我が家は迷家
巷では山の中にポツンと一軒だけたっている家をMapから探し出して、その住人さんに、何故そんなところに住んでいるのか、ルーツや暮らしぶりを聞く番組がやっている。
あの番組を見る度、「我が家のルーツって??」と疑問がでて、ちょっと調べてみようということになり、
正月に親戚一同が知る限りの家系図を作ることになった。
うちは江戸時代より続く家で、私の父で14代目、つまり私は15代目長子である。
うちに残る文献より、一番初めの御先祖様の名前は「しんぞう」だということだ。(父調べ)
近所に分家を何件も出し、また嫁も数名嫁がせているので、40件ぐらいの田舎の自治会なのに、実に10件くらい親戚がある。
私の曾祖父は大工さんで、大工仲間だった友人の娘と自分の孫を結婚させようと、酒の席で約束を交わし、それが現実となり、(孫である)父と(友人の娘の)母は結婚した。
曾祖父は婿養子だった。五女のぬいさんが家を継いだ。
何故、五女が家を継いだのか。その理由は、親類の中で一番長生きの、はつさん(90歳)が教えてくれた。
ぬいの父(名前は忘れたので、光太郎としよう)はこんにゃく芋を育て、こんにゃくをつくって売り歩いていたそうだ。
うちはもともと農家でなく、自営業だったらしい。
(現在は近所とかわらない量のたんぼをしている兼業農家)
そして、なぜ五女が家を継いだのか。
はつさんの話と想像を合わせてみる。
11代目光太郎の子供たちは、五女でも分かるように、
ひたすら女が生まれた。
そのあとも跡継ぎを作るべく子を作る。
しかし
6番目、、、女
7番目、、、女
8番目、、、女
このころから、光太郎さんは気が狂いだし、自棄を起こすようになったらしい。
そりやそうだ。
そして9番目、、、女
名前は「捨(すて)」
だそうだ。
「もう捨ててこい!」という意味だったのかどうなのかはわからない。
おそらく9番目が生まれたときにはすでに四女まで嫁にでており、もうあきらめて養子をもらったようで、ぬいが大工の新太郎を婿にもらった。
ちなみに12代目新太郎のこどものは3男2女で、戦争で男2人が取られたようで、三男(私の祖父)が13代目を継いだ。
15代ときくと、すんごい名家でめっちゃ箱入り!と
こどもの時は信じていたが、紆余曲折しまくりの迷家15代だったようだ。
さてまた15代目は混乱期である。
私は2男2女兄弟だが、時代の波により、男2人が家をでて帰ってこない。つまり跡継ぎがいない状態になっている。
いつの時代も混乱が付き物の我が家。
うちの迷家っぷりはまだまだ続きそうである。