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少年時代
寒波が凄まじいですね。寒って感じで毎日過ごしてますね。
前回の予告とは違い、今回は少し自分の少年時代について話したいと思います。
今、実家を片付けていて、そこでふと思い出したからです。
いくつか印象的なことを書きたいと思います。
6月、田植えが始まる季節、父は田植えの合間によくホタルを見に連れて行ってくれました。
今はない新しい田んぼと呼ばれた、自宅からそう遠くない場所でした。
そこには田んぼのほとりに小さな木が生えており、夜暗くなった時、カエルの音を聞きながら、そこに飛んでる小さなホタルを見せてくれるのでした。
源氏蛍ではなく平家蛍だったように思います。
それはとても楽しい時間でした。
小さい自分と父親と妹もいたように思います。
そしておそらく保育園くらいから小学校低学年くらいまで、そんなふうにして毎年連れて行ってもらったように思うのです。
やがて大きくなり新しい田んぼも家が建ち、その場所も無くなりました。
今思えば父もそのくらいまで楽しい幼少時代を送っていたのかなと思ったりするのです。
私も小学校低学年くらいまでは毎日が楽しく、なんの思い煩いもなく生きていたように思います。
今時を経て、自分の歩みを少し振り返る時間があります。
散らかったままの実家は、思い返せばもう20年近くは住んでいませんでした。
その間私は大学へ進学し、滋賀で5年過ごしたのち、奈良に就職で帰ってからは、もともとなやがった場所に父が新しい小さな家を建ててくれていたので、そこに住みながら通勤していました。
食事だけは実家で食べさせてもらっているような生活でした。母がそうしたほうが楽だからと作ってくれていたのです。
今思い返すと、完全に新しい家で自炊してるほうが楽だったかもしれないと思ったり思わなかったりしますが、そこは素直に母に感謝します。
妹も一緒に住んでいました。妹は割と兄思いというか、兄弟は仲が良かったように思います。
それは妹が小さい間からよく私が兄として遊んでいたからからかもしれません。
就職してからよく隣の部屋で妹が誰かと電話している声が聞こえていたものです。
そういえば、話は飛ぶけど、母とはうまくコミュニケーションが取れているか今少し考えるところがあります。
母は気遣いができる人で、自分の意見を強く持ってる人です。
だから子どもである私に、こうすれば本人にとって楽だろうということを考え、それをよくいってました。
私はその思いを敏感に受け止めて、よく聞いていたように思います。母の言うことは説得力もあったし、小さい頃からいろんなことを私によく世話を焼いていたように思います。
ただ、もう少し私の意見も求めて欲しかったと思う時もあります。母がよかれとしてることが、私にとってはそうではないこともあった気もするし、私自身が決めて、私自身がやっていかなくてはいけないこともたくさんあったように思います。
そのあたりを全自動的に受けて、幼少から青年、青年からやがて壮年に変わっていくのですが、自分の成長を、前半に楽した分、今になってきて非常に困ることがたくさんあります。
時間の管理ができない。1日の動きややることをかなり口出しされていたので、自分で1日を組み立てて生活することが困難です。
どうしても相手ありきで生活するので、人からはマイペースで生きているようにみられますが、自分軸で生きている気がしないのです。
思考的には相手がこうするから自分はどう振る舞うとか、これをすると相手はどう思うだろうかと言うことが気になって、なかなか主体的に生きられないのです。
客観的に見て、私は好きなように生きてきて、何不自由なく生活できているように見えるかもしれないですし、人と接することもどちらかと言うと得意なように見えるかもしれません。
しかし私自身の主観でいうと、あまり相容れない自分がいくつか自分の中にあり、表面に表れているのは割と社交的な自分という感じで、本当は寡黙で自分の中で1人で考えこみ、1人で過ごしたいという思いの自分も確かにいるのです。
