治癒力を調整して姿を変えることができる。僕は程々妙齢だけれども、種々面倒を避ける為に子供を象る。ついでに言えば寿命も長い。こうなれば、物語の中の悍しい見た目をしていなくとも、吸血鬼がヒトから恐れられるのは当然だろう。
 逆にどうやったら死ぬんだという話だ。
 少なくとも殺そうとして殺せるものではない。

 教授と名乗った男に、殺せるか試していいかと問われたことがある。いいぞと答えた。死なないのは分かっていた。
 教授はまず、遠慮がちに刃物を取り出した。本当に死んだら済みませんと言いながら刺した。いや、殺したのお前だからなと僕は思った。刺された箇所は心底痛かった。
 結果、僕はあっさりその場で倒れ込み、失血多量で死んだ。
 そしてあっさり夜の到来とともに生き返った。
 吸血鬼は血液の摂取によって、人間が溜め込めない量のエネルギーを保持している。その多量のエネルギーと吸血鬼特有の治癒力が故に、吸血鬼は不老不死を誇る。
 目覚めて一発、教授を褒めてやった。一撃で死ぬとは思わなかった、きみ暗殺の才能あるぞ。
 教授は嬉しくなさそうだった。僕に向かって悪態さえついた。死なないんじゃなかったのか、すっかりトラウマになってしまった。二度と刃物を握れる気がしない。独身なのでこれから料理の度に困ることになりそうだと言った。
 教授は次に麻縄を持ち出した。絞殺について考察したいと言った。そして僕に契約書にサインすることを求めた。トラウマになった時に責任を持ちますといった内容だ。
 なんだ責任って。
 結ぶ道理はない。
 とはいえ僕も、最初に「いいぞ」と言ったあの約束を守りたい気持ちがない訳ではなかった。何よりも、食事さえ作れない路頭に迷った独身男が可哀想で、デメリットしかない契約書にサインした。
 まず教授は麻縄で僕の首を絞めた。僕は抵抗しなかったが、教授は途中で緩め、麻縄はなんか難しいのでやっぱ手でやります、と申し訳なさそうに言った。僕はチアノーゼの顔色で教授の肩を叩き、気にするなよと言った。でも素手の方が難しいんじゃないだろうかとは思った。
 ありがとうございます、では、と言って教授は力いっぱい僕の首を絞めた。死に際に、こいつが教授やってる社会狂ってんなと思った。
 次に目覚めた時は腹が減っていた。蘇生にエネルギーを使ったためだろう。
 独身の嗜みです、と教授が整えた食卓で僕は血の気を巡らせた。コンソメと胡椒のきいたスープは人参が小さかった。教授が嫌いなのかもしれない。
 せっかくエネルギーを消費したので、僕の体内のナノマシンに問うた。残りの寿命はあとどのくらいだ? ナノマシンは常に僕の体内のエネルギーをやり繰りし、僕が不摂生をした場合は僕を叱り付ける。百二十年ですとナノマシンの声帯の代わりをしている箪笥が答えた。ナノマシンはナノであるため機能に声帯を盛り込むことが叶わず、大概の何かに声帯になってもらうしかないという仕様だ。昨今の市井では箪笥がナノマシンの声帯をしているのは普通のことであるが、箪笥本来の役割を考えれば変な光景ではある。僕は依然として箪笥と討論を続ける。君っていつもそう言うよね。ちゃんと仕事してんのか?
箪笥は答える。私はあなたのようなクソヴァンプ用に設計されておりません。あくまでヒト用なので、寿命は百二十年までしか測れません。あなたがくたばらねば私も老後バカンスライフを過ごせないので、気張ってそこの教授にさっさと殺されてください。もしくは、人間の寿命が、指数関数的に発達し続けるテクノロジーに追いつけるようになんとかしてください。
 教授は箪笥との議論を微笑みつつ見ていた。生徒が自分の投げた議題に対して熱くなっているところを思い出すと言う。絞殺はどうやら教授のトラウマにならなかったらしい。
 最後に教授は銀の弾丸を得意気に持ち出し、あなたの頭をぶち抜きますと言った。このために教授は二つのことをしたそうだ。
 一つは、狙撃の腕を磨くこと。傭兵に学ぶ。
 もう一つは、銀の弾丸を手に入れること。ただの銀ではない。聖なる鉱山から掘り出し、聖なる工場で鋳造し、聖なる牧師だか神父だかに何か聖なる祝福をされたそうだ。教授が楽しそうに語るその冒険譚を晩餐とともに咀嚼しながら、吸血鬼を殺すとか意気込む訳の分からん爺さん(最初に会ったより随分時間が経っていて、教授はいつの間にか爺さんになっていた)に付き合わされた傭兵も鉱山労働者も聖職者も、さぞかし戸惑ったろうと心底同情した。無神論者ながら静かに十字を切った。
 とある傭兵に学んだ教授の腕は確かに見事なものだった。僕が食後のエスプレッソを飲み下してソーサーに置いた瞬間、教授の聖なる弾丸は僕の脳を一閃し、その後ろにあった使用人を呼ぶベルをチーンと鳴らしてみせた。
 僕は起きた時にやはり教授を褒めた。タイミングも含めて完璧だと言った。
 教授も得意気に笑った。その日は仲良く酒を飲んだ。
 そんな教授も死んだ。
 心不全だそうだ。葬式にも列席した。
 花を手向けて、一回くらいおまえの血を飲めば良かったと言った。
 四半世紀も前の話だ。
 ヒトと吸血鬼の違いとは、そういうものだ。

 最近厄介な拾い物をした。なんと僕を吸血鬼にした憎きクソヴァンプの実子だ。僕はこの「厄介な拾い物」の父親によって吸血鬼にされたので、この子に爆弾でも巻き付けて父親の元に送り返そうと企み、子供に罪はないよなと思い直したのだった。というか、その子供は僕が巻くまでもなく爆弾を纏っていた。
 爆弾即ちその子供の能力──吸血鬼殺し、 とか言うらしい。まだクソヴァンプにビンタすらかましていないのに殺される訳にはいかない。
 吸血鬼殺しとは何か?
