千日「かいほう」行 149日目

サッカーW杯で日本代表がスペインに逆転勝ちしました。「諦め半分」でテレビ観戦し始めた時、日本が一点リードしていました。隣の部屋で母が寝ているので、音量は控えめに声も出さずに画面に釘付けになった試合終了までの約30分はまさにドキドキ、ハラハラの連続で、脳裏には「ドーハの悲劇」が「回報」されていました。

1993年にカタールのドーハで行われたサッカーW杯米国大会アジア地区最終予選でのイラク戦で日本代表チームが後半ロスタイムの終了間際に失点して本大会への出場権を逃しました。その瞬間、「エーーーー」と全身の力が抜けた「ドーハの悲劇」でした。当時、新聞配達していたのでその後、朝刊の配達作業へ行きましたが、周囲も同じような重苦しい沈黙が漂っていたことが「回報」されました。それが終了を告げるホイッスルに、母のことも忘れて拍手喝采していました。

初戦のドイツに勝利しながら、コスタリカに敗退して追い込まれた日本代表に「諦める」ことはなく、選手としてピッチで「ドーハの悲劇」を味わった森保監督ならではの選手を鼓舞する力があったものと「解法」されます。だからこそ新たな「ドーハの奇跡」を日本はもとより戦ったドイツ、スペイン、そして世界中へと「かいほう(開放、回報)」されました。

森保監督と同年の私もテレビ観戦とはいえ「ドーハの悲劇」を味わった一人として、「ドーハの喜劇」が「開放」されてきました。世界を舞台にする森保監督とは違えど、自らの舞台で最後の最期まで戦い抜く「力」として「かいほう」されてきます。

勝利した後のインタビューで長友選手が「ブラボー」と連呼する姿は、まさにセルフマインドコントロールと「解法」されてきました。FIFA世界ランキングで「諦め半分」だった自らのセルフマインドをその「力」で「かいほう」して行くことになります。


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