どちらかと言うとこれからの人生では、その自分の欲求を満たしてあげたいと思います。
家族もいて、子どももいてこれから新しい仕事をしていく中で、どううまく擦り合わせていくのかが腕の見せどころというか、悩ましいところでもあります。
生活の中で1人になれる時間を決まって取れるようにしていく必要があると思います。
お風呂、時には食事、また寝るまでの時間、働きだすとおそらく帰ってからはほとんど時間がないので、朝しかないかと思います。
みんな夜9時半には寝るので、1人で起きていてもいいけど、昨今の情報を見ていると、よる活動するより、朝にやるほうが理にかなっているようなので、朝活をしていこうと思います。
起きれる範囲内で起きれた時だけでいいと思います。
具体的には家族と同じように9時半には布団に入るようにします。そうすると晩御飯をとるじかんがほとんどないので、毎日夜はほんの軽くにして、昼ごはんを多めに食べて、夕方の帰りの電車やバスで軽く食事しようかなと思います。
おにぎりや少しのおかずを多めに持っておき、仕事の後軽く済ます。
そして8時くらいに帰宅したらすぐに風呂に入って家族と1時間ほど団らんするのです。
電車やバスも貴重な1人時間です。音楽を聴いたり、本を読んだり、話を聞いたりできるでしょう。
そして9時半に寝ることができたら大抵朝は季節によるけど6時くらいには起きることができます。自然に目が覚めますよね。冬は例外ですが、春から秋にかけては割と活動的になるのでその間は朝活しようと思います。
具体的には朝ヨガをやって、読書します。そしてアイデアなどをこのnoteに書いたり、または映像の編集なんかをします。
家もリフォームするかもしれないしその計画も立てる。また仕事のアイデアなんかも作るのもいいですね。
現在、キッチンはちょうど個室として使えるので。誰もいない朝のキッチンで、あるいはリビングでやるのもいいです。
私が欲しいのは、私の本や筆記用具を置いておける決まったスペースです。生まれてこの方きちんとした部屋を持てたのは、滋賀に一人暮らししている時、帰って新しい家に住んだ時、そういえば中学校くらいの時も部屋を持てていた気もします。
そう思うと恵まれていたなぁ。私は勉強ができないとダメだと思い込んでいたので、自分の部屋でも勉強ばかりしていたように思います。
というか勉強することしか使っていなかった。
今思うともう少し1人で閉じこもって、本を読んだり、プラモデルを作ったり、いろんな構想を立てたり、ギターを弾いたり、絵を描いたりそういうこともすれば良かったと思います。
当時の自分は少し偏っていたようにも思う。勉強できることが1番大事だと思い込んでいました。
それも辛かった。中学に入って中間試験や期末試験ができて、小学校のときのように簡単に高得点を取ることができなくなって、賢い賢いと言って育てられた自分には、勉強ができなくて点数を取れない自分というものは受け入れられなかった。
今思うとくだらないことに思えるけれど、当時はそのプレッシャーに体が耐えられず、試験前の朝は食事も通らず、無理やり食べる朝食に吐き気と実際、嗚咽をしていたのを記憶しています。
それほど私は小学生の時、賢くあらねばと強く刷り込まれていたように思います。
それは特に祖母からのプレッシャーだったように思います。
父も母も学校の成績については特に何も言わず、私を賢いとも言わなかった。
でも祖母だけは、無責任に可愛がり、欲しがるものはなんでも与えてくれた。
子どもの私はそれを嬉しく思います甘え、なんでも買ってもらっていた。
それをよく思わない両親に対し、少しうっとうしくもおもい、またどう対応していいのか困惑していた。
今思えば、そこはきちんと父と祖母で話をして、過剰に甘やかすのは控えるようにして欲しかった。そして自分自身ももう少し我慢できたら良かった。断ったり、いらないと言えれば良かった。
両親ともう少し話して、自分の気持ちを聞いて貰えば良かったとおもう。
ばあちゃんなんでも買ってくれるの嬉しいけど、これでほんとうにいいのかな?