 放っておいて血を与えさえしなければ死んでしまう、か弱い吸血鬼を殺すために、わざわざご大層な能力、技術など本来必要ない。血さえあれば死なないのはそうなのだが、逆に血さえ与えなければ、吸血鬼はか弱いのですぐ死んでしまう。
 もう強いとか弱いとか基準もよく分からない。
 クソヴァンプのガキ、略してクソガキに聞いてみた。吸血鬼殺しって何だよ。ちなみにこのクソガキは本当にクソガキに育ってしまい、親の顔が見てみたいという状況に陥る。ただし育ての親は僕なのでこれは墓穴となる。
 クソガキは、吸血鬼殺しとは何何で、と言う代りに、遠足のしおりなる冊子を差し出した。何たるアナログな。しかし僕はアナログ大賛成だ。アナログがもっと人権を獲得すれば箪笥と会話せずに済む。
 遠足のしおりはどうやらクソヴァンプが書いたらしい。あのクソヴァンプとは吸血鬼にされた日から一度も会っていないし何のコミュニケーションも取っていない。まだ生きてたんだなという感じだ。それなのになぜ今更遠足などと称して社会科見学させに来たのか。お前ん家と同じように僕も吸血鬼だからか。うちはうち・よそはよそという言葉を知らないのか。僕は憤慨してシフォンケーキを焼き、クソガキに振舞った。自信作だ。喜んでもらえて何よりだ。
 遠足のしおりによると、この子供は呪われているらしい。その呪いこそ吸血鬼殺しであるとのこと。そして呪いをかけたのは遠足のしおりの書き手──すなわちクソヴァンプ。呪いをかけたのも、それが吸血鬼殺しなのも偶然ではないと。なぜそうしたのかは読み取れなかった。
 子を呪う親があるか。
 逆ならまだしも。
 僕に送ってきた理由もよくわからなかった。相変わらずクソヴァンプはクソなままのようだ。
 この子を誘拐したらどうだろうと思った。
 先生、うちの子が遠足から帰ってきません。
 それは大変、お子さんはどちらへ遠足に?
 地下都市の少年吸血鬼のところです。
 それは帰ってこれないでしょうね。
 ええ、どうしてですか。
 別に、親に呪われたなんて可哀想、親から離れたここで保護しよう、そういう意図ではない。正義とか道徳とか僕は大嫌いだ。あくまで誘拐だ。保護ではない。
 不思議とクソヴァンプから苦情は来なかった。この子宛に時々手紙をよこすくらいだった。クソの考えることは分からん。僕の元に手下を寄越して暗殺するでもなく、厄介な息子を押し付けたという訳でもないようだった。名目を気にした自分が馬鹿らしかった。
 さて、それではこのクソヴァンプの実子の何が厄介なのか。拾った時は可愛げがあった。クソガキにさえ育たなければ、何も厄介ではなかったのだ。

「しょ〜さ! どぞ!」
「どうぞってのは、お前についてる返り血を飲めって話をしてんのか?」
「そです!」
「お断りだ阿呆、そんな誰のか分からん汚い血飲むわけないだろ風呂入ってこい」
「あいあいさ! 風呂入ったらすぐに採血して少佐にご飯たべさしてあげますからね〜」
「ストックあるからいいよ別に」
「うるせ〜〜! 飲め〜!」と叫びつつ風呂に消えた。
 遠足のしおりに名前が書いていなかったし、クソガキも名乗らなかったので、元服に際してシントウと名付けた。シントウはとにかく僕に血を飲まれたがる。吸血鬼は吸血鬼のくせに生き血を啜る行為に対して妙に面倒な制約があるから断り続けているし、正直めっちゃうるさいから本当に止めて欲しい。シントウは吸血鬼から生まれて吸血鬼に育てられたというムーあたりが飛びつきそうな超異端経歴の割には吸血鬼のことをよく分かってないのか、常に僕に血を飲ませようとする。無いと死ぬ物だが、飲めば飲むほど健康の保持増進に役立つ物ではない。
 勝手に血を抜いて僕に飲ませようとする。とんだブラッドハラスメントだ。世が世なら訴訟されかねない。親の顔が見てみたい。鏡をじっと見る。おい、なんか変な感じに育ったぞお前の子。鏡の中の僕は、いや、お前の子だよと言う。非生産を極めた自問自答のあと布団に潜り込むとだいたいシントウが既に入っていてそこで寝ている。なぜ僕が寝たいタイミングに限って布団に入っているのか。会計の時に一円足りないことに気付くときの気分になる。自室は与えたというのに。
 それだけならまだしも襲いかかってくる。じゃれてるつもりかもしれないが、獣にじゃれられた人間は大抵怪我をする。僕とて死にはしないが痛いのだからやめて欲しい。
 そうして僕は箪笥と語り合うハメになる。僕はどこで育て方を間違えたんだろう。箪笥は答える。父親面すんじゃねえよ。箪笥にまで反抗期が訪れていた。型落ち甚だしいのでバグかもしれない。買い換え時か。箪笥と語り合うのもそろそろ終わりかとしみじみしていた途端シントウがうっかり破壊した。
 別れを告げる間もなかった。
 なんてことだ。
 物の命は儚すぎる。
 箪笥の木片が横たわる床に正座して向き合う。
「シントウくん、何か言うことは?」
「タンスを破壊してしまいすみませんでした」
「よろしい」
「少佐の数少ない話し相手を失わせてしまい申し訳ありません」
「そこは言わなくていい」

 地上に出てきた。型落ちナノマシンの声帯は特にいらないのだが、このままでは服が仕舞えないので、新しい箪笥を買わねばならない。
「少佐、これとかどうすか?」
「僕は量子収納の何がそんなにメリットになるのか分からない」
「かさばらない、あと叩いても壊れない」
「ふつう叩いたくらいじゃ壊れないんだよ。なにより量子収納は電気と回線が落ちたら一切使えなくなる。風呂はいってるうちに電気が落ちたらどうすんだ?」
「凍死しますね」
