見出し画像

山本粧子の Hola! ジャガイモ人間~ペルーからコンニチワ~┃ 第25回

ブエノスディアス!山本粧子です。

 私は今、ペルーから飛行機で4時半かけてアルゼンチンの首都ブエノスアイレスにやってきました。
JICA青年海外協力隊は、1年間で20日間は派遣国以外の国へ行ってもよいことになっています(JICAが安全だと定めた場所に限るのですが)。さらに、私が働いているパラカスミュージアムは年間で30日間長期休暇を取得できるため、このチャンスをフル活用してアルゼンチンとブラジルの美術館を巡る17日間の旅を計画したのです。
今回から、私の南米旅行記をお届けします。

 出発早々、先行不安

約1年ぶりにペルーから別の国へ出るということで、少しドキドキしながら、いつものようにパラカスから首都リマへ。そしてホルヘ・チャベス国際空港の18番ゲートで、午前9時半発ブエノスアイレス行きの飛行機をいまかいまかと待っていました。

18番ゲート、一番乗りです!

ゲートが開き、いざ、飛行機に乗り込もうとした時、問題が発生しました。LATAM航空のグランドスタッフさんに呼び止められ、「あなたの荷物を一度ここに入れてみてください」と言われたのです。
スタッフさんが指さしたのは、機内持ち込み可能な大きさの手荷物かをチェックする計測ボックス。
「いやいや、これ今回の旅行のために、おたくのウェブサイトで持ち込み可能サイズしっかり確認して買ったリュックだよ」と思いながらも、恐る恐るリュックサックを入れてみると……
幅が全く合わず、完全にサイズオーバーしていたのです!

「大きすぎますね。超過料金95ドルです」と言われた時は、「チーン」と頭の中でりんが鳴り、冷や汗が出てきましたが、ここで95ドルもの大金を易々と支払うわけにはいきません。
「このリュックサックはLATAM航空の手荷物サイズに合わせて購入したもので……」と言い訳をしてみましたが、「ここみて! ここが少し広がってるでしょ。だからダメなのよ」とあえなく撃沈。
そう、私の買ったリュックは確かに通常サイズは規定内だったのですが、拡張ファスナー機能が備わっていて、その機能をフル活用して、サイズいっぱいいっぱい荷物を入れて来てしまったのです。そのうえ、いつのまにか機内持ち込みできないサイズになってしまっていたことにも、この瞬間まで気がついていなかったわけです。

自分の失敗をようやく自覚し、呆然としている私に、スタッフさんは「あと5分しかないけど、その間に全部服を着て荷物を減らしてみたら?」
「ナイスアドバイス!」
私は急いでリュックサックのチャックを開け、洋服を取り出し、重ね着を開始しました。まずはズボンを重ねばきし、タートルネック4枚を頭から被り、袖なしのダウンベストを着て、その上からスプリングコートを羽織りました。
しかし、下着とパジャマ以外のすべての服を着用したにもかかわらずリュックサックはまだ若干サイズオーバーしています。
さて、次は何を捨てようか考えていた矢先に、「もういいわ。今回だけよ。」とスタッフさん。なんとか追加料金なしで飛行機に乗り込むことができました。
一番最初に18番ゲートに来てスタンバイしていたはずなのに、まさかの一番最後に飛行機に乗り込む客となってしまいました。

今回の旅では飛行機に9回も乗るのに、追加料金を回避するためには、移動の度に大量重ね着をすることになるかと思うと少し情けない気持ちになったのですが、背に腹は変えられません。
みなさまも、カバンの拡張機能にはくれぐれもお気を付けてくださいませ!

