性行為=いかがわしい事ですか?
なぜ、配偶者以外の人との性行為がNGなのか?
なぜ、未成年者との性行為がNGなのか?
学生同士の性行為が「不純」なのか?
私なりに考えてみました。
※この文章は、私の意見ですので、別の角度で考えると正しくないかもしれません。
結論から言うと、相手の気持ちより自分の欲望を優先させてしまう事が多すぎるために、「性行為」そのものを悪い事、不潔な事、不純なことのように扱わないといけない社会になってしまった根源ではないかと思います。
あと、性の問題に限らず、しきたりや法律の根源も、そもそもその事自体は悪く無くても、「悪い結果につながる恐れがある事」に制限をかけてしまう例が多々ある気がします。
少し話は逸れますが、私が高校の時に、友人と休み時間に近くのスーパーでお茶を買って戻ってきたら、生徒指導の先生に呼び止められて昼休みに郊外に出てはいけないと言いました。
理由を聞くと、「外にでる奴はタバコを吸いに行くからだ。」と。
私は買い物袋を見せて「お茶ですけど。」というと、「指を出せ」と言われて指先の匂いを嗅がれて、タバコの群れ衣は晴れたものの、後からそれを聞いた担任が「お前が疑われる行為をしたから悪い」みたいなことを言われて、随分納得がいかない気持ちになった事を思い出します。
性行為自体は、もともと子孫をつなぐための行為であり、快感を得るための行いではない。
しかし、なぜ快感を伴うのか?
これが、さまざまな文明社会の中で物議を醸し出し、ある社会では、快感を感じる事自体が罪だとか、罪を我慢するための試練だとかよくわからない理由がつけられて宗教的価値観で悪い事とされてきたり、逆に一部の「認められた物」だけの特権にされてきたりしてきた歴史があるように思います。
人が人を好きになるのも、その程度によって最適な距離があると思いますが、スキンシップを求め合う心の距離は基本的には本人同士が求め合うのであれば、近くにいたり抱き合ったりするのも、それが気持ちが通じ合う助けになるのであれば悪い事では無いと思います。
ただ、何が悪事かって、気持ちが通じ合ってもいないのに、
肉体的、精神的、立場的に強い者が、弱いものに対し一方的に性行為を強制される事が多々あるからだと思います。
また、一時的に気持ちが通じ合ったとしても、お互いの許容範囲がずれていたり、それぞれの生活シーンの中で、様々な人との出会いの中で、好きな相手や好きな度合いも変わってくる事で、お互いが求め合う度合いも変わってきてしまう事を受け入れられずに自分の想いだけで相手を縛り付けてしまったりする事で、幸せを確認し合う行為が、傷つける行為になってしまう事にもなるからでしょう。
あと、もちろん相手(主に女性側)
を傷つけてしまう例で最も懸念されるのは、避妊の問題でしょう。
当人同士が結婚して子供も望んでいるのであればいいでしょうが、社会的立場の違い、生活している世界が違って一緒の生活ができない状況であったり、まだ子供を産んで育てる段階でない状況であれば、避妊は絶対でしょう。
では、なぜ、「避妊をしない」事にこだわるのか?
「ゴムをつけない方が気持ちいいから」「妊娠のリスクを負ってでも自分の言うことを聞いてくれる事を確認したい」とかでしょうか?
その辺の男性側の気持ちは私には理解ができないが、どちらにしても男性側が女性側の事を考えてない事から起こる事でしかないと思います。
なので、避妊はきちんとする前提で、その問題はクリアしたとして、なぜ大人と子供が性行為をしてはいけないのか?
なぜ同意があっても法的に禁止される国が多いのか?
やはり、基本は「実際は子供の方は望んでいなくて、大人が騙して同意だと思わせてる」という考え方が主になっているようです。
しかし、子どもは本当に性に興味を持たないでしょうか?
いや、子どもは性に対してとても興味深々です。
ただ、日本の感覚で行くと、興味の持ち方がおかしいと感じます。
私は、本能的に正しいのは、
「好きな人とはくっ付きたい。抱き合ったり、口をつけたり、触ったりしたい。好きじゃない人に見せたり触らせないところを見せたり触らせたりしたい。」
という感情は正しいと思います。
でも、子どもは「禁止されている事」はしてみたい、見てみたいと思いますよね。
「うんち、おしっこ、ちんこ」この言葉を発する事が、大人が汚いもの、不愉快なものとして忌み嫌い、発言を禁止するものであるが故に、子供たちは面白おかしく、「バカ」「クソ」などと同様に排泄や性器機能を持つ大切な所を、何かを蔑む言葉として認識してしまっている気がします。
確かに、本当に衛生上を考えると心理的に「汚いもの」というイメージを与えなければ、できるだけ触らないように気をつけたりしなくなるのである意味必要なことかもしれませんが、「不要なもの、捨てるもの、すぐそこにあると衛生上、生理上不快で着いたら洗って綺麗にするもの」という事で、忌み嫌うものという情報は不要なのでは?と思います。
同様に、性器に対しても、そういう汚いものが出てくる場所ですが、そこをやはり「汚い、不潔な部分」として教えるのではなく、「清潔にするべき所、大切なところ」という表現で子供たちにも教える事が大事なのでは?と思います。
そして、人の性行為というのは、好きな人同士が誰にも邪魔されずにこの人には見られたり触られてもいいと思う場所を見せあったり触り合って一緒にいる幸せを感じれる行為でしょう。
年が違っても、気持ちが惹かれ合うという事はあると思います。
たとえ結婚したり子供を作ったり出来なくても、社会の中でちゃんと自分の生活が営めていれば、時々旅行に行ったり、自分の趣味に没頭したりするのと同じように、好きな人と一緒に過ごす時間を持ってもいいのではないかと思います。
理想論でしかないのでしょうが、大人子供に限らず、「好きな人同士が両方とも許容する範囲で、一方がどうしても受け付けない行為はしない」「学校、職場、家庭」など、自分の生活の場所での役割をおろそかにしない」という事が守れるのであれば、好きな人との秘密の時間を持つ事は決して悪い事では無いのではないかと、常日頃思うところです。