「うちはそこまで極端な環境じゃないかな……」
「……顔は俺と同い年、か下くらいなのに、やっぱり中身はジジイなんすねぇ」
「そうだよ。現役吸血鬼・齢一四○だもの。もういっそジジイの姿で生きようかな」
「現代で電気と回線が落ちるなんて、家に鹿が飛び込んできて居間の雛人形と衝突事故るくらい稀なことでしょ」
「例えが気持ち悪いな」
「じゃあ少佐に分かりやすく言うと、そうだな、吸血鬼と吸血鬼が鉢合わせるくらい」
 迂闊なフラグは立てるものではない。
「……オズ・ニコラグル・グレゴリオ・ディノッツォ」
 僕をフルネームで呼ぶ奴を、僕は一人しか知らない。
 嫌な予感を振りほどこうとして、声の方を見ると、やはり嫌な予感ほど当たるもので、僕を吸血鬼にした張本人が間抜け顔で突っ立っていた。
「……クソヴァンプ……」
「あ、父上」
「クソヴァンプではない。私の名前はサミュエル・ユークリッド。覚えづらいとは思うが」
「少佐の名前よりはよっぽど覚えやすと思いますね俺は」
 四年ぶりの対面だと言うのにこの親子には大して感慨というものはないらしい。僕はといえば、最後にこのクソヴァンプに会ったのは、もうかれこれ四十年とか五十年とかそれくらい前だ。ただ、感慨深いかどうかと言われると、自分でも驚くほどクソヴァンプに殺意しか湧かない。
 自分が吸血鬼であることに特に不満はない。
 なのに殺意は湧いて止まらない。
 出自不明の殺意はしかし、こんな家具屋の平穏な箪笥の前で発散する訳にもいかず、ただ僕の溝尾に染みてゆく。
 ところが殺意は思わぬところから漏出した。
「ハーバート。随分背が伸びたな」
 ただでさえ腹立たしい間抜け顔から間延びした声を出す。なんでこいつこんなムカつくんだろう、
「父上から戴いた名は捨てました。死ね」
 僕が「え?」と言う暇さえなかった。
 シントウは姿勢を低く、父親までたった一歩大きく踏み出して、そこから押し込められたバネのように飛んだ。
 すなわち父の喉笛目がけて。
 短く息を吐く音がした。シントウかユークリッドの息かは判別がつかなかった。ユークリッドはぎょろ、とシントウを見て、それから全身を存分に床に落として脱力した。
 この場で一番驚いたのはおそらく僕だ。このクソガキ。先程までにこにこ応じてたのにいきなり父親を切りつけだした。ああ、本当に何故こんな子に……。
 そうして、クソヴァンプの首は赤い間欠泉と化した。
 家具屋の商品が塗り替えられていく。
 なんてことだ。
 この弁償代は誰が払うんだろう……。
「いちおう言っときますけど、死んでないですよ」
 シントウはクソヴァンプの服でナイフの血を拭いながら呟いた。
「吸血鬼殺しじゃなかったのか」
「それはその認識で合ってます」
「ユークリッドは吸血鬼だ」
「そうですね。だから俺は父上を殺せます。でも死んでない」
「殺してないのか」
「首をナイフの柄まで深く差し込んで、縦に滑らせてナイフを抜くことを、殺すと言わないならそうでしょうね」
「本当に生きてるのか……?」
 ユークリッドの死体を爪先でつついてみる。血が着いてしまった。嫌な気持ちになった。
「生きてますよ。死んでませんから」
「……もういいやその議論は……お店の人になんて言えばいいんだ……」
「別にいいんじゃないですかー? なんか言われたらホラ、『吸血鬼を退治しただけです!』って言えば」
「十中八九信じてもらえないだろうな」
 吸血鬼を殺せるのは吸血鬼だけだ。かつ、そこで死んでる(生きてるらしいが)吸血鬼も僕も、吸血鬼らしい見た目をしていないのだから、そんな話をしたら牢屋か精神病院にブチ込まれて終わりだろう。
 冗談じゃない。箪笥を買いに来たのになぜ僕が仕舞われねばならんのか。
 それに実のところ、そこのクソヴァンプは地上でそこそこ高い地位にいる。それが吸血鬼とバレたら地上は混乱するだろう。
 勘違いと不安による無意味な闘争は避けるべきだ。
「ここに放置してたらお店の人に見つかるよな。かと言って回収も片付けも面倒だし……」
「父上の使用人が片付けるんで大丈夫ですよ」
「気の毒な使用人だ」
「もーっ、タンス探しに来たんでしょ? 早く決めて帰りましょーよ」
「お前がつっかかんなければもっと早く帰れたと思う」
「反省してる」
「バカ」
 人気のない売り場に、モノクロい服を着た人が集まり始めて、クソヴァンプを取り囲み始めた。おそらくこの人たちが使用人なのだろう。僕は会釈する。大変ですね。向こうも会釈する。いえいえそちらこそ。手慣れている。あのクソヴァンプも、教授がいた頃の僕のように軽い気持ちで死んでみることがあるのだろうか。
 そういえば、あのクソヴァンプは確実に僕よりは歳上だ。吸血鬼の寿命を考えると、最初の妻あたりは死んでいてもおかしくない。シントウを産んだ母は何番目の妻なのか。シントウは何人兄弟なんだろう。子どころか、曾孫がいても驚かない。どうでもいい疑問が僕を浮遊させる。
 なぜ僕を吸血鬼にしたのか。
 僕の九歳の誕生日に僕は攫われて、めでたく人外になった。
 当時の友人はもうみんな死んだ。母も父も。
 なぜあの時の、あの僕だったのか。
 ……考えるだけ無駄だ。理由はあの忌まわしき吸血鬼しか知らない。
 あれのことだから、特に理由もないのかもしれない。
 この世に一つとして正解のない問い。
 そんなものも、長く生きていればたまにはある。傍迷惑。
「これにしようかな」
「また木製ですか? 好きですねぇ。それともあれですか、木製だと音の鳴りがいいとか」
「もうあれに働いてもらうつもりはな──」