こんな着ぶくれ状態でアルゼンチンの街を見下ろすことになるとは……

イタリア移民の文化が色濃いアルゼンチン

そんなこんなでスタートはややつまずいてしまいましたが、ブエノスアイレスには無事に到着しました。
途中、気流が乱れて揺れたとか、何かトラブルがあったわけでもないのに、ふしぎなことに飛行機が着陸すると、乗客が皆揃って拍手をしたのです。

後でブエノスアイレス在住の日本人に「あれはアルゼンチンの文化なのですか?」と尋ねてみると、イタリアから入って来た文化が定着したものだそうです。
アルゼンチンはイタリア移民が多く、国民の60%以上はイタリア系の先祖を持っているのだとか。
「「母をたずねて三千里」でも、主人公のマルコが、アルゼンチンへ出稼ぎに行ったまま音信不通になった母親を探すために、イタリアのジェノバからブエノスアイレスに向かうでしょ?」

結局、なぜイタリアでは飛行機到着時に拍手をするのかは不明でしたが、確かにブエノスアイレスの街を歩いていると、「ヨーロッパに来たのか?」と錯覚してしまうような気分になるのです。
特にピザ屋さんの多さと、手作りパスタとニョッキの量り売り店の多さには、イタリアの風を感じました。一つ一つ手作りで、とても美しく、美味しそうなラビオリや様々な形をしたパスタが並んでいます。

あちこちにパスタ専門店があります
いろんな種類の手作りパスタ

「アルゼンチンは南米のヨーロッパ」という言葉を聞いていたものの、ペルーからたったの4時間半で、ここまで異なるラテンアメリカの世界が広がっていることには驚きました。

ピンク色の外壁が美しい、アルゼンチンの大統領官邸「カサ・ロサダ」

ブエノスアイレスの日系移民

一方で、アルゼンチンにも日系社会が存在します。南米の中でアルゼンチンは、ブラジル、ペルーに次ぎ、3番目に日系人の数が多いと言われています。
アルゼンチンへの移住は1907年から始まり、戦前までに約5400人が移住しました。戦後は沖縄県出身者の親族呼び寄せ移住が増えたため、アルゼンチンの日系人の70%は沖縄にルーツがあると言われています。神戸港や横浜港から約2ヶ月間かけてやってきました。

私はブエノスアイレスに到着したその日に、在亜沖縄県人連合会の剣道場を見学しに行きました。本連載の第2回で書いたように、私たちJICA青年海外協力隊は、2か月の派遣前訓練を経て海外へ派遣されるのですが、そこで訓練を共にした同期生がこの剣道場に派遣されているのです。

在亜沖縄県人連合会の剣道場
掛け声はもちろん日本と同様、「ヤー!」です
稽古が終わったら、いつもみんなで日本食を食べにいくのだそう

ここではたくさんの日系人の方々にお会いしました。

特にゆっくりお話ができた、私と同年代の日系3世の男性によると、アルゼンチンに渡ってきた日系1世のうち、ブエノスアイレス市街地に住んだ家族の多くは洗濯屋を、郊外に住んだ家族の多くは花屋を経営して、生計を立てていったそうです。
多額な設備投資をしなくても開業できることから、1920年代には日本人移民の洗濯店が急増しました。家族ぐるみでの丁寧な仕事ぶりが、アルゼンチンにおける日系人への信頼に繋がったそうです。
また、1930年代には農業技術をもつ移住者が指導して、日系人の間で栽培が広がりました。新品種を取り入れ栽培技術を研究することによって質の高い花を育てることができるようになり、花卉栽培は日系人の主要な産業になったのです。

こうして日系人はアルゼンチンで新しい生活を築き、今では医者、弁護士、建築家、様々な職業に就いているそうです。

当初、日系の子どもたちの多くは、日本語を習得して欲しいという両親の意向のもと、1927年に創立されたブエノスアイレス日亜学院という小学校に通いました。
ここは2000年代くらいまでは殆どが日系人の生徒で、非日系人は数えるほどしかいなかったのですが、現在は逆転し、日系人よりも非日系人の生徒の方が断然多いそうです。
日亜学院の教育理念には、日本とアルゼンチンとの比較研究を通して、各教科(科学、文化、歴史等)により豊かな内容を取り入れるという項目もあります。2021年には短期大学も創立され、幼稚部から短期大学まである非常に大きな組織となっています。

