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母と私と…つれづれ

実家に住む母と電話越しに話した。


ふと「もうそろそろお母さん(私の祖母)が亡くなった歳に近いし、まぁそんな長生きはしなくてもいいかなと思ってる。十分楽しんだし。」と言う母。

いやいや、まだまだ孫が小さいんだから長生きしてよと伝えつつ、「お母さん、こんな強かったかな?」と思った。

母は親であり、心配の対象

私にとって母は、親でもあり心配する対象でもあった。

3才頃。私の人生の初めの記憶。
布団で泣きながら「さっちゃん、弱いお母さんでごめんね。お父さんがいなくてごめんね。」と母は何度も言っていた。

別に母のせいで父は亡くなったわけじゃない(過労による突然死)。
母の実家で祖父母と暮らすことになり、そんなさみしい思いもしなかったし。

でも母にとっては負い目のようなものがあったんだろう。

私は泣く母を見ては、何も言えなくて泣かないでほしいと思いながら困った顔をしていた気がする。

小学生になる頃にははっきりと、母のために・母に迷惑をかけないように私がしっかりするんだと思うようになっていた。

例えば旅行では、小1から地図が読めず時々おっちょこちょいな母に代わって道案内など。

祖父母と同じ立ち位置

母のことは自分の親なのだけれど、祖父母と同じ立ち位置から心配する気持ちもずっとあった(変な子ども…)。
祖父からの「お母さんは弱いところもある。じいちゃんは先に死ぬんだから、しっかりしなさいよ」は呪文のように頭に刻まれている。

普段パワフルでもあった母だけれど、祖母、祖父を亡くした時にはまた目も当てられないくらい弱ってしまった。

そこから何年もかけて、またパワフルな母に、今度はおばあちゃんとしての顔も持ち今がある。

私の生きる理由だった

どこかで、強い母を期待しつつ、弱い母は私の存在意義にもなっていた。
私がいなくては、私がしっかりしなくては母は困ってしまうといつも思ってるところはある。

だから、ふとしなやかに強い母を感じると、祖父母的視点では安心するとともにおどろいたりもする。

不思議だ。

母のおかげで、しっかりせざるを得なかったし、一方で私が絶対つらいことがあっても生き続けるぞ!と思える根拠でもあった。

ある意味、母には頼らず、自分で頼る先探しも含めてなんとかしなきゃと成長してきたのだから、"正しい"子育ての仕方だったのかもしれない(私という結果がいいのか悪いのかはまだまだわからないけれど(^^;)。

母は弱さも出せる分、強い人なんだろう。
本当はきっとずっと弱くて強い人だったのかもしれない。

まだまだ、長生きしてほしい。
そうだ、母にインタビューしてみようかな?

人への興味の原点

祖父母のことも思い出しては、あの人たちの稀有な経験や歩みをもっと聞いて書き残しておきたかったと思う。

ただの庶民だけど、その時代のその経験・つながり・選択……祖父母に限らず、母に限らず、1人1人の人生の面白さを残しておきたいなと思う。

私がインタビューライターしてる原点は家族なのかもしれないな。



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