「レコーディング」の簡単な歴史と概要
はじめに
「レコーディング」とは一体なんなのかを探り出すと、まずなんの目的で、なんのために「録音」をするのか、そして実際にどういった作業が行われているのかを噛み砕くところからはじめるとわかりやすいのではと…思います。
「いったい何をしてるの?」ってことですね。
レコーディングというと、巨大コンソールがあるスタジオや、最近ではDTMといった言葉で表されるようなパソコン内での作業、小さなものから大規模なものまでのライブ録音など、いろいろ頭に浮かぶと思うんです。
そこからも見てとれるように、「レコーディング」は「テクノロジー」と背中合わせに発展してきていて、マルチトラックレコーディング、MIDI、デジタルオーディオワークステーション(DAW)などが開発されたことで、レコーディングの方法や概念は根本的に変わりました。そして、それだけじゃなく、これまで想像もつかなかった新しい形での音楽制作の可能性が開かれてきました。
「今までにない新しいものを作り出したい!」や、「もっと簡単でより速い方法はないの?!」といった欲求が新しいテクノロジーを生み出して、さらに音楽制作の幅は広がってきています。
で。ここまでの経緯を紐解くために、軽くレコーディングの歴史を見てみましょう。過去1世紀ぐらいの間に、「レコーディング」がどういう風に進化してきたのか知っておくと、現代レコーディングを理解するのにもだいぶ役に立つと思いますしね。
初期:1920年代まで
19世紀後半から20世紀にかけては、ディスクに直接書きこんでました。書き込むって言っても、蝋や樹脂で作られた円盤や円筒に、1枚ずつ生でカリカリと針で削って音情報を書き込んでたんですね。
蓄音機(今のターンテーブルの前身ですね)って言うと、イメージ湧きますかね?こんな感じ👇のやつです。古い映画とかで見たことあるのでは?
これでどうやって録音するの?ってことなんですが、この朝顔の花みたいなやつを部屋に真ん中に置いて、その周りにミュージシャンを配置。で、演奏すると、このラッパみたいなやつがジョウゴの役割で音を集めるんです。その集められた音=部屋の中の空気の振動をこの機械が拾って、専用のスタイラス(針)でディスク面を削って記録する…っていう手順です。それを聞くためには、音を拾うスタイラス(針)を乗せてディスクを回転させると、音の向きが逆になって再生できます。ただ、音はもう蚊の鳴く感じに小さいので、ラッパで増幅される。メガホンの原理ですね。
これ、すごいのは、最初から最後まで、電気を一切使わないアコースティックな装置・システムってとこでして。エコ。でも、樹脂とか蝋とかってSDGs的にはどうなんでしょうね?
まぁ当然だけど色々不便で、コピーを作るためには、このマシンを何台も並べて同時に動かして録音するか、ミュージシャンに何度も演奏してもらって、複数回録音するしかなかったんですね。もちろん、まったく同じ演奏を何度もはできないので、厳密にはコピーじゃないよな…っていう。
ただ、数年後にはエミール・ベルリナーが発明した円盤状のものと、トーマス・エジソンが発明した筒状の録音機がどんどん進化して、1枚のマスターから複数のコピーを作ることができるようになりました。その後1910年代には、円盤型のディスクが商業的に勝利して、今のレコードに至ります。
ちょっと戻りますが、現在ではレコーディング、ミキシング、マスタリングっていう風に細分化されてる製造の各工程は、この時代には最初の録音セッションで全部同時に行われてたってことですね。
たとえば「ミキシング」でいうと、ミュージシャンの立ち位置を、あさがおからの距離とか高さを変えることで違いを作ってた…と。例えばドラムの音が大きいから小さくしたい場合は、ドラマーにもっと後ろに下がってもらう。ボーカルの音を大きくしたい時にはもっと近づく…などなど。
