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7|フェンネル、かのこ、つくねいも
寿から如翺先生へ
◇ 「茶椀の岸に見える美麗」
「お茶にしましょう」
今日は、編集者のOさまのドイツ土産、フェンネルティーをいただきましょう。お茶うけは栗かの子。こちらは別の方からの信州土産です。
フェンネルと栗。
意外な出会いのようですが、実はともに聖ヒルデガルト(*1)お勧めの健康食材で、聖ヒルデガルト料理研究会HPには「栗とフェンネルのスープ」も紹介されています(*2)。
このフェンネル、生まれて初めて飲んだ時には飲みにくさに驚きました。ところが不思議なもので、その後「クセになる」と申しましょうか、今ではお気に入りの一つで、私にとっては「ドイツの香り」でもあります。
先生の「新茶」のお話で、自身のフェンネル初体験を思い出し、そして栗かのこを食べながら、岡本かの子(*3)の『新茶』というエッセイも思い出しました。
茶といふよりも、若葉の雫を啜るといふ感じである。
色がいゝ。白磁の茶椀の半を満してゆらめく青湖の水。
さなりき、誘ふニンフも
誘はるゝ男妖精も共に髪ぞ青かりし
揺曳とした湯気の隙間から、
茶椀の岸にさういふ美麗が見えるやうな気がする。
そして、「しみゞゝ日本の土に生れて日本の女であることが自分で味はれる」、つまり「日本の女でヨカッタ」という述懐の後、こう続けています。
西洋人の中で好んで日本の緑茶を飲むのはアメリカ人だが、必ず砂糖を入れて飲む。お話にならない。まして新茶の風味などは思ひもよらない。
もし、かの子が現代の抹茶ティーラテを知ったらなんと言うでしょう!
![](https://assets.st-note.com/img/1716890917651-dUo388zSzj.jpg?width=1200)
◇ モガの「日本」
かの子には他にも、『上田秋成の晩年』や『ある日の蓮月尼』という作品があります。上田秋成(*4)も大田垣蓮月(*5)も代表的な煎茶人で、かの子もそれなりに煎茶に通じていたようです。
然し、彼女自身は純日本の大和撫子どころか、正反対の「モガ」でした。画家の夫と若き愛人との同居生活でも有名ですし、「太陽の塔」の作者・岡本太郎の母でもあり、当時には珍しい海外旅行体験者でもあります。
その彼女をして、「日本の女であることが自分で味はれる」と言わしめたもの、それが「新茶」でした。
フェンネルを飲みつつ、岡本かの子を思い出しつつ、大阪サミットの折の先生のお煎茶席のことを想像してみました。
一口飲んですぐに茶杯を置いてしまった方にとって、新茶の味は「未知との遭遇」だったに違いありません。その体験は、同じお茶を美味しく召し上がって下さった方々より、あるいは、より深く、鮮明な印象をその方に刻んだかもしれません。
ちょうど私にとってのドイツのフェンネルのように。
◇ 理由は「つくねいも」では?
ドイツで初めてフェンネルを知ったように、私は京都に来て初めて田能村直入を知りました。そもそも、文人茶も文人画も文人花もすべて上方へ来て初めて知ったのです。
そんなあずま女の脳内では、京都府画学校初代校長の直入は、東京美術学校初代校長の岡倉天心(*6)と対の存在です。
『茶の本』で国際的にも有名な天心に対し、残念にも今はすっかり埋もれてしまった直入。一大フェスを実現させたり、画期的な図録を著していたりしていたにもかかわらず。
その理由として、
「プロデュース力や政治力がありすぎたのでは」
という先生のご指摘にはハッとしました。大変興味深く、ぜひ是非ひきつづき詳細をおうかがいしたいです。
と申しますのも、私は逆に「プロデュース力や政治力」において、天心サイドに負けたからこそ埋もれたとばかり思っておりましたので。
正確には、それは個人の力というより社会的力関係であり、「国民化」という時代的要請であり、具体的には新聞というニューメディアの力だったのでは? と。
青湾茶会から20年後の1882年、「お雇い外国人」であり、岡倉天心とともに日本文化の調査研究をしていたフェノロサ(1853~1908年)が、講演で南画/文人画を批判し、これに同調した新聞も南画を「つくねいも山水」と揶揄します。フェノロサ・天心による南画排斥運動の中、ニューメディアによる「つくねいも」言説は決定的スティグマとなったのではないでしょうか。フェノロサの講演から2年後、直入は学校長を辞していますが……?
寿 拝
如翺 先生
■注
*1 St. Hildegard von Bingen ヒルデガルト・フォン・ビンゲン(ユリウス暦1098~1179年)は、中世ドイツのベネディクト会系女子修道院長、女性教会博士、カトリックの聖人。ドイツ薬草学の祖とも呼ばれている。
*2 https://hildegardcooking.amebaownd.com/posts/18698832
*3 岡本かの子(1889~1939年)は、歌人、小説家。瀬戸内寂聴『かの子繚乱』は、天衣無縫の彼女の人生を活写した評伝小説。
*4:上田秋成(1734~1809年)は、『雨月物語』で知られるが、国学者、歌人、俳人、煎茶人としても有名。1794年、煎茶書『清風瑣言』を、晩年には、抹茶と煎茶を兄弟に擬人化した小品『背振翁伝』を著している。
*5:大田垣蓮月(1791~1875年)は、歌人、陶芸家。上田秋成にも和歌を学んだ。肉親を次々に失い出家。自詠の和歌を彫りつけた茶器を焼き、生活の糧とした。茶器は蓮月焼と呼ばれ人気を博した。富岡鉄斎(1836~1924年)は蓮月尼の学僕として彼女の薫陶を受けた。
*6:岡倉天心(1863~1913年)は東京美術学校(後の東京藝術大学美術学部)設立に尽力し、実質的に初代校長をつとめた(副校長フェノロサ)。「日本画」を推賞し、南画、洋画を批判排斥する美術運動を推進。彼が英語で著した『茶の本』は、日本語訳版が今も書店に並ぶ。漫画版もある。
《筆者プロフィール》
如翺(ジョコウ) 先生
中の人:一茶庵嫡承 佃 梓央(つくだ・しおう)。
父である一茶庵宗家、佃一輝に師事。号、如翺。
江戸後期以来、文人趣味の煎茶の世界を伝える一茶庵の若き嫡承。
文人茶の伝統を継承しつつ、意欲的に新たなアートとしての文会を創造中。
関西大学非常勤講師、朝日カルチャーセンター講師。
寿(ジュ)
中の人:佐藤 八寿子 (さとう・やすこ)。
万里の道をめざせども、足遅く腰痛く妄想多く迷走中。
寿は『荘子』「寿則多辱 いのちひさしければすなわちはじおおし」の寿。
単著『ミッションスクール』中公新書、共著『ひとびとの精神史1』岩波書店、共訳書『ナショナリズムとセクシュアリティ』ちくま学芸文庫、等。
《イラストレーター》
久保沙絵子(くぼ・さえこ)
大阪在住の画家・イラストレーター。
主に風景の線画を制作している。 制作においてモットーにしていることは、下描きしない事とフリーハンドで描く事。 日々の肩凝り改善のために、ぶら下がり健康器の購入を長年検討している。
【Instagram】 @saeco2525
【X】@ k_saeko__