SNS上のフェミニスト論争について考える―社会問題と個人の怨嗟はまぜるな危険―
最近SNS上では自称フェミニストとそれを「まーたフェミさんかよw」とあしらう方々をよく見かける。アニメポスターの美少女が燃やされ、電車の女性専用車両が燃やされ、漫画の表現ひとつ取っても燃やされ…。毎日どこかしらで火が出てるようだ。社会問題を突くものもあれば、過激で飛躍した主張が見えることもある。だがフェミさんという小馬鹿にした呼び方は好きではない。私は過激な主張をする方々を"自称フェミニスト"と呼んでいる。
まず大前提なので述べておくが筆者は女性である。そして本が好きで漫画が好きで美少女ゲームも好きなタイプの人種。フェミニズムを専門的に勉強したことはない。なのでここから書く内容はただの呟きです。
ネットで見受けられる"自称フェミニスト"の方々の主張にはかなり「?」になることが多い。
例えば、ポスターの少女イラストに対し性的だ!性的搾取だ!撤去しろ!と一時期大変燃え盛ったあの話題。
ポスターはあくまでキャンペーンと作品のコラボである。あからさまな成年向け表現であれば当然撤去となるだろうが、広い世代に知れ渡っていた作品である。当然撤去など受け入れられるわけが無い。
しかし私はこの騒動の時に見受けられた反論にもかなり違和感を覚えた。「全然性的じゃない」「被害者意識の思い込みが激しい」などなど。
それもまた間違っているのだ。少女キャラクターは魅力的に描かれている。表情であったり外見であったり服装であったり。そして顔の可愛さや胸の大きさ。その魅力には当然"性的魅力"も含まれているのだから。ある意味キャラクターは商品とも言えるものであり、魅力を大きく見せる描き方をするのは至極当然なのである。
では大いに火をつけまくった彼女らは何を感じたのか?女性である筆者としては、少し想像をめぐらせて欲しいとも思うのである。
ここで少し個人的な経験談に入る。私は胸が大きめだ。結構目立つ。接客中の私に「胸が大きいね〜」などと声をかけていった客は数知れず。お客様それはサービス外です。体育の授業で走れば男子共に「脱いだら凄いやつw」と爆笑されたこともある。私そこそこ足速かったんだけど、一生懸命走ってもそこで笑われるのかあ。痴漢もまあまあ。白杖を持った人に声を掛けられ手伝った際に腕からだんだん脇と胸に手が伸びてきたこともあった。親切心を利用するなんて人として終わってますよ。挙句の果てには小学生以来の幼馴染に飲んだ帰りに暗がりで胸に手を突っ込まれ揉まれる。肘鉄と腹パンして逃げた。15年もの長い付き合いは、友情はなんだったんだい。
回想終わり。
幸いなことに命が関わるほどの危険に遭ったことはないのだが、私一人だけで胸にまつわる屈辱的な記憶は結構ある。世の中の少なくない数の女性が似たような経験をしていると思う。知り合いを見てもセクハラを受けたことの無い人の方が珍しいくらいだ、悲しい事に。
私はそうではないのだが、そういった経験から"男性が胸に対して性的魅力を感じる"ことそのものが受け付けない人もいるのだ。そしてそれが形として表現されているものに嫌悪感を抱いてしまうこともある。私個人はリョナ陵辱系エロ漫画を好まないくらいだが、人によっては揺れる乳袋の時点で駄目なのである。嫌な記憶がフラッシュバックし、胸へ向けられる性的欲求を気持ち悪く恐ろしく感じるのだ。そのあたりは想像でいい、理解して欲しいのだ。
そして問題はここからである。「性的に描かれた少女のポスターを撤去しろ!」の争うポイントはどこか。一点、撤去という部分のみである。
彼の者たちは「こんなポスターが貼られていることが社会問題である」という理屈で撤去を求めたわけであるが、かれらの言う社会問題とはあくまで背景部分なのである。そのポスターを不快に思うに至ったそれまでの経験、社会の異常さを問題としているのである。つまりポスターそのものが問題では無いのだ。
よってこの燃えに燃えた論争の着地点は「ポスターは撤去すべきでない」である。
しかしこれで終わらせてはいけない。「ツイフェミがまた叫んどるwww」で片付けてはいけない。主張はやり過ぎていても、動機が実在しているからだ。そして動機を辿れば、社会に問題が実在しているからだ。そしてかれらが"不快に感じる"という気持ちまで否定して欲しくない。そう感じるまでの苦痛を味わった経験があるのだから。不快に感じるのは自由だし否定してはいけない、ただ不快を理由に社会問題にすり替えて弾圧紛いの主張は許されない。それだけの話だ。
性的なイラストは存在していいけどゾーニングは必要だとか、小説の女性言葉は役割語という表現ですよとか、女性専用車両はやっぱり必要ですとか、女性管理職の枠を増やすより先に男性の単身赴任や育休問題を解決していこうとか。私の主張をここから進めることも出来るが、きりがないのでここで切ろうと思う。ただ、最近のSNSで見られる自称フェミニストとアンチの発信はみていて辛いものがある。自称フェミニストが叫ぶ非論理的な表現狩りやらには絶対賛成しない。だけど社会への怒りには共感するし、女性の生きづらさを変えていきたい気持ちは多分同じだ。アンチは結果的に正解を言っていても、背景の社会問題を考えもせず「またおかしなこと言ってるwww」で片付けようとする。まんさんだのフェミさんだの人を馬鹿にする言い方もよくない。ますます社会問題を覆い隠すだけになってしまう。そして男性叩きの女性VS女性叩きの男性の地獄絵図が爆誕である。もはや社会問題を語る者は無く、憎しみと蔑みの殴り合いのみ。本来のフェミニスト・フェミニズムの意味が薄れる上に揶揄の対象になりつつあるのも最悪だ。フェミニズムの歴史があるから今の私たちがあるのに。
自称フェミニストは「個人的怨嗟」と「社会問題」を混同して主張してしまっているし、アンチは背景の「社会問題」を見ようとせずに主張を「個人的怨嗟」で片付けてしまう。
どちらも同時に存在するものだ、だが同列に語るものでも無い。論点がずれるのはもはや議論の技術の問題だ、国語力は大事。
とにかくこのずれが上手く元に戻ってくれないか。そうしないと本当の社会問題の解決に至らない、個人的怨嗟を晴らせない。そのことにみんな気づいて欲しいなと願うのである。
余談。エロ漫画も読む私だが、お風呂場で石鹸の泡だらけのまま…というシチュエーションだけは駄目なのである。おまたに石鹸がしみて痛そうだからです。以上。