 短い二音の電子が鳴った。すなわち僕の体内のナノマシンが、この木製の箪笥を自らの声帯だと認識・接続した音だ。シントウがゲラゲラ笑いだす。 「労働反対」これは箪笥の記念すべき第一声だ。僕は思わず敬語で話し掛けた。
「意外と仕事への熱意があるんですね」

 そよ風が運ぶ朝の匂いで目が覚めた。
「ヴェロニカ」
 呼びかけても返答はない。それはそうだ。
 その名を持つ使用人は七十年も前に死んだ。
 しかし、ほんのひと月前までは返答があったのだ。
 彼女は確かにひと月まで働いてくれていた。箪笥ではない。ホログラムのホームオートメーション機器として、だ。ひとをホームオートメーション機器に落とし込むのは、彼女が亡くなった当時は最新の技術だった。
 当時は倫理的にどうだとかいう話もあった。
 七十年経った現代では当たり前のことになった。
 素人なりにメンテナンスも欠かさなかったのだが、この通り彼女は行方不明になってしまった。
 せめて退職届を出して欲しかった。
 その隙にバックアップを取れたのに。
 おいおいまだ働かせる気か。
 彼女は僕と生家をつなぐ唯一のひとだった。僕と生家と言うより、僕と人間、と言った方が正しいのかもしれない。
 まだ自分が人外だということを認められないか。
 分からない。
 決めるつもりもない。
 母も父も死んだ。僕が人間だった頃から付き合いのある人間は、もう彼女しかいなかった。
 たとえ姿はレーザーが成す偶像であってもだ。
 それは別としても。
 彼女がいないとまず家事の手が回らなくて困る。一通りの家事は出来るが、シントウがその量を倍に増やす。人員が足りなかろうが仕事を中止することは出来ない。僕がいる限り無理はきく。僕が人間の何倍か働けばよろしい。
 どうせ死にはしない。
 死なないのに痛覚があるのはどういう了見なのだと思う。痛覚というのは、死を警告するためにある。しかしこの体には警告するような死などない。警報自身、何の警報を出しているのか分からず鳴っている。間抜けな体だ。生まれてから数年は人間だったのがいけないのかもしれない。間抜けな上に未練まであるというのか。屈辱的だ。我が身が恥ずかしい。この「恥ずかしい」というのは、己が元は人間だったことに対してではなく、人外になりながらも未だ儘ならぬ己が肉体に対してである。つまり年寄りの戯言だ。念為。
 風呂から上がって、量子収納ではない木製の箪笥から服を出して着る。自分は特に空腹ではないが、シントウの朝食を作るためにキッチンに立つ。朝食こそ一日における最も重要な食事であるのに、作ってやらないと食べやしない。
 フライパンの上でバターと卵を絡めながら、技師を雇った方がいいだろうかと思う。もちろんバターと卵をかき混ぜるための技師ではない。ヴェロニカをどうにか治せないか。自力で治せるならとうの昔にやっている。彼女を一から記録媒体へ打ち込み(当時は記録媒体が体積を持っていたため、熱暴走などを起こすと大変だった)、毎日メンテナンスをしていようが、所詮僕は素人なのだ。彼女が行方不明になっても、打ち込みがいけなかったのかメンテナンスがいけなかったのか、それとも単に愛想を尽かしたのかすら検討がつかない。
 辞表が無かったところを見ると「愛想を尽かされた」が最有力かもしれない。サラダの上に、フライパンから直接卵を落とす。卵はほんのり湯気をあげ、バターの香りを鼻腔へ届ける。パンにすべきかパスタにすべきか、憂慮の待ち時間はいよいよ切れてしまった。僕はパスタを茹で始める。
 愛想を尽かされていた場合、技師はどうするだろう。技師はなんとかヴェロニカを見つけたとする。僕にひきあわせる。
 さながら離婚調停だ。
 こんな仕事は御免だと思うだろうか。
 乗り気だったらこっちがむしろ困ってしまうかもしれない。パスタを一本つまんで茹で上がりをみる。朝食完成。
「シントウ」
 パスタを盛りながらベッドに呼びかける。普段活動的なくせに意外と低血圧だ。ガキのくせに吸血鬼より低血圧ってどうなのだ。僕は憤慨して食卓を整える。自信作だ。特にサラダ。再三呼んでも起きてこない。死んでんのか? ドアをノックする。再びノックする。起きてこない。「入るぞ」ベッドまで寄っていって呼びかける。入るも何も僕の部屋だ。なんで僕が下手に出ねばいけないのか。ムカつく。
「シントウ? 死んだか?」
 返事がない。
 ええ、ほんとに死んだのかもしれない。
 恐る恐る分厚い布団ををめくって、みようとすると、突如布団から腕だけが伸びてきた。さながらリビングデッド、僕の口から、う、と声が出る前に、ベッドの中へ取り込まれてしまった。
「ハッハッハッハッハッハ」
「シントウ?! 何してんだお前」
 僕を抱えたのはシントウだった。何が面白いのか、いたく笑っている。子供は泣いてるよりは笑っている方がもちろんいいが、僕は混乱する。わけわからんなコイツ。低血圧じゃなかったのか。変な方向に低血圧が振れたか。ありうる。こいつ自体が変な方向に振れているのだから。
「いいじゃないですか、朝寝坊しましょう」
「よくない。朝ごはん冷える」
「あっためなおせばいいです」
「バカ。離せ」
 クソガキを剥がして脱出する。
「来なきゃお前の分も食うぞ」
「それは勘弁」
 いたずらが成功して機嫌が良さそうである。
「いただきま〜す。んで、今日のお仕事は?」
「人に箸を向けるんじゃありません」
「フォークならいいんですか」
「いいわけあるか。地上に出て、ここに住み込んでもらえる機械技師を探す」
「なんでまた」
「いい加減ヴェロニカを専門家に見てもらいたい。あと、地下都市の環境向上のため、かな」