John Cunibertiというレコーディングエンジニアが、当時のマイクを1つだけ使うレコーディング方法を再現して色々なアーティストを録音して動画にしているんで、どんな感じが見れますよ。
1920年代半ばから1950年まで
1920年代には、色々どんどん進化して、今でも耳にする真空管アンプとかコンデンサーマイクが開発されました。そうなると、当然原始的なラッパアサガオ録音プロセスから、電気を使った、新しいセットアップに移行します。
また別記事で解説しますが、マイクは音源からの空気振動を電気に変換するのが役割なんですね。その電気信号がアンプを通して書き込み用の針=スタイラスに送られます。音も増幅できるようになって、音質も向上。しかも、コイルで音を出すスピーカーが開発されたことで、再生プロセスも電気でされるようになりました。この頃のスピーカーの原理は、現在のものとほぼ一緒です。
さらにもうちょっと進むと、複数のマイクをいろいろな音源・楽器にバラバラに設置して、それをそれぞれ専用のプリアンプなんぞに送ってから最終的にまとめたものを、アンプとカッティングスタイラスに送るっていうような作業ができるようになりました。ラジオ業界・映画業界が使い始めて発展したんですが、今のレコーディング作業の元祖です。
これで、それぞれの音のレベルコントロールだったり、いろいろなスイッチをひとまとめにする装置=すなわちミキサー・レコーディングコンソールが必要になってきます。
ミュージシャンとマイクがセットされるスタジオと、エンジニアとプロデューサーがいるコントロールルームという、2部屋構成のスタジオが開発されるきっかけにもなりました。コントロールルームだと、音被りを心配せずにスピーカーから音鳴らせるんで、テイクの良し悪しの判断とかがしやすいですしね。
さらにさらに、1940年代後半になると、アメリカでは磁気テープ録音が定着して、ディスク直録りのバックアップだったり、収録ラジオの音源として使われるように。あとは、リボンマイクが放送局やスタジオ録音で使われるようにもなりました。
1950年代
1950年代前半までのコンソールは、机の上に乗るぐらいの小さな箱で、4つの大きなノブと、全体のレベル用の大きなノブ1つ、そしていくつかのスイッチでできていました。各チャンネルの真空管アンプはあるんですが、直接箱には入ってなくて、別のラックに設置されていて、パッチベイで繋げれたんですね。
この頃からイコライザー(EQ)も使われ始めたんだけど、もともとはクリエイティブな用途というよりは、マイクの周波数の凸凹を平坦にするためのものでした。例えば、「●▲■社のXYZってマイクは高音がバカみたいにでかいぞ!」って場合には、●▲■社のXYZ専用のEQがあって、マイクの「カラー」、この場合は「バカでかい高音」を打ち消して、元の音源に近い音で録音できるよ。っていう用途でした。
録音媒体の方は、第二次世界大戦後に磁気テープが本格的に登場したんですが、最初の10年ぐらいは、直接カリカリ書き込むタイプのと共存でした。メインのディスクマスターのバックアップ的に使われてたり。ただ、テープは再録音も可能だし、録音したものを編集もできる。例えば、何テイクか録音した中から、ベストな部分たちを切って貼ってして、1つの演奏として見せることができる。そうなってくると、1回限りで間違っちゃダメな直接ディスクに書き込む方法はだんだん消えていきました。
因みに、上に書いた複数のテイクからいいところ取りで繋ぎ合わせて最高のバージョンを作る編集の仕方は、今でもクラシック音楽の録音などで使われてます。テクノロジーの進化と、エンジニアたちの技術で、普通に聴いてたらわからないですけどね、ツギハギって。
プロデューサーの要望に応えて、伸ばしてる音の途中でテイクを切り替えて、その切り替えがわからないように編集作業をする… 職人技です。でも、頭も目も痛くなるから好きな作業ではないかも…
