【インタビュー】ZENトレプレナー研究所代表の吉田有氏に聞くSOGIとこれからの日本
吉田有氏は、神奈川県は大磯に拠点を構え、禅(以降、ZEN)とビジネスを結びつけた独自のエグゼクティブ向けの教育プログラムを展開しています。今回は、私たちの取り組んでいるSOGI問題について、ZEN視点からの考え方をお伺いし、ひいてはこれからの日本のあり方についても貴重な意見交換をすることができました。
-現在の吉田さんのお取り組みについて教えてください。
例えば、大磯のお寺でオリエンテーションと坐禅を実施して、大磯の山をサイレントウォークしたり、山頂で瞑想したりします。それを通じて心と身体を整え直し、人生やビジネスの視座を高めることを目的としています。その後の対話は質が高く、気づきや創造性が高まります。
-吉田さんの考えるZENの概念とは何でしょうか?
私の考えるZENは4つの軸で構成されています。ひとつは坐禅の「ZEN」です。混迷しているビジネスの中で、坐禅を通じて心の安寧を得ることの大切さを伝えています。
第二に自然の「ZEN」です。私の提供しているretreatプログラムというのは、自然の中で学ぶことによって、ニュートラルなリフレッシュする感覚を感じることで、本来持っている感性を研ぎ澄ますことを目指しています。
三つ目は善の「ZEN」。これは字の如く、徳を積む、良い行いをするということです。それらを通じて人としてのレベルを上げていこう、他者からリスペクトされる人間になろうということですね。
最後の四つ目は、全体の「ZEN」です。One for All All for Oneというラグビーの言葉にあるように、全員が活き活きとそれぞれの個性を発揮して、チームのために働けるような環境を作ることです。
「我執を手放し、空の視点で人生を拓く」というのが私のモットーです。私のZENネイチャープログラムに参加した8割くらいの方々は人間関係をすっきり受け入れるようになります。このプログラムは坐禅や山歩きや瞑想を通じて、自然の中で自分と向きあい、歩くことに集中します。最後に古民家で感じたことを参加者同士でシェアしますが、「清々しい」という感想が多く、身体は疲れていても心はすっきりとポジティブになります。我執(エゴ)が少し手離れるようです。
-ZENは自分と向き合うことだと感じました。SOGI当事者はそこにコンプレックスがある人も多いように思います。
SOGI当事者に限らず、世の中には自分に囚われている人がとても多いものです。それは「手放す」ことが難しいと考えているからだと言えます。坐禅というのは、あるがままの自分に気づくことですが、それは自分の拘りがなくなり周囲との「一体感」を感じることなのです。大きな観点で言うと、本来の素の自分に立ち返って、他人と自分も宇宙の一部であると認識するんですね。ですから、自分と向き合って、結局は宇宙のひとつだという考えに至ると、性差や性的指向というのは些末なことだと感じると思いますよ。
その過程の中で、生まれてきた意味や使命感を見出すことができると、必要以上に迷ったり悩んだりせずに行動できるようになるはずです。
-ダイバーシティが叫ばれるようになって「個」が重視されて「全」の視点に乏しくなっているように感じます。
「諸法無我」という言葉があります。全てのものは繋がっていて、個として単独で存在するものはないという考え方です。例えば物を食べ排泄まで人間の身体器官のそれぞれは繋がって機能して一つの仕事をしています。企業のメンバーの仕事もそうです。男女も二つで一つです。この考え方は東洋的です。対して欧米では、物事を分けて考える傾向があります。それが場合によっては対立や分断を生むケースになってしまいます。
修証義という道元禅師の教えを抜粋した書物の中に「設(たと)い七歳の女流なりとも即ち四衆(ししゅ)の導師なり~男女を論ずること勿れ」という一文があります。これは「仏の教えを実践し人々を救おうとする心を起こせば、たとえ七歳の女の子でも全ての人の導き手となる」という意味です。つまり、男女とか子供とか大人とかを分けて考えないのです。昨今のSDGsやダイバーシティが叫ばれる中で、仏教など東洋思想的なアプローチの重要性が高まっていると言えます。
-多様性の時代に家族のあり方も変化しています。日本の家族観についてどうお考えですか?