こんなんしてたら自分ダメにならないかな?少し心配やねん。
その気持ちとなんでも買ってもらえて嬉しいし、まぁもらえるから貰っといたほうが得だよな
という自分がいるねん。
と
人は自分に対しても無責任になれるし、まして自分の子どもや孫においても無責任になれる。
やりたくないことはやらないというのが無責任なことなのかも、だって責任を持つとは、やりたくないこともやるってことやから、その辺が自分の弱みだと感じる。
片付けもやりたくない。追われることもしたくない。1人でじっくり考えたい。
あまりかまわれたくない。
思いついたことは何かに書いて、整理したい。
この文書を書いているのだって朝の一時半からだ。
娘と寝ていて狭かったからかこんな時間に目が覚めて、実家の整理が強烈すぎて、描きたい衝動が出てきた。
庭で焚き火をしていた時現れた少年時代の私の記憶。
たまにずっと昔の記憶、海馬にアクセスしたらしいいと思った。夕暮れの焚き火はちょうど良かった。
これからの人生でこういう時間を取る必要があると思う。
毎日庭で焚き火をしたい。それは海馬にアクセスしたいということ。
少年時代の楽しい記憶は宝物だ。そこに自分の原点もあるし、土台もある。だから夕暮れには家の庭にいたい。
現実はまだ職場か、通勤電車の中だろう。そこで同じようにアクセスできないか。VRでもつけたらできるのだろうか?目を閉じればできるのだろうか?
静寂と暗がりと、わずかな炎が私を少年時代に忘れ物をとりに行かすように手を引っ張る。
あぁあの映画の時間がループしているということもこういうことなのかと思う。
自分を取り戻そうとすれば、今の生活を変えていかないと。、こんな忙しかった毎日では自分も見失ってしまった。
今時間があるからこんなことを考えているのか?それともこの時間が私の隠れた欲求を表に出してくれているのだろうか?
どちらにせよ、もう父親もいないし、暖かくてうっとうしかったあの実家も今は見る影もない。
年老いた母が1人で暮らすにはあまりに広く、寒く、汚れすぎている廃屋のようなたてものがそこにあるだけなんだ。
母にはどうしたいのか明日聞いてみようと思う。
差し迫ったことではないけど、母にとってあのままあの家で住むのは少し心配になる。
暖かい家でできたら暮らして欲しいと思うのは、母がかつて私を縛ったあの母性と同じような気もする。
本人がどうしたいのかを大切にしたい。
そういえばあの本で、野口さんの本で母性は包み込むと同時に、相手を閉じ込めてしまうとあった。
確かにそうだった。母性には両面がある。守る側面と束縛する側面だ。この束縛の側面は、子どもは反抗期などを通して打破するそうだ。
私にはそれがなかった。親に従順であれと言われる聖書の教えもあったし、反抗する気にもならなかった。むしろ従いどうなるのか見届けようという思いもあった。反抗はかっこ悪いと思っていた側面もあったし、母は怖かった。笑
よく怒るし、結構パワーがあった。それで逆らえなかったというのもあるだろう。
今思えば喧嘩上等も良かったかもしれないけど、なんとなくぐれる気にはならなかったし、そんなことしたら自分を狭めるようで嫌だった。
そのあたりは功利的なところがったように思う。要するに小賢しかった。
本当なら正面からぶつかって納得するまで話し合えたら良かった。それが結構感情的に母もなるのでなかなかできなかった。
その反面、父は冷静だった。だから思春期を迎えた頃は父によく相談していた。その動機はやはり母性との対峙だったように思える。
その時の父はとてもよく理解してくれていたように思う。
ただ、やはり進路となると父も公務員だったからか安定とかそういう道を勧めていた。特別才能のないものはそうするしかないっていうことだったのかな?
