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推し、行き交う。✿第25回|実咲
現代では20歳で行う成人式。あでやかな振袖や旧友との再会の機会になっていますが、平安時代にもそんな成人式と言える儀式がありました。ただし、今よりもっと若い12歳前後で行うものでした。
「光る君へ」第26話では、道長の長女彰子が裳着の儀を行う様子が描かれていました。
裳着の儀は、当時の女子の成人式にあたるもので、これを行うことで結婚ができる年ごろであるとされました。
読んで字のごとく、初めて裳を着けるという儀式です。
いわゆる十二単をフル装備で着た際に、一番最後に着用する装束で、後ろ側に伸びている白い物が「裳」です。
![](https://assets.st-note.com/img/1720144716769-jfY9awMH30.jpg?width=1200)
この裳の紐を結ぶ役目の人を「腰結」と言い、身内の中で重要な人物がつとめました。
「光る君へ」では道長の姉で、彰子にとっては伯母にあたる詮子が行っていました。
これは、詮子が彰子の後見のような役目であると表しているようなものです。
実際に詮子が腰結になったかは不明ですが、実際に詮子は彰子の裳着に祝いの品を贈っています。
裳着の儀は、「着裳」だけでなく、初めて髪を結いあげる「髪上げ」も同時に行われます。
平安時代では大人も子供も垂髪(長く垂らした髪)が日常スタイルになっていたので、「光る君へ」の頃にはすでに儀礼的な意味合いが強く、大人になったあかしとして、セットで行われる物でした。
作中でも、彰子が髪を結っている姿が描かれています。
彰子はこれで、成人女性として扱われる身の上になります。
いよいよ、一条天皇のもとへ入内する日が近づいて来ているのです。
裳着は女子の成人式ですが、男子にも成人式はあります。
元服といって、子供の髪型から髷を結い、冠親の手によってはじめて冠を被る儀式です。
これまでの大河ドラマでも、武家の成人の儀として元服が描かれたこともありますから、こちらは知っているかたもいるかもしれません。
男子でも女子でも、この成人式は平安時代であれば12歳前後から行う儀式でした。
第26話では、子供の髪型から成人前だと分かる彰子の弟が登場しています。
彼は鶴君と言い、道長と倫子夫妻の第二子で長男、後に宇治の平等院鳳凰堂を造る藤原頼通です。
この頃はまだ子供ですが、すでに宮中に上がりはじめていました。
童殿上と言って、貴族の子弟が行儀見習いや顔見せも兼ねて宮中に仕えるのです。
ある意味、お寺の小坊主のように、後々の公卿見習いの、宮中プレデビューといったところでしょうか。
頼通は、内裏と東宮(皇太子)の所へ出入りすることを許されましたが、その際に必要な名簿へ頼通の名前を書いたのが行成でした。
これは道長からの依頼だったそうですが、みんなが欲しがる美文字なことは間違いないので、その名簿をもし大事に取っておけば後の国宝間違いなしの一品だったに違いありません。
道長からそんな頼まれごとをされつつ行成は今回も、作中では相変わらず板挟みが続いていました。
「譲位して、定子と静かに暮らしたい」という一条天皇を、思いとどまらせようと説得しています。
結局、面倒なことはすべて行成へ積もり積もっていくのでしょうか。
ちょうどこの第26話の頃、行成は『枕草子』へ登場しています。
『枕草子』第124段「二月、宮の司にて」という長保元年2月3日の釈奠の儀式の日のお話です。
簡単にあらすじを紹介させていただきます。私がこのエピソードが好きなので!!!!
行成から、清少納言に梅の花を添えてやって来た手紙と包み。中には餅餤という餅菓子が二つ。
手紙はまるで、公文書のような形式で
進上
餅餤一包
仍例進上如件 (例に則って献上します。件のごとし)
別当 少納言殿
と書いてあり、最後には日付と「美麻那成行(行成のペンネーム)」という署名と共に
「この男は自分で手紙を持って行こうとしたのですが、明るい昼間は見た目が悪いので来られません」と書き添えてありました。(めちゃくちゃ美文字で)
清少納言が定子にそれを見せると、「立派な筆跡で面白いことを書いているわね」と褒めた後、手紙を自分のものにしてしまいました。(美文字すぎるから)
清少納言は行成への返事をあれこれ思い悩み、他の人に聞いてみたりします。
やがて、行成が真っ白な紙に公文書のような文面で手紙をよこしていたことの真逆にしようと、真っ赤で薄手の紙に返事を書き、紅梅の枝に結んで届けさせました。
「自分で持ってこないしもべなんて、冷淡な人と思われてしまいますよ」
(※冷淡と餅餤をかけている。)
するとすぐに、
「しもべが参りましたよ、しもべが参りましたよ」
と声がして、出ていくと行成が来ていました。(忙しいんちゃうんかい)
「あんな贈り物には、適当に歌でも詠んで返すかと思ったのに、機転が利く返しで驚きましたよ。歌に自信のある人はすぐ歌詠みぶるけど、あなたはそんなことをしないから付き合いやすい。歌が苦手な私に歌を詠みかける人は、かえって考えなしだろうね」
「それじゃ(清少納言の元夫で歌の苦手な)則光みたいじゃない」
と清少納言と二人で笑い話にして終わったことでした。
あとから一条天皇の前でこの話を行成がしたようで、一条天皇も「うまく返したものだね」といったとか。
これを人づてに清少納言は聞くことになったのですが、ちょっと自慢話みたいだったかも……と綴っています。
行成は、確かに早世した父義孝が和歌の名手だったにも関わらず、和歌は不得手でした。
清少納言とは漢籍の知識を交えたやりとりを頻繁に行っていて、気の合う相手だったようです。
清少納言も父や祖父が歌詠みとして名の知れた人物で、そういった所からも意気投合していたのかもしれません。
そんな清少納言から、いかにも和歌が書いてありそうな見た目の手紙をもらい、開いてみたところダジャレ返し。
なんとも面白くておかしくなってしまったのか、行成は(忙しいはずなのに)飛んできたのでした。
「光る君へ」の中では最近しかめっ面ばかりの行成ですが、そんな日々でもささやかな楽しみはあったのではないでしょうか。
定子のサロンで繰り広げられる打てば響く相手とのやり取りの思い出は、この後の行成の胸の内に長く残っていたのかもしれません。
ほかにも行成が『枕草子』に登場するエピソードはありますが、この後「光る君」で描かれるのでしょうか。
職務による行成の胃痛を心配しながら、今後も見守り続ける所存です!!
(「光る君へ」は来週お休みのため、本noteもお休み。次回更新は再来週を予定しております)
書いた人:実咲
某大学文学部史学科で日本史を専攻したアラサー社会人。
平安時代が人生最長の推しジャンル。
推しが千年前に亡くなっており誕生日も不明なため、命日を記念日とするしかないタイプのオタク。