EQや編集作業のように、現在でも残っている「リバーブ」の始まりもこの時代に遡ります。もともとリバーブはコンサートホールやライブハウス、教会などの「部屋鳴り」であって、あくまでも自然なものだったんですよね。それを人工的に作り出して、反響があまりない、もしくはあえて押さえてあるスタジオで録音したものに加えられないものか…と。
また違う時にリバーブのことは詳しく書くので今回は簡単に言うと、人工的に「部屋鳴り」を足すためにスタジオの建物内に「鳴る部屋」を作ってしまおうと。エコーチェンバーって言うんですけど、音の反射しやすい形だったり材質で作ってあるんですね。そこにスピーカーを置いて、録音・編集・ミックスした音を送る。そうすると部屋の中で音が反射します。それをマイクでまた拾って、最終的にマスターテープだったりディスクだったりに記録してたんですね。今みたいに、それぞれのトラックのリバーブ量を調節したりはできなくて、全体にフワッとかけてました。因みに「チェンバー」とか「エコー」とかは今でもいろんなところで使われてますね。プラグインのプリセットとか、大きめのスタジオのパッチベイとかでも。ちょっとすると、部屋を丸々作らずになんとかならないだろうかってことで、鉄板式人工リバーブ=プレートリバーブやスプリングリバーブも1950年後半にできました。
それ以外だと、1950年代には、Neumann U47、AKG C12、Telefunken ELA M 250/251など、今でもビンテージとしてとんでもない値段で売ってたりする真空管コンデンサーマイクが使われ始め、あっという間に広がったことによって、録音の忠実度とディテールが大幅に改善されました。
レコーディングもこうやってちょっとずつ、でも確実に複雑になってくると、テープのクオリティが上がった(ノイズが減ったり、丈夫さも進化していったり)こともあって、やり直しが効かない、直接針でカリカリ削る方法はほぼ完全に磁気テープに取って代わりました。今でも直接Direct-to-Diskをしてるマスタリングスタジオなんかもありますけどね。
1950年代後半から1980年まで
1950年代後半になると、これまでの単一チャンネルのモノラルから先に進み、ステレオ録音が行われるようになりました。それによって、フェーダーやイコライザーはもちろん、音を左右のチャンネルに振り分けるパンポットも登場しました。
これは、2つのレベルコントロール(抵抗)が反比例して配置されたもので、一方のレベルを上げると、もう一方のレベルが下がるというものです。と言っても、よくわかんないですよね。モノ・ステレオなどのサウンドフィールドの話は、また違うノートで書きます。これはもともとオーケストラをレコーディングする時に、ステージ上のそれぞれの楽器グループ(バイオリンとかビオラとか)の物理的な立ち位置と、録音後の音源のステレオフィールド内の配置を一致させることを目的に使われ始めたんですよね。ここから、違う使い方でも広がっていきます。
1950年代には、伝説的なミュージシャンでオーディオのパイオニアであるレス・ポール(そう、あのギブソンのギターレスポールを作った人です)が、音を別録り・重ね録りする方法を発明します。原理は、一つの音源をスピーカーから再生しながら、それに合わせた演奏をする。そのスピーカーから鳴ってる音と生楽器が鳴ってる音の両方をマイクで拾って録音するって手法です。「バウンス」や「ピンポン録音」なんて呼ばれたりしてます。小学生の時に、ラジカセでカラオケを流しながら、それに合わせて歌ったものを違うラジカセで録音する…ってしてたんですね。あれ、実はレスポールが発明したバウンス録音だったって言う…なんかそう思うとなかなかすごいことをしてたんだなと思っちゃいます。でも、みんなしてませんでした?