日本では随分前から核家族化が進んでいます。私の母は97歳で施設に入居しています。私は昔、祖父母を含めた同居生活をしていましたが、そういう時代を生きた感覚からすると、核家族化は家族で助け合う生き方から徐々に離れていくような印象を受けます。離れて暮らすメリットもあるのですが、寂しさは残りますね。物理的に距離ができると気持ちも疎遠になりがちで、家族の関係性が希薄化していくと、一緒に暮らせる家族の尊さ感じることも少なるかもしれません。気持ちと物理的距離感はある程度比例しますから、家族の関係性が希薄化している現代では、一緒に暮らせる家族の尊さを感じる人も少なくなっているでしょうね。一方で、インディアンやアフリカの部族は家族の結びつきが強く、苦楽を共にして共存するという意識が高いように感じます。
-SOGI問題を考えた時にも「個」と「家族」が分けて考えられているように感じます。
その背景には、神道や仏教をベース培われてきた日本の精神性の喪失があるのではないでしょうか。日本はもともと八百万神といって多くの神がいるという寛容な考えがあり、それをベースに外からくるものをも受け入れて、素晴らしいや文化・社会を作ってきた感性や精神性ありました。戦後、欧米化が過度に進み、日本の良さが薄れてきてしまったように感じます。
-吉田さんは海外との関わりも深いですが、今、海外から見た日本はどうなっているのでしょうか?
昨年、ロサンゼルスの禅宗寺で曹洞宗アメリカ不況100年の記念受戒会が開催され参加しました。禅宗寺では、日本人の子供たちは、母国にいる子供たち以上に熱心にお正月、ひな祭り、七夕など日本の行事に取り組んでいるようです。日本の文化を楽しむ時間は、現地のアメリカ人にも好評で、日本の良さを知ってもらうきっかけになっています。翻って、日本では文化を大切にしようとする気持ちが薄れているように感じます。今の日本に大切なことは、違いを受け容れて「成長していく」ことだと思います。受け入れることは、受け入れる器を大きくすることであり、おおらかなマインドを作ることになります。そのようなこころを日本人が取り戻してほしいと思います。SOGI問題についても同じことが言えるのではないでしょうか。
-死後の世界には性別がないという仏教の考え方がありますが、性をどのように捉えていますか?
仏陀は死後の世界についてあるともないとも明言していません。彼の話に「ある人が毒矢で撃たれたらどうすればいいか?」というものがあります。先ずすべきことは、刺さった毒矢を抜くことです。どこから飛んできたかを考えることでも、誰が矢を放ったかを考えることではないのです。つまり仏陀は、あれこれ考えるよりも「今、ここ」を生きることが重要だと説いています。死後のことを考えるよりも今を生きることが大事だと伝えたいのです。その観点でいくと、性というのは大きな問題ではないのではないでしょうか。
「ZEN」をケンブリッジ辞典で調べると「思うようにならないことを気にしないこと」と出てきます。人は「思うようにならないこと」に遭遇すると「どうしてこうなってしまうのだ」などネガティブに反応しがちです。それをポジティブに解釈できれば迷うよりもやるべきことに意識が向かいます。人生はある意味プロセスですから、瞬間を一所懸命に生きて「思うようにならないこと」があっても、それを乗り越えれば成長していけるのです。例えば、SOGI当事者には、結婚がしたい、子供が欲しいなど、思うようにならないこともあると思います。ですが、思うようにならないこともまた自然なことであるということに気づかないと、本質的解決や幸福には繋がらないのです。それを考えることに生きる意味があって、乗り越えた先にその人の生きる意味が見いだされるのだと思います。これは、みんな努力しろ、すごくなれという意味ではなく、自分の中で納得できる生き方をしようということです。
「人を相手にせず、天を相手にせよ」という西郷隆盛の言葉があります。人間関係に振り回されることなく、天という自分のこころにある良心のようなものに基づき、すべきことに集中しなさいということです。私は何十年も毎晩夜空を見上げ星を眺めては広大無辺の宇宙を感じています。そして、そのあとに足元を見て今日一日を顧みる習慣があります。すると不思議なもので、悩んでいる自分が小さく感じます。そうやって日々ZENを実践しています。
取材を終えて
ZENの視点に立つと、SOGIは個別の問題ではなく、社会全体の問題であると改めて認識できました。高い視点でみんなが繋がっていると認識すること、そしてその中で自分が何をなすべきかをそれぞれが考えることで、当事者の悩みや辛い思いも軽減されていくように感じました。個人主義に傾きつつある日本の中で、全を知って個を追求していくというZENの姿勢は、これからの時代のひとつの道標になるのではないでしょうか。
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