「環境ねぇ。あんな家畜に気ぃ使ってんすか」
「……」
「……意地悪言いました。ごめんなさい」
「いや」
 家畜。地下都市に流れ込んだ東京大終末の難民たち。僕のような人外に頼らなければいけなかった人たち。地下都市は確かに地上に比べれば安全だ。地下都市とかいう字面の胡散臭さと裏腹に。地上の誰も地下都市に手を出さないし、地下の住人同士も争わない。地下都市には吸血鬼がいる。その事実は、外には要塞として、内には絶対規律として作用する。
 とはいえ僕もただ弱き者を庇護する聖人君主ではない。代価は血。地下都市に住まう者は僕に血を捧げなければならない。地上の流血沙汰から逃れるために地下都市にやってきたのに、結局ここでも血を流す。流血から逃れられない。運命じみている。血を流すという仕組から、あの難民たちは逃れられない。
 なぜシントウが彼らを家畜と呼ぶか。
 一つ、僕から血を搾取され続けるため。
 一つ、そうしてまで己の身を他人に恃むため。僕はそれを悪だとは思わない。人間は貧弱だ。シントウが例外なのだ。シントウが己を例外だと思っているかはともかくとして。
 地下住民の一部は僕を神としている節がある。畏れるならそれで構わないのだが、変に盲信している人たちがいる。いくらなんでも人外を信仰するなど終末が過ぎる。東京大終末を体験した彼らからすれば大したことないのだろうか。
「ごちそーさま」
「僕が片付けとくから、顔洗って着替えてこい」
「イエッサー☆」
「ふざけてないで早くしろ」
「あいあ〜い」
「……置いてくぞ」
「ほんとに置いてこうとしないでください」
「何の準備でそんなに時間かかってるんだ」
「いやね? 何持ってこうかな〜って」
「遠足じゃないんですけど」
「いやおやつじゃなくて、武器」
「……」
 シントウは量子収納で武器を持ち歩く。つまり必要な時だけ武器を呼び出して、いらない時は手ぶらという訳だ。最近は銃の類も量子収納の技術を応用して弾の装填が自動になっている。
「軽装備でいい」
「少佐がそう思ってても向こうは少佐のこと殺す気かもしれないですよ〜」
「殺そうとしようが、どうせ死にはしない」
「まあ俺が殺したいだけですね、少佐に仇なすな〜とかケチつけてね」
「……」
「冗談ですってそんな顔しなくても…いや、襲ってこなきゃ俺だって何もしませんからね?」
「どうだか……」
 木製の箪笥の前に、予約したガイドAIを呼び出し、地上へ貫通する量子エレベーターを作り出させる。未だに量子エレベーターによる事故は無くならないが、これだけは、量子とつく製品にしては有能だと思う(僕は基本的にその類のものは信用していない)。これを応用してタイムマシンにする計画は昔からあるが、僕はタイムマシンなるものは実現不可と睨んでいる。少なくとも過去方向へは、思いのままの地点へ飛べない。スティーブン・ホーキング博士が示した通りだ。
 量子エレベーターに乗り込むと、重力から解き放たれる。量子エレベーターに乗り込むつもりが、むしろ僕らが量子エレベーターに乗っ取られているのだなといつも思う。ガイドAIの声とともに僕らは分解されていって、僕らだった量子は目的地にて収束する。量子が僕らになる頃にはやかましい地上にたどり着いているという寸法だ。
「相変わらず賑やかなことだ」
 地上特有の天然日光に溢れた空気を特に堪能するでもなく僕らは歩き出す。
「スラムの方は一転して静かですよ」
「全部真っ平らになったからな」
 東京大終末の前、僕らが向かっているスラム街はさながら城塞だった。違法建築物の上に、人が増えるたび適当に違法建築物を積み上げてゆく。また厄介なことにその作業が適当なものだから、水道に上下の区別があるのかも怪しいような、無機物に有機物がもみあいつつの城塞だ。公的機関すら立ち入れず、その城塞は無法地帯となり、ひとたび入れば出てこれないとか噂された。
 そんな傍若無人の城塞も真っ平らになった。
 東京大終末とはそれほどの暴力だった。
 この真っ平らになった城塞は、真っ平らになった途端に強気になった公的機関に再建を阻まれ、元通りになることはない。
 なぜ公共機関がそこまで躍起になるか。
 建前、あのような無法地帯を二度と作らせないため。
 本音は東京大終末の強大さを残すため。
 建前も理由の一つであろうが、第一目標ではない。東京大終末のような事態は今までに一度もなかった。しかしそれは将来に事態が発生することはないだろうという予測を裏付けるものにはなりえない。
 今度は守ってみせるという気概を感じる。人間は基本的に自分を守るので精一杯だ。他人まで守るというのは至難の技なのだろう。僕はその立派で可愛らしい気概に少し感動する。
 吸血鬼ならそれはない。我が身を守るのに精一杯という状況の吸血鬼は人間が滅びない限りいない。血さえあれば吸血鬼は最強なのだから。むしろ己だけでなく他の人間を守らなければ餓死する。血がなくて死んだ野良吸血鬼はいたが。彼が死んだのは力不足によるものではない。彼が死んだのは彼のポリシーによるものだ。人間から見れば優しさと呼べるものかもしれない。
 血がないなら襲えばいい。絶対に勝つ戦いだ。
 彼は人間を傷つけ、恐れられることを拒んだ。その代償が死だった。
 それだけだ。
 だから人間は僕のような人外を頼った。自分が守りたい者を守れるように。
 たとえ致死量の血液を差し出しても。
 何を勘違いしているんだと思う。
 吸血鬼が打ち勝てるのは人間に対してだけだ。災害ではない。東京大終末のようなものに対して無力なのは僕達も大差ない。吸血鬼だってあのような災害では死ぬ。
