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星の味 │ 徳井いつこ

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日常のふとした隙間、 ほっとため息をつくとき、 眠る前のぼんやりするひととき。 ひと粒、ふた粒、 コンペイトウみたいにいただく。 それは、星の味。 惑星的な視座、 宇宙感覚を…
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星の味 ☆27 “香りだけの花”|徳井いつこ

 曲がり角を曲がろうとして、ふと通りすがりの庭の生垣に惹きつけられた。朝の低い光が暗緑色の繁みを輝かせている。  思わず足を止めそうになったのは、何かを風景のなかに見つけたからではなかった。自分の内側に見つけたのだ。  「成功」とはなんだろう?  そのころ漠然と考えていた問いへの答えが、ころがっていた。  そうか、これなんだ。  世界がいまここで、輝いている。それをただ美しいと思う……。それが「成功」なんだ。  成功とは、回帰すること。何度忘れても、何度でも回帰し続けること。

星の味 ☆26 “燃えあがる世界”|徳井いつこ

 むかし、光る木を見たことがある。  ネパールを旅していた20代のころ。バイラワから国境を越えてインドに入るつもりが、乗合バスの故障と事故、友人の病気まで重なって、ベナレスに向かうのをあきらめ、ネパールの国境近い村に逗留することになった。  そこはブッダが生まれたルンビニで、当時は村人の暮らしと、ブッダの母である摩耶夫人を祀るマーヤー・デーヴィー寺院があるだけの小さな村だった。  ユーカリの森のなかにある簡素なゲストハウスで、友人は薄い粥をすする以外は、朝も昼も眠り続けていた

星の味 ☆25 “故郷への旅”|徳井いつこ

 初めて読んだのに、懐かしい本がある。  たしかに知っている、いつかどこかで読んだことがあると感じられるような……?  ノヴァーリスの『青い花』は、そんな小説だった。  さらに戸惑うのは、主人公のハインリヒが物語のいたるところで、似た感覚を体験していることだった。 「すでにどこかで見たような……」 「ずっと前から知りあっていた人のように……」 「すべてはずっと前から自分が考え感じてきたこと……」  といった文言がたびたび登場する。  既視感、デジャブ? それが本の体裁をとった

星の味 ☆24 “風と砂と星々と”|徳井いつこ

 「ぼくら人間について、大地が、万巻の書より多くを教える。」という文章から始まる本を、何度読み返しただろう?  サン=テグジュペリの『人間の土地』。  カバーの違う堀口大學訳の新潮文庫を新旧2冊もっている。難波淳郎さんの抽象的な線画と、宮崎駿さんが描いたブレゲー14型機。後者は新しいが、前者はかなりくたびれている。 「人は風に、星々に、夜に、砂に、海に接する。人は自然の力に対して、策をめぐらす。人は夜明けを待つ、園丁が春を待つように。人は空港を待つ、約束の楽土のように。そし

星の味 ☆23 “ポエムアイ”|徳井いつこ

 「哲学は死の訓練」と言ったのは、ソクラテスだった。  とすれば、詩もまた死の訓練かもしれない。  そんなことをふと思ったのは、谷川俊太郎さんの詩を読みついでいたからだ。  初期から最晩年まで、まるでリハーサルでもするかのように、繰り返し「死」が登場する。   躾の悪い子どものように   ろくな挨拶もせず   青空の扉をあけ   大地の座敷に上がりこんだ   私たち 草の客   木々の客   鳥たちの客   水の客   したり顔で   出された御馳走に   舌づつみを打

星の味 ☆22 “天体の音楽”|徳井いつこ

 朝、庭にでると、無数の光に目が吸いよせられる。  足下の草という草、頭上の梢という梢をびっしりとふちどっている小さなつぶつぶ、きらきら……。眺めている自分も輝き、ふるえる。時間がとまる。 「朝露は、とくべつなものだそうですよ」  そう言ったのは、オイリュトミー(身体芸術)の先生だった。なんとなく耳を傾けていた私は、どう特別なのか聞きそびれてしまった。  先生が亡くなってしまったいまでは、知る由もない。  今朝、タゴールの詩集『迷い鳥』をひらいて、ぱらぱら読んでいると、こん

星の味 ☆21 “ふしぎなことです!”|徳井いつこ

 ハンス・クリスチャン・アンデルセン。 「雪の女王」や「マッチ売りの少女」「赤いくつ」「人魚姫」といったお話をつくった人。  子どものころからあまりに親しんでいたせいで、ずっと昔の時代の人のように感じていた。  たった2世紀足らず前に生きていた人だった、と気づいたのは、フィレンツェの新市場のロッジア(開廊)に立っている青銅の猪を見た時だった。 「ポルチェリーノ」(幸運の子豚ちゃん)と呼ばれるその像は、アンデルセンのお話「青銅のイノシシ」のモデルで、彼はイタリアを訪れた際、じっ

