唯一ならぬ、唯ニな私のいいところ
自分のいいところって見えにくい。
だから、自己啓発本のワークには身近な人に聞いてみましょう!とよく書いてある(何冊か見た気がする)。
ちなみに、夫に「私のいいところってどこ?」と何度か聞いたことがあるが、まず答えに詰まる。
意識したことがないのか、身内をほめるなんてあり得ないと考える昭和の男だからか…。
そこで「自分よりも私が優れてると思うところは?」と聞き方を変えてみる(夫は大抵のことは私より器用にできるので)。
そうすると
・字がうまい
・どうでもいい内容を恥ずかしげもなく文章にできる
とすぐ答えが返ってくる。
ほめてるのか、けなしてるのか。
まぁ、夫らしい回答。
字を書くことはずっと好きだった。
祖母がよく手紙や帳簿を書くのを見て、自然と字に興味を持った。
「3才の誕生日プレゼントに」と祖母に、あいうえおの積み木を買ってもらったのも覚えている(後にも先にも祖母からの誕生日プレゼントはコレだけかも)。
小学校に上がると、近所の書道教室へ通い始めた。
看板も出してない、日曜の午前しか開いていない、小さな教室だったけれど、盛況だった。
U先生は、税理士が本業で祖父と同世代のおじいちゃん。
物静かで、騒ぐ子にはピシャッと怒るけれど、基本穏やかな先生だった。
あれはおじいちゃん世代だからなのか、先生の個性か、「これ良く書けた」とほめるのも「ここ直して」と注意するのも淡々としていた。
日曜の朝、たくさん子どもがいるのにシーンとした教室。
その中で淡々と練習する時間が好きだったなぁ。
ひと筆ずつ集中していながらも、その文字のバランスと、一枚全体のバランスとを考えてもいる。
うまく書けなかったあとは次はこうしてみようと変えてみる。だんだん上手になっていく。
積み重ねていく感じが好きだった。
10枚練習した後に清書して左に小筆で名前を書いて先生がいいと言えば終わりだったと思う。
時々、あとちょっと直したら良くなると先生のスイッチが入ると居残りさせられたのもいい思い出。
年始は書き初めの宿題も毎年見てもらっていた。
そして、ある年のことは今も忘れられない。
提出候補を3枚ほど絞って、最初の1枚に名前を書き入れた時、名前のスタート位置が上に来すぎてしまった。
自分では「もうこれはボツだな」と思い、この1枚目で名前の練習をしておこうと少し下に書き直した(つまり最初の文字が2つ書いてある状態)。
3枚とも名前を書き終えて、私が名前はうまくか書けた2枚目にすると伝えると「1枚目を出して」と強く先生は言った。
「失敗しちゃったこれですか?」と一応反論。
名前ダブってるし、そんなのかっこ悪くて出したくないよ…と思いつつ、渋々先生の言う通りにしたら、なんとコンクールで賞をもらった。
小さな名前の失敗より、全体として、文字として生き生きしているかを先生は見てたんだってちょっと恥ずかしくなったのを覚えている。
中学まで続けた後、高校では忙しさにかまけて行けないうちに先生は亡くなった。
そして私は書道から遠ざかっていた。
3年前から、筆ペンで気の向いた時に「書く」ようになった。
きっかけはコロナ禍。
SNSで「1日に数分でも何か芸術に触れたり何かに没頭したりする"アトリエタイム"を持ってみませんか」と仲間を募ってる方がいて。
芸術?没頭できるもの?何だろう?
なかなか決まらなかったけれど、没頭と言ったら書道だなと思い出した。
当時2人目がまだ0才で、手軽にできるほうがいいと筆ペンを購入。
その道の先生からしたら邪道かもしれないけれど、筆ペンでも結構楽しい。
今日も寝かしつけを終えて、少し書いてみた。
テーマやお手本はない。
思いついた言葉やテレビや本で目に入った漢字を好きに書く。
ただ文字を書くだけなんだけど、唯一ならぬ"唯ニ"な私のいいところを自分で堪能して満足!
※この記事は、ことばと広告さんの「書く部」の企画、「これがわたしのいいところ」に参加しています。