 懲りずに生き返る。
 契約者が人間に襲われているなら、契約分は守護してやってもいい。しかし人間が真に望むのは災害からの守護だ。契約不可能だと僕は繰り返す。
 しかし彼らは、そんなことないと言う。あなたは吸血鬼なのだから。理の外の存在なのだから、あなたが不可能だと断ずるな。理を語るなと。
 これでは何方が言葉の通じぬ人外なのか分からない。
 僕は神ではないと言う。
 人は鬼神ですと言う。
 なるほどこうして人は神に愛想を尽かされる。それはオーバーとしても。
 吸血鬼に頼るようなやつは人外だ。
 人外が言うのだから相当だ。
 災害から身を守りたいなら、吸血鬼だか神だかに慈悲を乞うより、その思考放棄をいい加減に辞めて、自分たちで考えなければならない。
 死なない方法を。
「いつもそうだ」
 窓に映った僕が言う。窓に映った僕を投影している僕も言う。
「あなたは出来るだろうが」
「他者を守ること?」
 人間だった頃の僕曰く、
「不安なく状況を俯瞰し勘案すること。軟弱な人間はそうじゃない。死んだら死ぬ。人間は弱いよ。不安から逃れられない」
 人外となった僕曰く。
「だから考えられないと? それはただの緩やかな自殺だろう」
「あなたが自分の意見を人間にも充てようとするのは、未だに自分が人外であることを認めたくないからだ」
「人間を殺そうと思えば際限なく殺せる。いくらでも減らせるし、いくらでも増やせる。そんな簡単なものだからこそ、人間は短絡的に人外を頼んではいけない」
「少佐」
 人外じみたクソガキ曰く。
 僕は二度瞬いて、窓から視線を外す。
「……」
「ナルキッソスですか?」
「いたか。エンジニア」
「いや、全然それらしき人は」
「そう都合良くは見つからない、か」
 目の前を何かが通り過ぎた。
 顔の横の壁に弾丸が埋まっている。
「狙撃されている」
「……確認ですが、至って冷静なシントウ君の仕業ではないんですよね?」
「違います。つぎ来ますよ避けてくださいね」
 無茶言うな。
「鷹座巣」
 量子収納の蒼い閃光が走り、シントウの手元に厳つい銃が呼び出される。
 鷹座巣──シントウ愛用の大型自動拳銃。右回りシングルアクション、全長269mm, 重量2053g, 装弾数は七弾だが量子収納を用いて自動装填され続ける。鷹座巣が一声上げるより早く、再び弾痕が刻まれる。シントウが僕を抱えて伏せる。重い。
「少佐、無事ですか」
「いま死にそう」
「ごめんね」
 耳元で鷹座巣が叫ぶ。吸血鬼とて鼓膜が破れないわけではないから撃つなら先に言ってほしいが、狙撃が止むまでそうはいかない。
 どこだ。狙撃手はどこにいる。そう遠くない。耳を澄ませ、目を懲らせ──
 弾丸軌道曰く、
「──いた。あの白髪のこども」
「Aye, aye, sir」
 蛙鳴蝉噪の民衆の中で自動装填が歌う。白髪が距離を詰める。
「なんだあいつ? 手動装填……スラム街の奴らか!」
「──そうだ。そして死ね」
「黙れや回線弱者ァ!」
 楽しそうである。
 白髪の弾丸がいくつかシントウを掠めるが、当の本人は失血に構わず鷹座巣を振り回す。足を貫かれた白髪が倒れこむと、シントウは間髪入れずにその頭を踏みつけて銃口を押し当てる。
「おい頭狙うなバカ!」
「……ちぇー」
「はぁー……気は済みましたかシントウくん」
「うーん、まだ足りないかな」
「痛でててててぇ!」
 ニコニコしながら頭をぐりぐり踏みつける。
「やめてさしあげろ!」
「あんまり舐めたことすんじゃねえぞ、白髪く〜ん」
 やっと頭から足をどけたかと思えば、背中を踏みつけてから白髪の前髪を掴む。なんだこの悪魔。
「シントウ……もういいから、どうでも。そいつ連れて帰るぞ」
「あ? こいついらないでしょう」
「お前もだけどそいつ治療してやらないとだろう」
「あーあーマッッタクお人好しなんだから」
「それは建前として、こうも市街地で大暴れしたら早く撤収したい」
「ハイハイ了解です」
 だあーめんどくせーと言いながらシントウは白髪を背負う。血の二人羽織。
「シントウくん、お疲れのとこ申し訳無いけどこいつの治療手伝ってもらえますかねー」
「ええー少佐ひどーい、俺の治療が先でしょ」
「元気じゃねえか」
「明日こいつに色々聞かなきゃだしー、英気を養いたいっていうかあー」
「拷問は犯罪です」
「ケチ」

 肉を切り進み、骨に当たる感触を覚えている。
 その血が山中に湧く大量の湧き水のように自分の手を雪いでいく温かさを覚えている。爪と指の狭間に避難した組織や血や諸々を洗い落とすのが大変だ。短い爪をさらに切ることになる。
 爪を切るときに立ち上る、洗い損ねた血の臭いを覚えている。
 銃の声を覚えている。よく語り合った仲だ。
 両親の声よりもよっぽど聞いた声だ。
 両親はずっと昔に死んで、孤児院で育った。
 ユークリッドが吸血鬼であることを誰も知らない。
 孤児院で何が行われていたかも。

 夜中、父さんに揺り起こされた。月が眩しいほど明るかった。
「お兄ちゃん」妹がすり寄ってくる。
「ハル、大丈夫だよ。手を握ってあげる」
「ハーバート、ハル。よく聞くんだ。お父さんが開けるまで、ここを出てはいけない。分かるね?」
 子供心にも、父さんのひどく強張った顔に、何か怖いことが起こっていると感ぜられた。
「父さん──」
「愛しているよ」
 父さんは頬にキスをしてクローゼットの扉を閉めた。
「パパ」
「ハル」
 妹を抱きしめる。狭いクローゼットの暗澹。怖いくらいに静かだった。
 どのくらい時間が経っただろうか。クローゼットの扉がやっと開いた。
