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とらばさみ

鬼貫青春俳句賞の結果が出た。田中大河(はんぺんたなか)さんが、見事大賞を獲得したらしい。少し彼についても触れながら、Twitterのタイムラインに流れてきた参加者の句を見て思ったことを何とはなしに、批判などという仰々しいものは掲げずに話していきたい。

田中さんは僕にとっても最も親しい友人のひとりと言っても過言ではなく、また、僕の知りうる範囲で一二を争うほどの野心家というべきだろうか。その野心というのも、「賞を獲りたい」という遥かに僕を上回るものであることが克明にわかる。ある賞の本質自体を研究し、それに近付けるような句を作り、納得行かなければ捨てて、また作り直す。膨大な量の研究と鍛錬のような創作から出来ていく彼の作品は“変幻自在”で、いたって流動的である。「作家性」という信用のありそうなものを様々な角度から構築していこうという僕の志向性とは全く反対だ。単に彼は飢えた獣というわけではなく、幾度となく餌までの道を絶たれて、狡猾に、それでいて着実な方法を考えるようになった、理性的な獣となっていたとわかった。そんな“完全に賞に寄せる”ような彼の作品は個人的にはいい気分ではないが、その変幻自在ぶりをみれば、狂気すら感じるようでもある。
実は、今回の鬼貫青春俳句賞受賞作品を、事前に僕は読んだ。というのも、僕はこの賞の締切に単に間に合わなかったため、傍観者として居よう、と思ったからである。ただ、彼の作品は、圧倒的に若さ以前の幼さが「作られていた」。かなり衝撃的だった。同時に、想起した。

「不気味の谷」。

正直言うと、第一印象は衝撃というより、気持ち悪さだった。作者の年齢などというメタな部分を抜きとしても、完成度の高いリアルな、それでいて現実味が薄いような矛盾のある「幼さ」を前に、気持ち悪さがあった。きっとこれは俳句における「不気味の谷」と言うべきなのだろう(作者が意図したかどうかはわからないが)。しかし、単作として一句一句を読むと何ら問題のないものとしてすんなりと入ってきていた。とらばさみのような句たちだった。見えないところで急に単作に引き込まれて、不気味さを一瞬忘れる。しかし、連作であることを知って、不気味さが戻ってくる。到底、僕には作れないシロモノだった。この成功していた「不気味の谷」が、大賞を獲るとは思わなかったが、何かしら結果を残すものになるかもしれない、という予感はあった。今回の受賞は意外だったといえば意外だったし、当然と言われてみればそうだったのかもしれない、と感じながら、読み返していた。

そして、Twitterのタイムラインから流れてきた様々な参加者の方々の句を見て、愕然とした。単純な語彙を用いながらもしっかりとした輪郭を持った句を作る人、はっきりと作品内に自分ないし主体の息遣いがあるようなリアルな句を作る人、様々だった。やはり、僕とは全くレベルが違う。ふと自信が砕かれそうになったが、僕は僕として、僕なりの作品を作り続けなくては、とも改めて思えた。そして、作り続けて、僕もまた何かしら結果を残せるようにならなくては。しかし、きっと田中さんも、そのほかの人たちもより一層成長して僕の向かっている次のステージに同じようにして向かってくるはずだ。そこで、同じ土俵に立てるように、日々努力していきたい。それに、締切にはまにあうようにしていきたい。

とまあ、今回の鬼貫青春俳句賞に関する情報やツイートに関して感じたことを書き記した。

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