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ヒーローになりたかった少年の唄2021⑳
塗装職人一世一代
僕は中学を出て静岡の商業高校に進学したのだが、先輩が大暴れしたため文化祭でバンド演奏することが禁止になり、それじゃあ学校にいる意味がないと思って2年で中退した。
その頃は将来の就職だの進学だののことなんて全く眼中になく、単に文化祭のヒーローになりたいがためだけに高校に進学したので、文化祭でバンドが中止になったら、学校をやめて街に出てライブハウスでやるしかないのだ。
17歳の少年としたら将来なんてのは死ぬほど遠い先の話で、とにかくギターを弾きまくって毎日楽しくカッコよく暮らしていたいだけであり、先のことを考えるなんてのはナンセンスだったのだ。
しかし高校を辞めたからには、ブラブラしているにも金がかかるし、やはりどこかで働いて金を手に入れたい。
世間はまだバブルの真っ最中で、かなり景気も良く、高校進学しなかったやつらは中卒で建築の業界や工場なんかに入ってそれなりに羽振りよく、新しいバイクを買ったり車を買ったりとかしていて、高校進学した僕は時給500円とかのバイトしかしてなかったからいつも懐はピーピーで、彼らが羨ましかった。
さぁ学校はやめたし何かで大金を稼いでやろうと思い就職情報誌を眺めていると、まぁ世間には色々な仕事があって、みんなそれなりに給料もいいじゃないか。
とりたててどんな仕事がいいとかいう希望もないし、とにかく少しくらい辛くても体力仕事は基本的に金額がいいので、大工、鳶、土木、塗装、左官、防水などの建築業界が手っ取り早そうだ。
初心者歓迎、交通費全額支給、賞与あり、など魅力的な言葉の並ぶ求人をずっと眺めていてなかなか決められなかった。
不良少年あるあるで、もし仕事が続かなくて途中で辞めた場合に、自分の家からあまりに近い職場だと、辞めた会社の社長とかに近所でチョコチョコ行きあったりするのはバツが悪いので、バイク通勤でわざわざ30~40分くらい離れた塗装店に決めた。
初心者歓迎!
日給1万円~
上出来だ!
これは昭和が終わるか終わらないかの頃の話だ。
はっきり言って30年以上経った令和の今でも17歳の初心者に日給1万円くれる塗装屋はほとんどないだろう。
物価の推移を見てもこれはすごい金額だ。
(今の賃金が低すぎるということもあるが)
職人なら腕をみがけばどこに行っても食えるだろうし、サラリーマン的な仕事と違って先に上司に言っておけばある程度ライブで休んだりすることも可能だろう。
僕は作業着屋で大枚はたいて寅壱の一番カッコいい作業ズボンを買って、バイクに乗って勇ましく面接に行った。
事務所に着くと、角刈りにぶっとい喜平の金のネックレスをした小柄な社長と、半曇りのサングラスをかけ指にゴツい金のカマボコ指輪をはめた専務が迎えてくれた。
「おお、兄ちゃん若いな。ペンキははじめてか?」
「はい」
「ペンキ屋は儲かるぞぉ。ウチは年間〇〇億はやってるから頑張って5年もやったらお前も金持ちになれる」
「外を見てみろ」といわれ、駐車場を見ると最近売り出したばかりのシーマの新車が停まっている。
「あれはな、ウチの20歳の職人の車だ!」
うわぁ、すげぇ。。
20歳で新車のシーマかよ。
「早速明日から来いや」
実際当時の建築業界のバブルはものすごくて、仕事の量と金額も確かにすごいが、空の領収書切るだけで〇百万とか、空ローンで〇千万とか、まぁほとんどヤクザのようなことも平気でやっていた。
翌日、初の仕事はどんなもんかと戦々恐々で事務所に向かった。
「とりあえず、今日はこれ塗っとけや」
深緑色のペンキとローラーを渡され、おじいちゃんの職人に教えてもらいながらやらされたのは、なんと右翼の街宣車の上についてる「北方領土を返還せよ!」と書いてある看板の塗り替えだった(笑)
そんなこんなで1週間くらいマジメに働いたある日、事務所に帰ると社長に呼び止められた。
「おい、来週韓国に社員旅行に行くからお前も来い!」
「いゃあ、俺まだ働き出して間もないし金もないんで遠慮しときますわ」
「いいから金の心配はするな、小遣いやるからよ」
「マジっすか??」さすがはバブル。
従業員だけでなく、得意先の人や危ない系のひとたちまで総勢20人はいたかな?
旅費も小遣いも当然全部会社持ち。
総額いったいいくら使ったんだろうか?
韓国の空港に着くと、いきなり空港に女の人がズラリと並んで待っていた。
社長初め幹部クラスから女の子を1人づつ選んでいって、僕にも最後の1人が着いた。
20代後半くらいのスラッとしたなかなかの美人で、日本語もペラペラ。
彼女が、ガイドから○○まで全部面倒見てくれるという。
「うちの旅行は基本自由行動だから。この金やるから好きに遊べ!明後日の○○時にここにまた集合な。なんかあったらここに電話しろよ!」
と言われ電話番号のメモと10万円の入った封筒を渡されてそこで解散。
みんな女の子と手を繋いでそれぞれ街の中に消えていく。
えぇっ!?
俺、いきなり一人にされちゃうの?
しかも初の外国で??
※画像はイメージです(笑)
その後どうなったかはここにあまり詳しく書けないが、まぁ初の国際交流は強烈なインパクトで、そのせいかその後今に至るまで、僕は音楽の仕事がない時には塗装屋さんの手伝いをするようになるのだ。
その後、僕は東京に出てしまったので静岡のペンキ事情は知るよしもなかったのだが、風の噂ではその会社は地上げにやられ、その時の社長は最後にはヤクザに追い込まれて首を吊って亡くなったらしい。
このコロナ騒動で音楽のライブがままならない今、僕がなんとか食いつないでいけてるのは、塗装の技術があったおかげでもある。
社長!本当にありがとうございました!!
どうか向こうで安らかに(祈)
before⤵︎ ︎
after⤵︎ ︎