「王立騎士団だ」
 ただし、それは父さんではなかった。

「君達のお母様とお父様は私の部下にあたる」
 扉を開けた男が語った事件の概要はこうだ。
 昨晩、俺たちの家を含めた十七軒が何者かにより襲撃される。犯人の行方は不明。死亡者四十六名。重体十九名。重傷者三名、軽傷・無傷四名。ほとんど確実に殺している。物取り目的ではなく、被害者同士には家が近いこと以外の共通点がない。動機不明、目撃証言無。口が聞ける被害者のうち犯人を見ているものは重篤な恐怖状態で、まともな証言ができないためである。父さんは駆けつけた王立騎士団に俺たちの居場所を告げて息絶えた。母さんは搬送先の病院で死亡。
 俺達はこの男が院長を務める孤児院に送られることとなる。
 結論から言うと、孤児院暮らしは悪くなかった。特段裕福な暮らしではないし、外出は禁止されていたが、それでよかった。外に出たって味方なんて一人もいない。それよりも、同じような境遇の奴らと家族になれたことの方が嬉しかった。両親を亡くした身で三食まともな飯を食うことができた。あの日クローゼットの扉を開けた男──院長は慕われ、皆から親しみを持って「父」と呼ばれた。院長は王立騎士団の人間で、騎士になることを希望する孤児も少なくなかった。
 俺もその一人だった。
 父上や、死んだ父さんのようになりたかった。
 弟たちと中庭で毎日稽古した。
 幸福な日々だった。

 月一回の採血を終えた頃だ。クリスマスにもらった冬服を着ていても、なお寒い日が続いていた。電気も暖房もついていない朝だった。孤児院に六年間いて、そういう日がなかったわけではなかったが、異常な目覚めであったことは確かだ。何しろ職員が一人もいない。いつもなら職員が慌ただしく朝食の準備をしている食堂には、寒さに震えるチビどもしかいなかった。
「暖房入れないのか」
「入らないんだ」
「スイッチ押しても反応しないし」
「大人たちは?」
「誰も見てない」
「それどころか、お父さんすらいない」
「パパ大丈夫かな」
「どこ行っちゃったんだろう」
「寒いよ」
「帰ってくるよね?」
 あのクローゼットの夜を思い出す。
 体温が下がる。またあの日みたいに家族を失ったら。
 怯むな。短く息を吐く。考えすぎだ。物事はそう悪い方には進まない。妹の方が心細いはずだ。チビどもだってきっとそうだ。年長がしっかりしなくてどうする。
「──ボイラー室を見てくる」
「立ち入り禁止だろ」
「だからだよ。誰もボイラー室は探してないだろ。父上も、他の大人たちも、暖房を直してくれているのかも」
 ボイラー室には鍵がかかっていた。
「父上、……」
 扉を叩いても、重苦しい空音が響くばかりであった。
 みんなどこへ行ってしまったんだ。俺たちは置いていかれたのだろうか。
 あの日のように。
 背後の扉が重苦しい音を上げ、暗い廊下が急に明るくなった。
「起きていたのか」
 扉を開けるのはいつもこの男だ。
「父上──抜け出そうとしたわけじゃ」
 逆光で父上の顔は見えなかった。
「──僕は空腹だ。皆を集めてくれ──食事にしよう」

 食堂に入るや否やじゃれついてくるチビどもへの対応もほどほどに、父上は全員の顔を見回した。
「全員いるか。寒いが少し我慢してくれ。まず、昨日までの職員たちは──二度と戻って来ない」
「父さん……どういうことですか?」
「やっぱり、何かあったの? 皆無事なの?」
「僕は空腹なんだ──あの子と違って食事で飢えを補完できない。時が来るまでの辛抱だと思って騙し騙しやってきたけれど、それも今日で終わりだ」
「……つまり?」
「僕は月の子を殺さないといけない。僕自身が産んだ月の子を。あの子は育ちすぎた──食べるつもりだったけれど、あの様子では僕が殺されてしまう。その前にあの子を殺さないといけないんだ」
「月の子……?」
「そのためには食べないといけないんだ──あの日のように、たくさんの生き血を。僕として、吸血鬼として」
「お父さん……?」
「ここは孤児院ではない」
「何言って、」
「もう、サンプルは十分取ったから、晴れて僕は子守りから解放されておまえたちを食い尽くしてしまう。いたって化け物らしく。さて、それではさようなら──愛しき我が子達」
 食卓に並んだ弟たちの首が一斉に飛んで花火のように鮮血を上げた。父上はのらりと食卓に起立し、くらりとその血で全身を染めながら、逃げ惑う子供達に親切にも優しく忠告した。
「動かない方がいい。そちらの方が即死できる」
「ハル!」
 妹の名を叫ぶ。何が起こっているのか皆目見当が付かない。ただ一つだけ確かに決めたことがある。ハルを守らなければ。暗闇と混雑と混乱の中、妹の手を取って走り出す。何かが割れる音、悲鳴、その全てが脳の危機感覚を抉り出していく。
「お兄ちゃん」
 この手を、俺より一回り小さな妹の手を、絶対に離さない。俺と血を同じくする家族をこれ以上奪われるわけにはいかない。奥まった物置に転がり込み、靴の裏でマッチを擦ってランプを灯す。
「お兄ちゃん、どこにも、どこにも行かないで。お母さんとお父さんみたいに、いなくなっちゃったりしないで」
 妹の顔は既に恐怖と涙でぐしゃぐしゃだった。その顔が余りに酷くて、安心させたくて、無理やり笑った。酷い笑顔を誤魔化したくて妹を抱きしめる。
「ハル、大丈夫、大丈夫だ。お兄ちゃんが絶対に守ってやる、絶対離れたりしない」
「お兄ちゃん」
「うん」
「逃げよう」
「え……」
「ここから逃げよう。どこかへ行こう、二人で」
「………」
 妹の言葉に体が強張る。
 二人で? 家族達を置いて? 逃げる? 一体どこへ?