音楽にも反対しなかった。父は後で手紙で知ったけど、新聞記者になりたかったようだ。そうなると決意した学生時代の手紙を読んだ。
同じような心理だったんだと気づいた。父もそんな夢を抱いて、東京へ行く夢を持っていたんだと知った。
ただそうしなかったのは、やっぱり遺伝なのかと思う。
意思もかなりの部分遺伝に支配されている。まず基本的に生きていたいという大前提の欲求がある。
結局家を出ないとか、家に帰ってくるってそのあたりの欲求だろう。
それに加えて社会的に成功したいとか、今ある環境から抜け出して新たな環境で今までと違った自分を表に出したい。自分でいたいという思いが対立することがある。
結局基本的な欲求が勝つのだけれど、かなりの安心感があれば、遠くにでも行けるのだろう。
それは親が子どもを、信じていれば叶う。
子どもとしては、親に信じてもらうためにできることはない。いくら言いつけを守っても、親が心配になるようなことをしなくても。親が子どもを信じられなかったら、子どもは自信を持つことはできない。子どもの間は。
だから親は裏切られることは当然として、子どもを心から信じるしかない。、
これは大人になってからでないとできないことかもしれない。子どもは大人、特に親を見て育つ。そこに法律がある。ルールもある。親を見て普通とか当たり前を学習する。
子どもに何か問題があるのは、まず第一に親の問題である。しかしその親が育った環境もあるし立場もあるし、置かれている状況もある。
そういった意味で現在の日本はかなり厳しい環境にあると思う。
まず仕事の拘束時間が長すぎるし、当たり前として求められるハードルが高すぎる。そして当たり前と思ってることのレベルが高すぎる故に不幸になってる。
だから今一度、不便な生活をしたらいいと思う。お金もない、水も十分に使えない、ものもない、そういう生活をすると他人と協力しないと生活が成り立たないから、協力して地域も密になるだろう。
だから今ありとあらゆるものがありふれているのは実は異常な状態だと自覚しないといけないなと思う。
なにおれもいっっていたけど、質素に生活するって、自分にとって大切なものだけに自分のエネルギーを注ぐ生活だってことだった。
そうすると私にとっては信仰が1番大切だ。
自分は神にはなれないけども、どうすれば幸せに生きられるかという問いに対して、やっぱり明確な基準は必要だし、だからといってがんじがらめに生きるのも違う。
生きやすいくらいのゆるい縛りの中で、快楽に振りすぎることもなく、真面目一辺倒になることもなく、程よいバランスでユーモアを持ちながらふらふらと楽しく漫然と生きるのがいい。
ビシッとやりたいことはそうすればいいし、あまりこだわらなくていいところはこだわらない。
思い通りにいかないことは思い通りにいかないほうがいいし、うまくいくことはうまくいけばいい。
そのまま起こることが全て最高だと理解できればそれでいい。だって一見して悪いことも実は後々考えたら変化していく中で必要なことだったということが全てだ。
だから私は神を信じてる。いつだって自分に味方してくれる。そしてそのままの自分を受け止めてくれる。いつもそばにいるし、いつも見守ってくれている。そういう存在を、確かに感じる。確かにあるといえばそこにあるのである。
そんな素朴なものが神だと思う。そして何よりも強いし壮大だ。宇宙とか自然とかそういうもの全てを司っているし、自分もまたその一部だと考えれば、すごく身近な存在である。
それでいて創造者でいて主権者でいる。だから人間も奢ってはいけないけど、そういうすんごい存在の一部だと思うと尊敬せずにはいられない。
愚かで不完全で、せこいとこもあるしこすいところもあるけども、めちゃくちゃ愛おしいのが人間でしょう。
