爽風
過去作品です。
四阿に 朝のみぞれをこぼす夕 屋上のボンゴ かがやく雪解の目 ベランダの右側 啓蟄の雲は 居間の暗さ 立春の海底を語る 寝室の舌 春眠の神話絶え トイレに油屋のひそむ春の夜 三月の浴室に泣き虫 龍を飼う 土間に銅像 東京に桜前線 玄関に戦艦たどりつく涅槃雪 塀沿いのくらがり東雲を追い
食玩の目に傷深き春の暮 新聞に砂漠あさりはぽぽと云ふ 熱病に雪解のひびく花屋かな 雪のひま化石ぷかぷかと育ちぬ 美食家の目に傷深き春の宵 長靴に砂漠かざぐるまからから 熱病に春の樹まがる指先の ながき日の牢ぷかぷかと語られり
鐘楼のときは山羊座の尾骨あり 遠山に火葬場うごく寒さかな 鮟鱇を買ふひと定規を飼ふひと 凸柑はワルツのなかに落ちにけり 硝子屋を過ぎて煙草のかをる雪 不沈艦めく寒卵 どうと言ふぞ 聖夜いまB棟五階東側 * 橈骨の痛む聖夜を俯きぬ 薬瓶の底も聖夜や川底も にんにくの「にん」の音のみひゞく 村 漂つて駅舎の雪を買い漁る 爛々と逆立つ枕らくだ鳴く
青年は白髪にして青梅ひろふ 永遠は首都のトマトを買ひ帰る 庭園は澄む点滴に棲みにけり 平面は汽笛のうららかにながく 霊園は人日の雨 ながければ 信仰のやうな洗濯竿灼かれ 沈降の野を僕いるだけの長閑 淫行の報道いまは沼さやか 「貧幸」の意味知るもよし端居の背 燐光の服交ふ其処を初烏 骨董屋主人入水の月を買ふ 雪を待つみづしづみゆくそのながさ みづうみのめまい竿のみすゞしかれ 沼まどふ死体袋や桜流し 漂着の一番線の其処をはつこゑ
どうぶつはおててをひらくゆふづくよ 葡萄熟れて旧道は晴れ間をのこす 「身命を賭す。」天高く「シンメイヲトス」 ばらばらの鱈さらさらの体に葉 伯爵の咀嚼子爵は河豚を断つ 飯店の半纏単に反転す 浮上するあばらさやけし滾られり あをあをと鎖骨讃へて検査着の霧 再録の波ほおずきのふとゆらぐ カリストの醜聞朝焼の自室 おしまい
やっぱり吟行が僕の本質だな。 と最近思うようになっている。しかし、吟行とは一体なんだろう?もう俳句をはじめてそろそろ二桁の年数になりそうだというのに、吟行が何たるか、改めて考えたことは無かった。 デジタル大辞泉によると、「和歌や俳句の題材を求めて、名所・旧跡などに出かけること」だそうだ。 ・・・・・・・・・うん、あまりそういう意味合いでの吟行はしていないかもしれない。というより、そういう意識を持って吟行をしたことは少ない、というべきだろう。では、僕はどういう意識
今回は、かなり短い文章となる気がする。 というのも、書くことが非常に端的なことで済んでしまうからだ。外山一機氏のnote「『内輪』批判についての備忘録」でも多少触れられていたが、「俳壇」や「俳句世間」、「俳人の“界隈”」といったようなものの閉鎖性に対する批判には僕も辟易している(それなのに、そこに対して批判してしまうということに対して自己矛盾を感じないわけではないのだが)。 しかし、そろそろ行動に出ても良いのではないだろうか。「万人に対して」解放する「動き」があるべ
第五回芝不器男俳句新人賞。僕にとって初めての大規模な賞への応募だった。100句、既発表作品応募可。きっと様々な人がこれまでの自分の最善を尽くしてやって来るだろう、楽しみに来るのだろう、戦いに来るのだろう、そう思いながら、作品を編むのは非常に心躍るものだった。 結果は一次選考通過、賞には届かず。 僕は44番で、すべての句を「教祖」という題材で詠んだ完全新作で勝負した(作った後、「教祖」に呪われたか、特大級のスランプが来たのだが)。楽しく作れたし、心から「あ、今自分の俳句してる
戦争、震災、そういったものに対する追悼としての創作は多く存在する。僕はあまりそういったものを創作しない。僕は自分がそういうものに対峙する時、「距離」を感じるのだ。それは時間的、空間的、すべてにおいてである。戦争に関して言えば、時間的にも空間的にも経験的にも未知であり、史料に触れることでしかその凄みや悲しみなどは知り得ないのである。確かにそういったものを自分の中で消化し、昇華するのは一つの手として存在していると思う。だが、「距離」が存在していると意識した途端にそういった行為は不