 あの日から、この孤児院が全てになっていた。孤児院の外に出たことがない。孤児院の外に味方はいない。あの日みんな死んだ。故郷も起源もみな消えた。現在進行形で孤児院が破壊されているのに、俺はどこかで現状を理解するのを拒んでいた。これは悪い夢で、目が覚めたらまたあの生活を、みんなと、ここで──目が覚めてもそこは不毛の焦土なのに。愕然とした。俺は、孤児院の外では生きることすらできない。妹を守るなどと、どの口が言うか。
「ハル、」
 その事実に今まで気付けなかった己の愚かさ。
「駄目だ、ハル、俺は行けないよ、ずっとここに、」
「不可能だ、ハーバート・エイヴァリー」
「……?!」
「父上…?」
 ハルが短い悲鳴を上げる。父上がどこからともなく現れた。見間違いでなければ、──俺の影から現れた。フィクションのコウモリの化け物のように。
「ハーバート……言っただろ、聞こえていただろう。この孤児院はもう無い」
「お兄ちゃん」
「落ち着け、ハル……怖くない。父上だ」
しかしハルは嗚咽しながら首を横に振るばかりで落ち着いてくれない。父上は全く構わず、
「だから此処には居られない、此処から出られるのは一人きりだ」
「父上、説明してください。いま一体何が起こっているのか、俺は、一体何をしたらいいのか……」
「説明? 説明というのは、どこから──」
「違うの、お兄ちゃん! コイツが皆を──」
 妹の絶叫に次いで閃光で眩む。
「あ……?」
「Tais-toi ──人の話を遮ってはいけない」
 何が起こったのか分からなかった。
「ハル……?」
 妹に触れると、暖かくて、ぬるりと──
血だった。
「……?」
「可愛い我が子に請われたからには、説明しなければなるまい」
「……ハル?」
「とはいえどこから説明すると言ったんだったか……」
「ハル」
 妹の体が急に重くなった。気を失った? 少なくともそう思いたかった。
 ある考えたくない可能性を振り払うために。
「ハルは鈍臭くていけないね」
 父上は春の日差しのような優雅さで、そう呟いた。
「父上、ハルが」
「うん」
 そのとき窓から月明りが染み出て、荘厳に父上を美しく照らした。
「死んでいるね」
 あまりにもその父上は、教会のどんな絵画より、どんな讃美歌よりも壮麗で、俺は言葉を失い、そうして直感した。
 これが愛だ。俺たちは六年を経てようやく家族になった。
 その手に妹の死体を抱きながら。
「父上」
「ハーバート、おまえは昔から勇敢な子だった」
 六年前のあのとき、
「教えてあげよう。あの事件の日に、」
 エイヴァリーの姓を貰って、
「おまえの両親、友人を皆殺しにしたのは私だ」
 俺はあなたの息子になった。
「どうして」
 嘘をついているのではないと分かっていた。あの日クローゼットの扉を開け、いま目の前で妹を殺した。あれほど守りたいと思った妹を、俺の唯一の血族を、花を摘むが如く討取った。
「私は吸血鬼だ。そしてこの国の騎士でもある。女王の命令に忠実な。おまえたちから家族や命を奪ったのは、全て女王の意思だ。知らなくていいがね」
 俺の家族は、俺の家族を二度奪った、この美しき化け物だけになった。
「さて、ハーバート。もう生き残りはおまえだけだ。私と一緒に、生きてくれるかい。私と、吸血鬼を滅ぼしに行けるかい」
 俺には、その手を取る以外の選択肢はなかった。

「おい」
 声に起こされて目を開けると、金の髪が朝に光っていた。このひとは吸血鬼だけれど、父上ではない。父上より力がなくて、心がある。父上と違って、一緒の食事ができる。
「おはようございます」
「離せ」
 きらきらと輝く髪と瞳がこのひとの心根の美しさみたいだった。父上とは真逆の美しさを持つこのひとが、俺のために飯を作って、起こしてくれて、一緒の食卓を囲む。愛おしくなってその頬を撫ぜた。俺はこのひとを殺せと言われてここに来た。でも俺は、この人と共に生きてみたいと思った。
 吸血鬼は死なない。だから家族になれる。これ以上家族を失いたくないのならば、不死者と家族になればいい。心配性で長寿主義で平和主義の父上が他の吸血鬼を殲滅させたから、父上とこの人だけが俺の最後の親類になる。
 それでよかった。
「ふふ」
「なんだよ」
「俺の血を飲んでよ」
 そうすれば俺たちは契約によって一蓮托生だ。そして俺が死ぬ時になったら、俺を食い尽くせばいい。俺を食い尽くしたら、このひとも死ぬ。吸血鬼殺しの血とは、そういう血だから。
 中佐にはこれだけは秘密にしている。父上に言われたのもそうだが、それが俺がこのひとに与えられる唯一の救いで愛だから。元人間だった少佐がどこかで死にたがっているのは分かっている。ただ、その救いをもたらすのは、他の誰でもなく、俺でありたい。だから秘密。
「嫌だね」
「ははは、はいはい。飯にしよう」

続編では、東京大週末ってなに?白髪のこどもはなんなの?というところを書いていきたいです。
読んでいただきありがとうございます。

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