だから私は神を忘れたらあかんと思う。何をどう見るかはずっと長いこと自分の課題だったけど、ずっと考えて色々調べてみて、考えていった結果、神は素朴で壮大で身近で、認めるとそこにいるし、どこにでもいる。
全人類が本当は信仰していたと思う。それが遺跡とか歴史的にずっとあるけど、どっかで見失ったんだろうな。
過度な欲望とか、争いとか、そういうものに飲み込まれていったんっだろうな。
最近エノク書なんかもYouTubeで取り上げられていたけど、天使が舞い降りて人間とSEXして半分天使半分人間みたいな存在が現れて人間界はめちゃくちゃになったらしい。
そしたら半分は天使の責任である。そうすると多分聖典としては不適切だからキリスト教では外されたんだろう。これは推測です。
でも現実人間には到底手のつけようのない問題も確かにあるから、それはもう人間で解決しようとせずに。もっと大きな存在に任せたらいいと思う。
それよりもやはり正しい知識を身につけて幸せににこの地球で生きていこうとするのがいい気がする。
もともと神の目的はそうだったのだからその原点に立ち返ればいいと思うのだ。
それがあの少年時代とまた繋がってくる。だから子どもたちにはホタルを見せたい。楽しかった思い出全てできるだけ同じように経験させたいし、貪欲な私はそれ以上、仕事も楽しみたいし、与えられた以上子どもにも与えたいし、自分にも与えたい。
そのあたりは知力を使ってどんどん楽しめたらいいと思うし、大体である程度でいいとも思う。
楽しいって私にとったら冒険とか開拓ってこともある。これはとくに母方の血でもある気がする。
そう思うと実家のこともそんな深刻に考えなくてもいい気がしてきた。家なんてものは仮のものだ。
必要だけどあればいい。管理が難しければ売却してもいいし、手放すのもありだ。
そう思うと気も楽だし、母や妹とその辺りも決めていきたい。
家が散らかって汚いのは嫌だ。、だから整理してそれから決めよう。
神は素朴で清潔好きだ。
寝てる間に全て良くなるように取り計らってくれる。起きた時体も整ってるし。頭も整ってる。、無料で全てやってくれる。凄まじいそんざいだ。
神は命そのものだ、愛もそうだ。全てを司って、全てを包む。そう思うと、聖書の神だけでは捉えきれない。
清書を見てるとすごく残酷で無慈悲で自分勝手なのような描写もある。
そういう側面もあるのかなぁと思ったり。ちょっと嫌だなと思ったりする。
それはその書かれた時代に置かれている人の素直な感情だったんだろう。
そしてあまりにひどいことを人にすれば、その人の味方の神は激怒するんだろう。
だから差別もあかんし残虐な行いもダメだ。人を不幸にするようなことも慎まないといけない。、
そういう意味では不倫もダメだ。家庭を壊すし、愛してくれていた相手の純粋な気持ちを傷つける。
それはあまりに自分勝手な行為だ。
ただムラムラするし、常にやりたい気持ちでいっぱいなのは確かだ。
そこは工夫が必要だろう。妻も日々の生活は大変だろうし、第一自分ほど性欲があるのは普通じゃないようだ。
もしかしたらもっと他のことに情熱を持った方がいいかもしれない。
それでもあるものは仕方ないし。これは良いことだと思う。
1人で楽しめばいい。道具を使うのもありだ。、今はセルフプレジャーと言って女性も積極的に行なっているようだ。
薬局にもテンガのようなホールは売ってるし、社会的にも理にかなっていることのようだ。
マナーはあるから大っぴらにはできないし。誰にも見つからないようにするのは大切だ。
しかし自慰は決してダメな行為ではない。切り分けていうなら刺激の強いポルノはあまり脳に良くないようだ。
だから想像力などを用いてやるのが良いようだ。
たまには見たくなるのも人間の差がとして確かにある。。だから暴力的なものとか刺激が強すぎるものは避けて、ソフトで想像力を刺激するようなものすればいいのかな?
