個人的メモ④線路は続くよ、どこまでも
過去にこんなつぶやきを見たことがある。北大路翼は、加藤楸邨、今井聖の系譜上に存在するから、彼は「人間探求派の流れを汲む存在」、もしくは人間探求派そのものだ、という内容のものである。
確かにあながち間違ってはいないかもしれない、とふと思った。彼の作品の特徴や、「屍派」などといった活動といった彼の俳句に対する態度全般として、表現しているものには「人間の愛すべき露悪」や「“諧謔性”という堅苦しさから“ギャグ”という軟らかさへの転換」のようなものがあると思う。
前者の特徴のある句としては、
キャバ嬢と見てゐるライバル店の火事
金髪を抱きしと墓に報告す
友のみ知る中絶の過去卒業歌
などが挙げられるだろう。
また、後者のような句としては、
次の戦争までしやぶしやぶが食べ放題
マジックカットがうまく切れたよお富さん
きりつとしない奴らのおしくらまんぢゆうだ
などが挙げられると思う。
しかし、両方、何らかの人間の本質を衝くような作品群ではあると思う(他にももちろん“無難”な句もあるのだが)。ここで、唐突ではあるが、ふと人間探求派の歴史を考えた。
人間探求派(最初期)について
“人間探求派”というのは、知ってる方も多いと思うが、「俳句研究」1939年8月号(改造社)に掲載された座談会「新しい俳句の課題」(司会︰山本健吉、参加者︰中村草田男、石田波郷、加藤楸邨、篠原梵)において、山本が「貴方がたの試みは結局人間の探求といふことになりますね」という纏め方をしたことで名称が一般化した、ということである。ちなみにこの座談会の背景には、新興俳句運動における「有季無季問題」の中で生まれた、「発句の原点に立ち返り、古典研究の中で俳句固有の方法としての定型や切れ字、季語を再確認しよう」という機運の中で草田男、波郷、楸邨らの作品が「難解」とされたことにより、難解俳句を作る理由、新興俳句批判、俳句性を語らせよう、となったということがあるそうだ(下記の句が「難解」と称された部類の句)。
月ゆ声あり汝は母が子か妻が子か / 中村草田男
鰯雲人に告ぐべきことならず / 加藤楸邨
冬日宙少女鼓隊の母となる日 / 石田波郷
しかし、調べて思うのが、最初期の人間探求派は、「人間の探求」という漠然としたテーマを共通項に置く人々、というだけでしかないように思われる。楸邨は「生活遊離を否定し、生活表現に重点を」置き、「内なるものに忠実であろうとする願い」が、「無季俳句の生んだ精神」で「非難されてはならぬ」として、求心的に「自己の追求がそのまま俳句の追求」とならなければならない、と理論的に考えている。草田男の場合は、新興俳句のように素材だけが近代化するのではなく、作者自身が内面から近代化を行い、思想を血肉化・感覚化することを望み、波郷にいたっては、理論的な表明はせず、「無季俳句は撃ち殺す」姿勢で“アンチ新興俳句”としての一面を見せていた(軽視されてきた切れ字の活用などの業績といった古典派としての一面も忘れてはならないが)。
人間探求派(中期)について
中期、と示したが、ここは特に楸邨山脈と言われる人物たちの活躍期、と言ってもいいのではないだろうか。人間探求派第二世代、といった所だろうか。「社会性俳句」に関わった、金子兜太、古沢太穂、沢木欣一、原子公平ら、昭和三十年代の「伝統派」とされる森澄雄や、先述の今井聖や、私が所属している「炎環」の主宰・石寒太などが代表作家として挙げられるだろう。彼らは楸邨が終生主宰した「寒雷」出身である(また、「寒雷」は弾圧対象にならず、後に三橋敏雄が「加藤楸邨集」において、「ほとんど革新的な俳句の命脈」と称している)。
「社会性俳句~前衛俳句(「海程」派)」において活躍し、現在も影響力の強い俳人として存命の金子兜太に関しては、「造型」論、つまり、従来の俳句における対象と自己との直接結合による素朴な方法論としての「観念投影」「諷詠」に対して、直接結合を切り離して《創る自己》を位置させるというものを提唱した。正直に言うと、筆者の私はこれをまだ理解しきれていない。簡単に説明されているものを欲している。しかし、自己という存在を重視しているということはわかる。その時点で、楸邨の影響を少なからず受けているのではないか、と考えている。また、山脈の一員であり、昭和三十年代の伝統派としては飯田龍太と人気を二分した、森澄雄に関しては、「俳人であるよりはもとの人間でありたい」という元来よりの主張や、《除夜の妻白鳥のごと湯浴みをり》に代表されるように妻などを題材とした生活に基づく句も少なくない。多くの方向性へと分離していったが、楸邨山脈はやはり楸邨の意志を継ぐ者達として、「中期人間探求派」であったと考える。
後期人間探求派としての北大路翼は有りうるのか
楸邨山脈出身の今井聖は、「街」を1996年に創刊主宰となっている。その際、創刊入会しているのが北大路翼である。
「街」のコンセプトとはどういったものだろう、とインターネットのサイトを確認してみた。すると、下記の文面があった。
俳味、滋味、軽み、軽妙、洒脱、飄逸、諷詠、諧謔、達観、達意、熟達、
風雅、典雅、優美、流麗、枯淡、透徹、円熟、古いモダン、
睥睨的ポストモダン、皮相的リベラル、典拠の達人、
正義の押し付け、倫理の規定、自己美化、
ではないものを私たちは目指します。
肉体を通して得られる原初の感覚を私たちは基点に置きます。
私たちは「私」を露出させ解放することを目的とします。
(新・街宣言 より)
なるほど、確かに「自己の追求こそ俳句の追求」という楸邨イズム(?)が生きたコンセプト(?)を掲げている。《「私」を露出させ解放すること》、確かに北大路翼の句にはそれが出来ているのかもしれない。最初に言及した、「人間の愛すべき露悪」や「ギャグの軟らかさ」、それらはすべて氏の過去の「出会い俳人」活動や、現在の歌舞伎町生活において培われたものだろう。現在の「屍派」における自称アウトローな活動については賛否両論存在しているのは事実である。私もそこの部分においては若干の疑念を抱いているが、実際のところは、彼は確かに正統的な人間探求派であり、また、「屍派」に所属しながら様々なところで活躍しているのを耳にする五十嵐箏曲らもまた、そこに準ずるところがあるのかもしれない。しかし、思うに、彼らの存在は後期人間探求派でしかなく、いつか来る「ポスト人間探求派」の暗示ではないかという風にも感じる。私にはその存在がどういったものかなどは全く想像もつかないが、そういった存在がすでに存在しているかもしれない。人間探求派を巡る線路は続く、どこまでも。
(調べの甘いところが散見できる拙文ですが、あくまでも100%個人的見解なのでご了承ください。)
参考文献
『天の川銀河発電所』(佐藤文香編、左右社)
「國文學 解釈と教材の研究」12月臨時増刊号 「俳句創作/鑑賞ハンドブック」(學燈社、昭和五十九年十二月二十五日発行)
「國文學 解釈と教材の研究」「俳句に何を求めるか」(學燈社、昭和五十六年二月二十日発行)
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