日墨GPを目指そうと思ったきっかけ
2回目の投稿です。1回目の投稿でなんと15もスキをいただけました。ありがとうございます。こんなんなんぼあってもいいですからね。「日墨GP」なのか「教員辞めたい」なのか、どちらに共感していただけたのかはわかりませんが、どちらの方にも参考になる記事を書いていきたいと思います。
今回は日墨GPを目指そうと思ったきっかけを、過去の活動と今後の展望を踏まえて書いていきたいと思います。
青年海外協力隊になるまで
小学校の教員を3年間務めた後、現職教員参加制度を利用して青年海外協力隊(現JICA海外協力隊)の隊員になりました多くの隊員が退職し、無職で隊員になるのに対し、現職教員参加制度とは、教員として日本の小学校に籍を残しながら協力隊活動に参加でき、なおかつお給料もJICAが補填してくれるという制度です。(現在はJICA海外協力隊になり、給料の補填はなくなったようです。詳しくはわからん。)隊員は原則2年間の活動期間がありますが、現職教員は4月1日の新年度から学校に戻らなければいけないので、1年9カ月と他の隊員より3カ月短くなっています。派遣前の70日間、JICA訓練所で語学やボランティア活動の心構えなどを教わり、ニカラグア共和国へ派遣されました。
ニカラグアでの活動から避難まで
ニカラグアではまず、1年9カ月どのように活動していくか計画を立てました。活動は主にカウンターパートと呼ばれる活動のパートナーがいて、その人と相談しながら決めました。とはいえ、状況もわからず、スペイン語もできずとまるっきり使い物にならない状態だったので、あせらずじっくり進めていく計画にしました。なんでもそうだと思いますが、協力隊のOVも口々に「やっとやりたいことができるようになってきたと思ったら、活動が終わってしまった」と言っていたので、まあ自分もそうなるんだろうなと思いながら、ニカラグア人もだいぶぼんやりした人が多いので、そんな感じでやっていこうと。
活動を始めて約一年が経ち、この地域の教育が抱える問題やニーズもぼんやりとわかってきて、あれやこれやと失敗しながらいろんなアプローチをしていた頃、ニカラグア大統領が打ち出した社会保障制度に市民が猛反発し、大規模なデモに発展しました。詳しくはこちら。家から銃声が聞こえてきたり、近くの公園では市民と警察がまさに一触即発の鍔迫り合いを繰り広げていました。
我々ボランティアは首都に避難が命じられ、一か月ほど首都のホテルとボランティア連絡所で何もできない避難生活を過ごしました。状況は悪くなる一方で、活動をしにニカラグアまで来たのになにもできない虚しさや、ボランティア約30名が急に一か月も共同生活を強いられ、ストレスも溜まっていたように思います。外務省から出されている危険レベルが2に引き上げられたのをきっかけに、我々は日本に避難することとなりました。OVたちが言っていた「やっとやりたいことができるようになったと思ったら終わってた」の気持ちで活動が終わるはずでしたが、それどころかまだスタートもしていないような状況で突然の活動打ち切り。共に過ごしたニカラグア人の友だちや同僚、ホームステイ先の家族などとは十分な挨拶もできずに別れることになってしましました。
協力隊の活動から得られたもの(得られなかったもの?)
その後は運よくグアテマラに再派遣させていただくことができ、残り7か月を過ごすことができました。
協力隊での生活を通して、成果は何かと聞かれるのが一番困ってしまいます。もちろん自分の心や価値観、語学力は大きく成長しました。だけどそこじゃなくて、自分は何を残せたのか。我々はボランティアであり、成果を第一に求められているわけではありませんが、それにしてもその地域で活動していた意義はあるはずです。
自分の力不足を棚に上げて言うわけではないですが、不可抗力で活動が打ち切りになり、計画していたことがなにもできずに終わってしまいました。ここからなにか得られたものがあるかといえば、正直ありません。だけど物は言いようで、この「得られなかった経験」が、協力隊の中で一番得られたものなのかな、と考えるようにしています。多くの隊員が迎えるであろうハッピーエンドが私にはなく、誰かのせいで中途半端に終わってしまったこの経験を、これからのキャリアに乗せていこうと思っています。
今後の展望と、日墨GPでやりたいこと
現在は教員をしていますが、ニカラグアで味わった悔しさややりきれない思いと、日本での教員の経験を活かして、今後は中南米で国際協力の仕事をしていきたいと思っています。
そのために、まずは日墨GPでしっかりスペイン語を磨き直すことを第一優先にしていくつもりです。メキシコは隊員時代3回ほど旅行に行き、なんとなくわかっているつもりでいます。旅行もしたいとは思いますが、もう30歳、遊んでばっかりもいられないです。DELEでC1を目標に、もりもりスペイン語をやっていきたいと思っています。
もう一つの目標は、日墨GP後にもう一度メキシコに戻り、UNAMで公共政策学の修士号を取ることです。教育の分野とはかけ離れているように感じますが、草の根レベルでの協力隊活動を通して思ったのは、多くの隊員が直面する問題だと思いますが、たとえ素晴らしい活動ができたとしても、果たして自分がいなくなってもその活動は現地に根付き、生き続けていくのかということ。もちろんそこまで十分な根回しができた隊員はすごいと思います。ですが、しつこいようですが、ファミコンしているときにお母さんにコンセントを抜かれて掃除機をかけられてしまうが如く、隊員の活動はいいところで終わってしまいます。トップダウンの政策に問題点は多くありますが、もっと大きくて広い影響力をもって国際協力をしていきたいという思いに至りました。乱暴な言い方をすると、これは隊員1人ぐらいじゃ何も変わらないな、と。ましてや私のように途中で継続不可になってしまっては尚のこと。
とはいえ、大学院についてはまだ不確定な要素が多く、noteで出会った現役日墨生の方とやりとりをさせていただきながら、今後のキャリアを確立していきたいと思っています。
コロナウィルスがいよいよ正念場を迎えそうですね。本県でも感染者が出てしまいました。うちの学校も休校になるのだろうか・・・。田舎なので電車通勤でないことが救いです。皆さんもどうぞお気をつけて。
次回は日墨GP応募にあたりどんな風に準備を進めていったかを書いていきたいと思います。