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シン・エヴァンゲリオン劇場版を観たから感想文書きます

ネタバレしてるので注意。

クリエイターには躁鬱があって、Qは鬱のときに、シン・エヴァンゲリオン劇場版(以下「シン」)は躁のときに作られたんじゃないか。それほど違う作品だ。

私はわかりやすいエンターテイメントを観たいので、そういう意味では「序」「破」はいい作品で、その流れの続編を期待してQを観て「なんやねんこれ」とずっこけた。

これをどうやって次につなげるのか。もうQをなかったことにして改めて「破」の続編を作ってくれてもいい。というかそうして! シンを観るまではそう思ってた。

しかしクリエイターは真っ向からQを受け止めてシンを作った。

シンジ君はあんまりひどい目にあったので、再生にはそれにふさわしい場所と長い時間が必要だった。だから物語前半、村の皆さんはQとは正反対に、どこまでも優しい。

シンジ君がむせび泣くところ、いい。アスカが切れてシンジ君にレーションを食わせるシーン、カメラが揺れてるような演出が効いていて、いい。

シンジ君がレーションをむさぼるところとかとてもいい。結局は腹が減る。

そっくりさんがパシャッとなって、さらにこの哀れな少年を追い込むのかと身構えたが、彼は一周してしまって開きなおったのだった。そんなものなんだよ。どんなひどいことがあったってさ。

僕が初号機に乗ります、というシンジ君を送り出すシーンはよかった。Qでのみんなのシンジ君への態度を思い返すと無理あるけど。あんたら心底嫌ってなかったか。まあいいや最後だし。かたいこと言わない。

「肩叩くか殺せ」はよかった。ちょっとうるっときた。

初号機VS13号機は、冒頭のパリでの戦闘に比べるとなんだか安っぽい。

市街戦では吹っ飛ばされた初号機が激突したビルがズズーっと動き、ミサトさんの部屋は書き割りで、これは特撮、つまり虚構だというクリエイターのメッセージですね。この物語そのものが。

25年分の情念が積み重なり、ハマって抜けられなくなってしまった観客にそうさとしてくれているのか。

夕暮れ電車で父を救い(そう簡単に救われても困るが最後だからまあいいか)、アスカ(あの舞台と衣装はそういうことなんでしょうね)、カヲル君(司令?)を救い、ああこれでみんな成仏していくんだな、と。そういえば初号機に乗り込むときに綾波も救ってたか。

ガラガラとシャッター閉めたら舞台は特撮の現場。シンジ君とそっくりさんが向かい合ってこれまでの作品のタイトルが映し出されいく。

「これ虚構のお話ですよ」と、改めて作り手が強調しているかのよう。

最後はシンジ君は大きくなってて、スーツ着てて、「胸の大きないい女」と以前なら絶対言えないことを口にし、ああやっと彼の苦痛に満ちた思春期は過ぎ去ったのだな、と観てるこちらもラクになった。

駅から駆け出すシーンはなぜか実写で、物語は幕を閉じる。

エヴァンゲリオンはこれでおひらきですよ、みんな考察とかしてないで外で遊べよ、いい異性見つけろよ、それから絶対にもう続編は作らないからな、納得してよこれだけやったんだから、というクリエイターのメッセージが聞こえました。

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