星の味 ☆20 “青い青い世界”|徳井いつこ

「まるでなにもかも、小さな妖精の国のようだ。人も物もみんな小さく、風変わりで神秘的である。青い屋根の小さな家屋、青いのれんのかかった小さな店舗、その前で青い着物姿の小柄な売り子が微笑んでいる。」  ラフカディオ・ハーンの「東洋の第一日目」と題された随想には、来日して、人力車で横浜の外国人居留地から町の通りに入ったときのことが描かれている。  青い、青い、水底のような青い世界……。  それがハーンの見た最初の日本だった。  童話作家の小川未明は、東京専門学校(現・早稲田大学

星の味 ☆19 “あのころ僕らは地球で”|徳井いつこ

 シュペルヴィエルを読んだのは、短編が最初だった。 「海に住む少女」のあと「セーヌ河の名なし娘」「ノアの箱舟」と読みついで、すっかり夢中になった。  堀口大學が「この詩人はありふれた手近な題材から破天荒なヴィジョンを引き出してくる魔法使だ。ファンタジーの奔放なことは、殆ど狂人の幻覚に近いものがある」と書いた、そのヴィジョンの強度に圧倒されたのだった。  といって、サイケデリックな原色が渦巻いているわけではない。どこかフレスコ画のような精緻と静謐に浸されているのだった。  そし

星の味 ☆18 “声に呼び覚まされて”|徳井いつこ

 人が本と出会う。人が人と出会う。  ふたつは、なんと似ているのだろう。  ある人と親しくなると、よく似た雰囲気のだれかに会うことになる。あるいは、友人を紹介される。本も同じだ。  フェルナンド・ペソアを知ったのは、イタリアの小説家アントニオ・タブッキのせいだった。須賀敦子さんの本を読むようになったのも、タブッキを通してだった。  本と出会う道筋は無限にあるから、もしかしたら矢印が逆向きの人もいるかもしれない。  私が最初に読んだタブッキの小説は『インド夜想曲』(須賀敦子訳)

星の味 ☆17 “生は旅人のように”|徳井いつこ

 親しく感じられる誰かが、かつてそこに住んでいた。  それだけで、見知らぬ街を訪ねる理由になる。ましてその人が、その街を絶賛していたら……?  ポルトガルの首都リスボンを訪ねたのは、ひとえに詩人フェルナンド・ペソアのせいだった。  ペソアは『不穏の書』のなかで書いていた。 「田舎や自然が提供するいかなるものも、グラサやサン・ペドロ・デ・アルカンタラから見た月の光に照らされた静かな街の不規則な壮大さには敵わない。私にとって、陽の光の下でさまざまな色に輝くリスボンの街ほど美しい

星の味 ☆16 “星々にとり残されて”|徳井いつこ

 「夏なら冬のことを書くのだ。イプセンがしたように、イタリアの一室からノルウェーのことを書くのだ。ジョイスがしたように、パリの机からダブリンのことを書くのだ。ウィラ・キャザーはニューヨークからプレイリーのことを書いた。マーク・トウェインは……」  と、さまざまな作家を引き合いにだして、「書く」ことにおける「遠さ」の効用を説いたのは、アニー・ディラードだった。  遠いこと、遠いものが、創造的に作用するのは、どういうわけだろう?   「遠い」という語を辞書で引くと、「二つのものが

星の味 ☆15 “壺のような日”|徳井いつこ

 海が近づいてくると、すぐにわかる。大気中の光の量が増えてくる。あたりいちめん眩しくなる。  山が近づいてくると、すぐにわかる。雲が頭上をゆく。焚火の煙のようにすばやく流れる。  神戸で育った私は、海と山が近接している土地の特性を、からだで覚えた。雨が降る前は、海の匂いが濃厚になり、船の汽笛が大きく響いた。 六甲おろしと呼ばれる山風は、海から吹く風と違っていた。冬の颪は、子どもが手を広げて立つと、本当にもたれられるくらい強かった。  八木重吉のこんな詩を読むと、ああ懐かしい、

星の味 ☆14 “世界という魔法”|徳井いつこ

 エミリー・ディキンソンの詩を読むたびに、“エミリー・ディキンソン”だけでできている、という当たり前のことに驚く。  当たり前、ではないはずだ。言葉は私たちの共有財産で、より一般的なものを多く伝達するようにできているのだから。  彼女の詩はすみからすみまで、どこを切っても“彼女”だけでしかできてない。「純正」という言葉が、これほどぴったりな詩人もいないだろう。   自分自身という所有品のなんと   適切にみごとなこと。自分が   自分自身への発見に向かう   他の誰も見出せ