この辺りはまだまだこれから探っていかないといけない。
でも抑制しすぎることはかえって不自然なことかもしれない。この辺りはバランスが必要かもしれない。
さて。私は急に話が変わるけど、研修で発達障害について学んでどうもしっくりこなかった。
もしかしたらこの辺りにかなり暗いのかもしれない。
だから発達障害についてこれからもっと学んでいこうと思った。
今農薬とか食品添加物とかのせいでかなり発達障害を、負わされている子どもたちや悩める大人が多いらしい。、
見ていくうちに自分も当てはまってそうで興味深い、とともにかなり根深い問題である。
これこそ現代社会の闇というか、日本とアメリカの関係の縮図だろう。
韓国も増えているらしい。
そう言った面でも日本人として日本とアメリカの関係はこれから見直して、互いに不利益がなく、相互互恵的なものにきっちり変えていく交渉が必要だ。
これはこれからの世代に任せるとともに少しずつその道を開いていこうと思う。
アメリカは日本と同化したいようだけど、現状のアメリカを見ても日本もを見てもそれは無理だろう。
お互いもう少し刺激し合って。良いところを謙虚に学び合うことで、日米の文化がより磨き上げられ、人類にフィットしたものになってくれば。その道も開いていくと思う。
どちらにしても過度に利己的で貪欲になりすぎているいまの社会では持続は不可能だ。
ローマ・カトリック教会のような嘘の宗教、善悪二元論も、もう支配の仕方として時代錯誤になっている。
戦争も勿論解決方法にはならないことを全ての地域の人が学んだはずだね。
そしたらやっぱり神による支配を受け入れて。もっと人間らしく、おおらかに朗らかに生きるしかないよね。
そっちの方が本当の多様性につながると思う。。
性的嗜好だけが、多様性じゃないだろう?そのあたりは詳しい先生に聞きたいよ。
多様性って共通の最低限一緒に生きていくルールは守って。あとはそれぞれの信仰に応じて生きていいってことじゃないかな?
だからローマ・カトリック教会が行った植民地支配とか侵略とかそういうことが正しいとされたことへの反動だったはずが。いつの間にかゲイとかレズビアンとかだけの話にメディアによって変えられてしまって。歪められてしまったんじゃない?
そもそもメディア自体が多様性と真逆やろうし。。物の見方は十人十色でそれぞれ全然捉え方が違うのだから、真実は一つみたいなことは無理でしょう。、
事実は事実として。それをどう解釈するかは一つじゃないし。正解もない。
経験によっても違うし。置かれてきた環境によっても違う。
だからどう生きてもいいし、それをとやかくいうのは自分を守るためであって相手のためじゃない。
本当に相手のためを思うなら相手の言うことをよく聞くことがまず大切で、その中で自分のできる範囲でできることがあればやるくらいでいいんじゃないかな?
分かり合えない人とは分かりあう必要もないし。そう言う人はまたそう言う人同士で繋がれるし、いつかまたお互い成長できた時接することができるかもしれない。。、
相手の不足もあるし。自分の不足もある。
あるいはにすぎていて合わない時もある。、わかりすぎて。
こんなわかったふうに書けるのに悩む時もある。
なかなか頭で分かっていても。実際の問題にぶつかった時、自分の正解にすぐアクセスできない時もある。
バイアスってあるらしくて、自分を守るために出てきてしまう特殊な思考回路が備わってるらしい。
だから何回も経験して何回も失敗して、アクセスする訓練をしていかないとあかんようだね。
だから何回も失敗するし、何回も悩むでしょう。、それが普通なんだと今頃になってやっと分かってきました。
落ち着くまでにはそれなりの時間がかかるよね。
今の時代だからできることかも。、昔の人はそんな余裕もなかったから早く成長していったでしょう。
今は寿命も伸びてるから。それだけ成長もゆるやかになるんだってさ。
そう言う物なのかも。、もっと長く生きれたら人毛ももっと進化して賢く生きられるだろうに、ちょっとかわいそうだよね。
これだけ短い寿命にも何か意味があるのでしょう。
でも慈悲深い人は割と長生きするみたいだよ。
そのあたりはやっぱり、自分にも寛容になるのがいいんだろうね。そのままでいいよって。
さて更けてきたし今日はこれくらいにして、休みましょう。
長々とありがとうございました!