この後も、デジタルの躍動までの間しばらくは、アナログ記録媒体の物理的な制限(特にトラック数)によってバウンス・ピンポン録音は続けられていました。ただ、トラック数は増えていって、さらにさらに増やすために2台以上のテープマシンを同期したりする技術も広がっていきました。
こういった新しいレコーディング技術の誕生は、ライブイベントの純粋な記録ではなく、創造的なアートフォームとしてのレコーディングというコンセプト=現在のレコーディングスタジオの始まりでもあります。1960年代に4トラックのアナログテープ録音(その後8トラックも)が普及し、音楽制作に対する全く新しいアプローチが生まれました。ビートルズの名盤『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』は、その複雑でクリエイティブな制作がすべて4トラック録音で行われた代表的なアルバムとして知られています。
4トラックというとかなり少ないように感じますが、使えるマイクなどの数は実はもっと多かったんですね。なぜかというと、複数の信号をまとまった行き先に送ることができたからなんです。例えば、ピアノに2本のマイクを立てたとします。低音部と高音部と1本ずつ。でも、その2つのインプット信号は、必ずしもテープのトラック(トラック1とトラック2…などなど)に別々に録音しなくても、「バス」というまとめ回路を使って、低音マイクと高音マイクをまとめて「ピアノ」トラックとして一つのチャンネルに録音することができたんです。これに上記したバウンス・ピンポンの技術を上乗せすると、結構複雑なレコーディングができるんだな…とわかると思います。この「バス」のアイデアは現在のDAWなどでも使われてますよね。リバーブをかけるときなんかに使ってると思います。当時も似たような使い方はされていて、上記したエコーチェンバーにシグナルを送ってテープに戻すときにも使われていました。今と違うのは、4トラックをモニターするのに、それぞれのチャンネルにひとつ、トータルで4つのスピーカーを使っていたことです。左ー左中ー右中ー右って形で鳴らしていました。最終的にディスクやマスターテープにステレオにまとめるんですが、作業中は4つに分かれてたんですね。
僕も中学生の頃に初めて買ったのが、4トラックのカセットテープのマルチトラックレコーダーでした。ミキサーを持っていなかったので、1楽器=1トラックで作業していましたが、いい思い出です。
すでに録音された音にさらに音を重ねる、いわゆるオーバーダビングが頻繁に行われるようになってくると、当然スタジオにいるミュージシャンは、音源を聞きながら演奏する必要があります。そのため、各チャンネル(リバーブリターンチャンネルを含む)にオン/オフスイッチが付いた「フォールドバック」または「キューシステム」が搭載されたのも、この時代のスタジオの進化のひとつです。このスイッチによって、そのチャンネルの信号がスタジオに戻され、ミュージシャンは録音済みの音源を聴きながら演奏できるようになりました。
レベルコントロールもステップ式の円形ノブから、フェーダーや、ステップではなくスムーズに動くロータリーポットへと徐々に移行していきました。アンプも、真空管に代わる増幅器としてトランジスタが登場したことで、サイズも価格も含め、コンソールにすべてのレベルやゲインステージを内蔵することが容易になり、真空管のみを搭載したコンソールはほとんどなくなりました。
その後8トラックのアナログテープマシンが現れたんですが、8つのスピーカーを使うのは流石に現実的じゃなかったので、たった2つのスピーカーでほぼすべてのポジションを再現する方法が取られるようになりました。「ファントムイメージング」っていうのを使うことによってできるんですが、この話もまた後日。
この時点で、現代のスタジオセットアップとレコーディングコンソールの形が本格的にできた感じですね。
次の進化として、テープの出力をリターンするための「モニターミックスパスができました。これで、マルチトラックへの録音中に、その音に影響を与えずに、録音セッション中に色々な音作りをすることができるようになりました。
「へ?」ってなるかもですが、簡単に説明すると、今まではマイク→ミキサー→テープ→スピーカーという流れだったので、ミキサーですることは全てテープに記録されちゃってたんですね。演奏中にボーカルをミュートしたら、テープにはボーカルの音が入らずに記録されちゃう…とか。これ、結構厄介だったんです。録音が終わるまでは、ミキサーはあんまり触れないじゃないですか。なんかやりすぎたりしたら、そのテイク自体が使えなくなっちゃうし。ただ、モニターミックスパスができたことによって、マイク→ミキサー→テープ→ミキサー→スピーカーが追加されたので、後半のミキサーではミュートしようが音を歪ませようが何しようが、テープへ書き込まれてる音には影響を与えなくなったんです。で、コンソール付のイコライザーはレコードとモニターの両方のパスで利用できるようになり、リバーブも「録音しちゃう」用と、「聞くだけ」用で別々に使えるようになりました。
フォールドバックスイッチはキューミックスのロータリーコントロールになり、トラックが増えるにつれてキューミックスシステムも複雑になっていきました。こんな感じで、いろんな発展を経て、トラック数のさらなる増加、1980年代後半からのアナログ録音からデジタル録音への移行、完全コンピュータベースの録音とデジタル信号処理システムへの移行を経て、現代のレコーディングスタジオに到達したのです。
続く。。。
参考文献
Understanding Audio: Getting the Most Out of Your Project Or Professional Recording Studio
Daniel M. Thompson
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