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芸大生没落日記(1)

当たってほしくない、嫌な予感というのは当たるものである。
熱があるような気がする。寒い気がする。身体が痛いような気がする。
まずいかも知れない。駄目かも知れない。
それは大学院入試の前夜だった。

少し疲れが出ただけで、緊張しているだけで、しっかり寝たら体調は元に戻るはずだと何度も何度も自分に言い聞かせ、嫌いなお風呂もさっさと済ませて布団に入った。
怠いとかおでこが熱いとか、そういうことを口に出してはいけないと思った。
口に出したら本当にそうなってしまうような気がした。
明日は実技試験の日なのだ。舞台に立って演奏しなくてはいけない。
ドレスも新調した。海みたいに真っ青なドレス。たくさん悩んで決めたドレス。
レッスンもたくさんみてもらって、最後のレッスンの時にはこれなら受かるかも知れないって先生も言ってくれた。絶対に失敗はできない。
それなのに、眠れない。身体がおかしい。
前夜23時、体温が38度を超えた。

ほとんど眠ることすらできずに夜が明けた。
私の出番は16時頃だったから、悩む時間だけは充分にあった。
用量用法を無視して解熱剤をドカ飲みしても上がり続ける熱。
昼前には39度を超えた。
訳がわからなくて、現実を受け入れられなくて、私以外の人だったらすぐにわかることが私にはわからなかった。
受験を辞退すべきだと私の中の90人の私は言ったが、10人の私はそれを許すことができず、また、その10人の声はめちゃくちゃデカかった。
言わなかったら誰にもわからない。どうせ落ちるなら僅かでも希望のある選択をした方がいい。ここまで頑張ったのに、こんなに頑張ってきたのに、なんで?
私は控え室で顔を涙で濡らしながら真っ青なドレスを見に纏い、
真っ青な顔で大量の汗を流しながら舞台に上がった。

教授たちは全員目を伏せたり頭を抱えたりしていた。まるでお通夜みたいだった。
試験の選曲もまた傑作だった。
スメタナ作曲のオペラ「売られた花嫁」でヒロイン・マジェンカが歌うアリア。
恋人に騙され売られることになったとを知ったマジェンカは、その現実の苦しみを受け入れまいとし、愛されていた日々に思いを馳せ「なんと幸せだったことか」と嘆く。
結局オペラでは後にそれが誤解であったことがわかり無事恋人とマジェンカは結ばれるのであるが、絶望の淵で歌われる悲哀に満ちたこのアリアは私の心と完全にリンクしていた。
力の入らない身体で、霞のような希望に縋ってどうにか旋律を紡いだが、それはもはや希望なんてものではないことに私は気付いていた。

舞台を降りてからが大変だった。
熱は40度を超え、ドバドバ出ていただろう脳内麻薬がぴたりと止み、かつてないほどの猛烈な酔いと頭痛に襲われた。死ぬ…………………………。

父の車で実家に搬送され、私はカブトムシの幼虫みたいになって生きた。
「これが天井が回るということか」と思ったことはかなりはっきり覚えている。
大学の先生や保健室から電話がかかってきたけど、意識が朦朧としていたので内容はあまり覚えていない。「これで人生終わった訳じゃないから…」みたいなことを言われた気がする。保健室からは「いつ発熱しましたか」的なことを聞かれ、「院試の後です」と答えた。
私が死後地獄へ行かなくてはならないとすれば、この虚偽の供述が原因になると思う。
徳を積まなくてはならない。

院試前に無理をしていたのもあって一週間丸々寝込んだ。
折角本選まで残ることができていたコンクールにも出られず、起きている時間はさめざめと泣いて過ごした。
受験に落ちたことよりもコンクールに出られなかったことの方が辛かった。
その本選には親友も残っていて、会場が東京だったから、コンクール終わったら次の日ディズニーに行こうねと話していたし、私はそのことを本当に楽しみにしていた。
ずっとそれを心の支えにして頑張ってきたのに、努力は何も報われず、たった一日のご褒美すら失われてしまった。世界を恨まずにはいられなかった。

大学に復帰してからは現実を悲観する暇もなかった。
休んでいた間に進んでいた分だけではなく、院試が終わってからやろうと思って溜め込んでいた課題や譜読みが山ほどあったし、演奏会やコンクールの本番が月に2、3本ずつあったので目の前のことをこなしているだけで時間が過ぎて年も明けた。

1月末に卒業試験があった。
その試験の上位3名は卒業演奏会に出られるようになっており、入学してすぐの頃からそれに出ることを目標に頑張ってきたのだが、自転車操業の如く誤魔化し誤魔化しなんとかかんとかここまで進んできた私はついに準備が間に合わず、試験で中途半端な出来の演奏を披露し、それが学内での最後の演奏となってしまった。

卒業演奏会に選ばれなかった悔しさはどうしようもない劣等感に変わり、台風直撃の低気圧くらいの怠さが私を襲った。
そのまま5年くらい引きこもってしまいたかったが大学のカリキュラムは許してくれなかった。
私が入学するよりもずっと前からうちの大学は2月にオペラ公演をすることになっている。声楽専攻生は勿論、管弦打の人たちも総動員でなかなかデカいエネルギーが注がれ出来上がっていく舞台は独特の緊張感と活気に満ちていて、私はいつもとても怖かった。
この年の演目はプッチーニ作曲の「ラ・ボエーム」で、私達4年生と1〜3年生の男子は合唱で舞台に上げてもらうことになっていた。(全学年男子が少ないため男子は学年に関係なく駆り出される。)
人前で恥をかくことに抵抗がない性格を買ってもらい割と目立つ子供の役を当ててもらったのだが、これが良くなかった。
思い切りよく走り、暴れ、みんなを揶揄ってまわる演技は我ながらなかなかウケた。
稽古場の雰囲気も良かったし、最初はみんなに笑ってもらえることが嬉しくてラッキー!と思っていたけれど、大学院生の先輩方の素晴らしい歌声と洗練されためちゃくちゃ美しいお芝居の側でそれを続けているうちに「笑ってもらえる」はあっという間に「笑われている」という被害妄想に変わって、私は駄目になっていった。
まず眠れなくなった。意識が朦朧としてきた瞬間にボエームの二幕頭で聞こえてくるトランペットのメロディが脳内に爆音で響き渡り、歌詞を覚えきれていない箇所が自動的に何百回もループされるようになった。状態としては悪夢と金縛りの間みたいな感覚で、はっきりと「嫌だ」という意識はあるのに起きることができず、それが朝まで続く。目覚ましの音で解放されても寝た気はまるでしないし、起きた瞬間からぐったり疲れていた。
次にエグい腹痛がきた。声を上げて地面を転がらないと耐えられないほどの痛みが一時間に一回くらいきた。
流石に稽古場で転がるわけにはいかなかったのでめちゃくちゃ耐えた。から元気を全身から放出し、虚勢を張り、稽古が休みの日には胃カメラを飲んだ。逆流してきた胃酸で食道が焼けている画像を見せてもらったりした。
それでも稽古には行き続けた。一度休むともう戻れなくなるような気がしたし、歌も芝居もゴミカスなくせに体調管理までできないと思われたくなかった。
私は無遅刻無欠席のまま本番を終え、そして死にたくなった。

続く

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