日亜学院の正面玄関

 日亜学院の文化センターの所長さんに聞いたところ、
「この学校では、整理整頓や後片付けの文化、相手のことを考える思いやりの気持ちなど身につくということで、とても評判が良いんです」
とのことで、幼稚園は定員オーバーで入園できないこともあるほど人気だそうです。
また、アルゼンチンの学校には珍しく、生徒自身が掃除をする時間があります。私が小学生だったときはもちろん、今も日本ではほとんどの小学校で生徒による掃除の時間があるようですが、それは世界的に見ると珍しいことのようです。
ただ、決して整理整頓が得意ではない私は、このお話を聞いて、少し肩身の狭いような気持ちになりました(笑)。

そのあと、1967年に開園した2万5,000m²もの面積をもつ広大なブエノスアイレス日本庭園も訪れました。
この日本庭園は大人気らしく、土日は入場するためにかなりの時間並ばないと入れないそうですが、平日はスッと入れました。

ブエノスアイレスの日本庭園

なかには朱塗りの太鼓橋がかかる大きな池があり、池の上に渡された遊歩道から鯉が泳ぐのを見下ろしたり、日本風に剪定された松などの木々を眺めたり。
10月現在のブエノスアイレスは、ちょうど日本(本州)の5月くらいの気候なので、ツツジがきれいに咲いていて、鯉のぼりも上がってました。
鳥居や巨大な折り鶴のオブジェなど「いかにも」なところもありますが、とにかく日本らしい要素がたっぷりで、懐かしい気持ちになりました。
入口案内係のフェルナンドさんは「残念ながら日本人はめったに来ないんだよ、あなたが来てくれて本当に嬉しい」と喜んでくれました。
日本からの観光客は、はるばるアルゼンチンまで来て日本庭園を見なくても……、と思うのかもしれませんが、私自身は、日本庭園で日本食を食べ、鯉を眺め、のんびりしたり読書したりしている人を見ると、幸せな気分になりました。
この日本庭園を訪れた人の中には、実際に日本へ行ってみたいと思う人もきっといるでしょう。

逆に私のファッションカラーの方が……???

地球の反対側にあり、日本から一番遠い国と言われるアルゼンチンの首都で、これほど大規模な日系社会を目の当たりにして、全く知らない土地に身一つでやってきて新しいビジネスをはじめ、その土地に根付いて信頼を勝ち取った日系移民たちの、計り知れないほどの生き抜く力を感じました。
私もペルーで頑張っているつもりだけれど、まだまだ甘いなと反省しました。想像できない気づきを私に与えてくれるから旅行が好きです。

次回も引き続きアルゼンチンとブラジルで見聞きしたことをレポートしていきます。
それでは今日はこのあたりでアディオス!

~編集Oが選ぶ今週の一枚~

参考:JICA「アルゼンチンの日本人移住者」

〈プロフィール〉
山本粧子(やまもと・しょうこ)
神戸市生まれ。大阪教育大学教育学部教養学科芸術専攻芸術学コース卒業。卒業後、国境の街に興味があったことと、中学生の頃から目指していた宝塚歌劇団の演出家になる夢を叶える修行のため、フランスのストラスブールに2年ほど滞在しながら、ヨーロッパの美術館や劇場を巡る。残念ながら宝塚歌劇団の演出家試験には落ち、イベントデザイン会社で7年半、ディレクターとして国内外のイベントに携わる。また、大学時代より人の顔をモチーフに油絵を描いており「人間とはなんだ」というタイトルで兵庫県立美術館原田の森ギャラリーや神戸アートビレッジセンターにて個展を開催。趣味は、旅行の計画を立てること。2016年からは韓国ドラマも欠かさず見ている。2023年秋より南米ペルーのイカ州パラカスに海外協力隊として滞在し、ペルーとジャガイモと人間について発信していく予定。