星の味 ☆17 “生は旅人のように”|徳井いつこ
親しく感じられる誰かが、かつてそこに住んでいた。
それだけで、見知らぬ街を訪ねる理由になる。ましてその人が、その街を絶賛していたら……?
ポルトガルの首都リスボンを訪ねたのは、ひとえに詩人フェルナンド・ペソアのせいだった。
ペソアは『不穏の書』のなかで書いていた。
「田舎や自然が提供するいかなるものも、グラサやサン・ペドロ・デ・アルカンタラから見た月の光に照らされた静かな街の不規則な壮大さには敵わない。私にとって、陽の光の下でさまざまな色に輝くリスボンの街ほど美しい花はない。」
「七つの丘の町」と呼ばれるリスボンは、ペソアの言うとおり、素晴らしい花だった。
波打ち起伏する街を上ったり下ったり……。ときおり現れる ”Miradouro” というサインに惹かれて急坂を登る。突然ひらける風景に足が止まる。
気がつくと、十あるといわれる展望台のうち六つを経巡っていた。グラサ、アルカンタラ、サンタ・ルシア、セニョール・ド・モンテ……。どの高台からも、青緑や金色に輝くテージョ河が眺められた。
「誰にでも自分のお気に入りの酒がある。私は実在するということのうちにすでに十分な酔いを見出す。自分を感じることに酔い、彷徨し、まっすぐ歩いてゆく。時間になれば、みんなと同じように会社に戻る。時間がきてなければ、河のところまで行って、まるで世界全体を眺めるかのように河を眺める。私は同じだ。そしてこれらすべての裏側に、私の空があって、私はひそかにその星座となってちりばめられている。私の無限をそこにもっているのだ。」
「見晴らし台」を意味するポルトガル語の ”miradouro” が、英語の ”miracle” やスペイン語の ”milagro”(奇跡)を想起させたのは、ペソアのせいだったかもしれない。
これ以上の尊さはないというように、ペソアは「見る」ことに没入する。そうして眺められた景色は、彼の言葉を借りれば「全宇宙のなかの親しみある片隅」となった。
本質的なことは見ることを学ぶことだ
考えずに見ることを
見ているときに見ることを学ぶことだ
見ているときに考えたり
考えているときに見たりしないで
箴言を集めたような『断章』のなかで、ペソアは書く。
世界が作られているのは、われわれがそれについて考えるためではない。
(考えるとは、眼の病だ)
そうではなくて、われわれがそれを眺め、それに賛成するためなのだ。
フェルナンド・ペソアは1888年リスボンで生まれ、5歳のとき父親と死別した。7歳のとき母親がダーバン駐在のポルトガル領事と再婚したせいで、母と共に南アフリカに渡り、ダーバンで10年イギリス系の英語教育を受けた。17歳で単身リスボンに戻って以来、47歳で没するまでリスボンを離れず、終生独身のまま、貿易会社の商業文(英文や仏文)を作成する仕事を生業とした。
生前の彼をモダニズムの詩人として認識していたのは、ポルトガル詩壇の一部の人々で、世界的に名が知られるようになったのは、死後百年近くたってからだった。
大きな衣装箱から発見された原稿(詩や散文)は、既発表作品の数十倍もの分量で、ポルトガル国立図書館による整理と出版が進められ、ようやく世界がペソアに追いついたといった具合だった。
「ペソア詩がポルトガル文学に与えた影響は、たとえばべつの天体から落下してきた巨大な隕石が地球に衝突して地表を大きく変えてしまうのに似ていた」
と、詩人で評論家のカザイス・モンテイロは語っている。
それはポルトガルだけの現象ではなかっただろう。イタリアの小説家アントニオ・タブッキやドイツの映画監督ヴィム・ヴェンダースなど、ペソア熱に罹患したアーティストたちが次々と彼にまつわる作品を生みだした。
それにしてもペソアほど、隕石の喩えがしっくりくる存在はいないだろう。
わたしは逃亡者だ
生まれたとき わたしは
自分のなかに閉じこめられた
ああ しかし わたしは逃げた
(中略)
何ものかであることは牢獄だ
自分であることは 存在しないことだ
逃げながら わたしは生きるだろう――
より生き生きと ほんとうに
人々が「わたし」と呼ぶもの、「現実世界」と名づけるものへの疑念。それこそが、ペソアを貫いているものだった。
旅をする! 故郷を失う!
つねに別人でいること
魂に根などありはしない
ただ見るためのみに生きている
いまでは自分にさえ属していない!
前進する いかなる目的もないことに
したがって進む
何かに到達しようという狂おしい欲望もなく
こんなふうな旅こそ ほんとうの旅
それは通過の夢だけを
自分のものとする
その他に残るのは 天と地のみ
ペソアは、実人生において、シントラやカスカイスなど近郊の街を除いて、リスボンからほとんど出ることはなかったという。彼の語る「旅」は、空間的な移動ではない。それは内的な移動であり、垂直次元のみならず、水平次元での変遷だった。
ペソアの特異性において、最も多く語られるのは、〈異名〉だろう。彼は、自分とは違う人格、来歴、文体をもつ、自ら〈異名〉と名づけた存在を創りだした。七十もの〈異名〉のなかで、主たる存在は、アルベルト・カエイロ、リカルド・レイス、アルヴァロ・デ・カンポスの三人。そのほか、実名(ペソア本人名義)に限りなく近いといわれる存在に、ベルナルド・ソアレスがいた(ここではペソアとソアレスの言葉に限って紹介している)。
私たちのなかには 無数のものが生きている
自分が思い 感じるとき 私にはわからない
感じ 思っているのが誰なのか
自分とはたんに 感覚や思念の
場に過ぎないのだ
亡くなる年、モンテイロへの手紙に、「私は本質的に――それは詩人、思索家、そしてもっとずっと多くのものという意のままにならない仮面の背後にいる――劇作家です。(中略)私は進化するのではなく、旅をするのです(大文字キーの操作を間違ってしまい、そんなつもりはなかったのに、大文字でこの語が出てきてしまいました。でも、そのままにしておきます)。」と書いている。
ペソアの熱烈な読者だったオクタビオ・パスは、「自我」との関係性に焦点を絞ることで、ペソアの〈異名〉、ひいては詩人の根幹に光をあてている。
「自我の破壊は、これこそが〈異名〉の意味に他ならないが、秘められた豊穣さを挑発し解放する。真の砂漠とは自我である。われわれをそれ自身の裡に閉じこめ、その結果、亡霊と同居する苦しみをわれわれに強いるからだけではない。触れるものの一切を萎れさせるからでもある。本人にその積もりはなかっただろうが、ぺソアの経験は、ネルヴァルやドイツ・ロマン派の詩人たちに始まる近代の偉大な詩人の伝統に繫るものだ。自我は障害物である。障害物そのものである。」
ペソアは、旅立ち続ける。
「考えずに見る」ことで、「通過の夢」を生きることで、さまざまな〈異名〉で詩を、散文を書きつけることをとおして、自我という牢獄から脱出し続ける。
最後に、「これ」という詩を置いておこう。
わたしが夢見たり 感じたりするもの
わたしには届かないもの 消えゆくもの
それらはすべて 何かを見下ろす
テラスのようなもの
そこから見える何かこそが 美しい
だから わたしは書く
遠くにあるものに囲まれて
夢中になることもなく
存在しないものを生真面目に
感じている? 感じるのは読者の役割