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【シリーズ「あいだで考える」】栗田隆子『ハマれないまま、生きてます――こどもとおとなのあいだ』の「はじめに」を公開します

2023年4月、創元社は、10代以上すべての人のための新しい人文書のシリーズ「あいだで考える」を創刊いたしました(特設サイトはこちら)。

シリーズの7冊目は、
栗田隆子『ハマれないまま、生きてます――こどもとおとなのあいだ』
です(5月17日頃発売予定、書店にてご予約受付中)。
刊行に先立ち、「はじめに」の原稿を公開いたします。

いま、「子ども」と「大人」の境界はますます曖昧になっています。「『おとなになる』ってどういうことなのか、よくわからない」「もういい歳なのに、私、全然『おとな』になった気がしない」という人も多いのではないでしょうか。
『ハマれないまま、生きてます』では、子どもにも大人にもハマれないまま、ハマらないまま生きてきた著者の栗田隆子さんが、幼少期から抱いていた「子どもであることへの絶望」「大人になることへの絶望」を起点に、幼稚園時代の性の欲望と羞恥心、「○○らしさ」へのハマれなさの感覚、その頃から10代にかけての自己否定や暴力などをありのままに見つめ直します。そして、不登校をしていた頃にフェミニズムやキリスト教に出会い、「ことば」と「思想」を見いだしてきた過程を正直に、まさに自分の言葉で飄々と語ります。
子ども/大人の二分法のみならず、ジェンダーや社会的な身分のカテゴリーにもハマりきらないまま、ただ自らに嘘なく生きようとしてきた栗田さんの姿は、息苦しさや不自由さをなんとなく感じている10代の読者にも、その他の世代にも大きな力となるはず。その圧倒的な語りの魅力に、ぜひハマってみてください!

装画・本文イラストはミロコマチコ、装丁・レイアウトは矢萩多聞(シリーズ共通)が担当。栗田さんの言葉がもつ「謎のイキモノ」としての生命力とハマらなさを、その不安定さや鬱屈やなぜか漂うユーモアも含めて、ミロコさんが見事に絵にしてくださいました。

現在、5月17日頃の刊行に向けて鋭意制作中です。まずは以下の「はじめに」をお読みいただき、『ハマれないまま、生きてます』へのひとつめの扉をひらいていただければ幸いです。

はじめに

「あいだ」という言葉を聞いてどんなイメージがかぶだろうか。
 この本はこどもとおとなの「あいだ」がテーマだ。
 その場合、幼児期を過ぎ、成人に至る手前の年代を想像する人が多いだろう。
 そこでいう「あいだ」とは、おそらく下の図のように、こどもとおとなをりょうたんにした時間じくの「真ん中」に存在しているイメージとなるだろう。この★あたりに位置しているのがティーンエイジ・思春期となる。

「あいだ」という言葉はもうひとつの意味合いを持つ。漢字の「間」はもとは「閒」と書き、「門」と「月」からできた文字で、月が門のすきから見えることを表していると言われるが、「あいだ」という言葉はこの文字のように物事の分かれ目に生じる「穴」のごとき存在を意味する場合がある。たとえばハンモックで言えば下の図の「ココ」の部分も「あいだ」と言えるだろう。

 ハンモックの場合このあみにスポっとハマってそべるものだが、せるものが小さければ、ハンモックの網目からこぼれてしまう。この本ではこどもとおとなの真ん中にいるみなさんに向けて、「こども」と「おとな」のイメージや期待されるありようからこぼれたはざまのような存在——主に私自身とその経験になるのだが——について書いていきたい。
 10代のみなさんが多く出会うおとな——たとえば親や先生など——は、いわばみなさんを指導すべき立場としてみなさんの前ではふるまう(あるいはふるまわざるを得ない)人が多いかもしれない。私のように一見おとなではあるものの、けっこんもしておらず、子どももおらず、仕事をバリバリしているわけでもなく、常になぞのイキモノのような気持ちでいることを表明するおとな(?)にはあまり出会わないだろう。
 こどもとおとなのあいだにいるみなさん、あるいはすでにおとなという自覚を持つみなさんに、こどもとおとなのはざまにひそむおとな、もといイキモノが出会って何が起こるのか、あるいは何が起こらないのか―。足元にお気をつけて、ゆっくりとこの「あいだ」の世界におしください。

(画面表示の体裁に合わせ、本文の一部を修正しました)

『ハマれないまま、生きてます——こどもとおとなのあいだ』
目次

はじめに

1章 6月は絶望の月
 大人になることへの絶望、大人であることへの絶望
 HAPPY BIRTHDAY SIXTEEN

2章 「子ども」にハマれない
 子どもらしくない子ども
 フィクションの中の子ども
 ダンゴムシへの共感

間奏曲 「子どもを書く」ということ

3章 「子ども」の私のセクシュアリティと自己否定
 性の欲望と恥を秘めた幼稚園時代
 『My Birthday』と不安
 否定が内側に入りこむ
 暴力と私

4章 ……まま、生きてます。
 持って生まれたフェミニズム
 正直であること・疑問を持つこと
 私にとっての信仰
 ダンゴムシ時々エビになる

おわりに

こどもとおとなのあいだをもっと考えるための作品案内

著者=栗田隆子(くりた・りゅうこ)
1973年神奈川県生まれ。文筆家。大阪大学大学院で哲学を学び、シモーヌ・ヴェイユを研究。その後、非正規労働者として働きながら女性の貧困や労働問題の解決に向けたアクションを行うグループやネットワークにかかわる。現在は新聞・雑誌などでの執筆を中心に活動。著書に『呻きから始まる 祈りと行動に関する24の手紙』(新教出版社)、『ぼそぼそ声のフェミニズム』(作品社)、共著に『高学歴女子の貧困 女子は学歴で「幸せ」になれるか?』(光文社新書)など。

〇シリーズ「あいだで考える」
頭木弘樹『自分疲れ――ココロとカラダのあいだ』「はじめに」
戸谷洋志『SNSの哲学――リアルとオンラインのあいだ』「はじめに」
奈倉有里『ことばの白地図を歩く——翻訳と魔法のあいだ』「はじめに」
田中真知『風をとおすレッスン――人と人のあいだ』「はじめに」
坂上香『根っからの悪人っているの?――被害と加害のあいだ』「はじめに」
最首悟『能力で人を分けなくなる日——いのちと価値のあいだ』「はじめに」
いちむらみさこ『ホームレスでいること——見えるものと見えないもののあいだ』「はじめに」
斎藤真理子『隣の国の人々と出会う——韓国語と日本語のあいだ』「序に代えて」
古田徹也『言葉なんていらない?——私と世界のあいだ』「序章」
創元社note「あいだで考える」マガジン