車窓から見た日が沈みたての冬の田舎道、深く積もった雪道に街灯が、まばらに、その白さを際立てているように、輝く点として在った。ふと最近のことを考えると、ひとつ思い浮かんだことがある。何番煎じかわからない主張だが、創作家や芸術家といわれる類の人間たちというのは、他者からの印象に最も強く生かされている存在かもしれない。もちろん、俳人も例外ではない。その中で、創作家は常に多角的に聖人にも悪人にもなれる素質がある、なんて万能な人種だろうと感じた。俳人は十七音、歌人は三十一文字でそれが決
「舟」北海道支部北舟句会に、無類の酒好き、自称「天才」がいた。ふと、過去の句会の記録を見ていた時にその人のことを思い出した。僕は、その人の笑顔と、酔いすぎてグロッキーになっている顔をはっきりと覚えている。 矢萩ピエール(本名:肇)さん。2012年に亡くなった、僕の“大先輩”だ。父親のことを「八鍬ちゃん」と呼び、主に僕のことは「ジュニア」と言って可愛がってくれた。今、実家に帰っていて、父親が北舟句会の記録を持ってきてくれた時に、ピエールさんの句だけで行われた追悼句会(通称:ピ
俳句をしているうちに、「心地良い」句と、「気持ち良い」句、というものが生まれていることに最近気付いた。そして、こころなしか、「心地良い」句は比較的写実的なもの、「写生」を感じるような作品で、「気持ち良い」句は写実的ではないようものだとわかった。 遠山に日の当りたる枯野かな / 高浜虚子 春月の病めるが如く黄なるかな / 松本たかし 手をつけて海の冷たき桜かな / 岸本尚毅 顔痩せて次なる菊を持てりけり / 堀下翔 その裏にみづうみ澄めり盲学校 / 柳元佑
賞に向けて連作を作ること、句会に向けて単作を作ること、天王星賞の選考でたくさんの句を読むこと、句会や雑誌で単作や連作を読むこと、これらの機会が増えて、作品としての刺激を常に受けていて、満足の行く俳句的生活を過ごしているように感じていたが、どうやら深層心理は満足していないらしい。何か、刺激的な企画が欲しい、何かないか、と考えた時にふと、読んでいた本で「巌流島の戦い」について言及されていた。 これだ。“巌流島”だ。そこである句会の形式が浮かんだ。「巌流島式句会」。簡単に言えば、
過去にこんなつぶやきを見たことがある。北大路翼は、加藤楸邨、今井聖の系譜上に存在するから、彼は「人間探求派の流れを汲む存在」、もしくは人間探求派そのものだ、という内容のものである。 確かにあながち間違ってはいないかもしれない、とふと思った。彼の作品の特徴や、「屍派」などといった活動といった彼の俳句に対する態度全般として、表現しているものには「人間の愛すべき露悪」や「“諧謔性”という堅苦しさから“ギャグ”という軟らかさへの転換」のようなものがあると思う。 前者の特徴のある句と
まあ、詭弁かもしれない。「常識にとらわれず自分の世界を 〜」というある文面を見た時に、僕は思った。常識を知らなくちゃそもそもとらわれることもないじゃないか。常識を知ってこそ、そこから外れようと意思が持てるんじゃないか、と。詭弁かもしれないな、とは思ったが、どうも腑に落ちなかった。 ろくなもんじゃあないのに、な。
先ほど、初めて「君の名は。」を観た。 その感想はまた別の機会にぼそっと言えたらいいと思っている。個人的には満足いく内容だった、とだけここでは言っておきます。 「君の名は。」で重視?されていた、「夢」。「夢」と聞くと、僕は小学二年生の九月頃に見た夢を鮮明に思い出す。今まで見た夢で一番寂しかった記憶が強くあるからだ。というのも、自宅のソファーに、(夢の中で)大切にしていた風船がどろりと溶けて消えてしまう、という簡単な内容なのだが、その時に夢の中で号泣したことを未だに覚えている。