④ハイライト亭


ハイライト亭っってなんだよ、でも誤字って面白かったからそのままタイトルに使ってみた。



端的に言う本日のハイライトは、マイヘアの武道館が当たったことです。あっけなかったなあ、当たるってのも。


あとは、締め日の親の店に行ってきた、高校の先輩 兼 住人さん二人と。キャラ濃い高1もいたし、例によってお偉い方の息子もいた。住人さん二人とのご飯は結構楽しみにしてた、いっつも一緒に住んでる人だし(それが住人ってものだが)なんなら数日後にまたおうちで会うんだけど、とてもワクワクしてた。

ひとつはうちの親と店の感じを知ってもらえるのが嬉しかった、あと美味しいごはんを共に味わいたかった。逆サイドから言うと、両親に、口では伝えられない二人のいいところをいっぱい知って欲しかった。

博識で落ち着いていて、気配りができて、いつでも一歩引いた余裕がある、こんな人間になりてえ、、!っていう自分に足りないものを持ち合わせすぎているまさに理想像な先輩と、まっじで変わってて本人が思っている以上に変わってるけど(全然それがマイナスではない)、誰にでも献身的で人の痛みが相対的に見て抜群にわかってて(他人の何かなんて何一つわかるものじゃないというのは大前提)、自己肯定感が鬼のように低いところまで愛せちゃう、人生で三本の指に入るくらい瞳が綺麗な先輩。まだまだ魅力は書き記せないほどな二人は、本当に大好きだし、知り合えてお話できて、こんな近くに置いてもらえてるという事実が何度考えても本当に有難いなああ、と思います。(突然の敬語)


初めの頃は関係各所に勘違いを押し付けていて、自分だけ可哀想みたいにやっていたことを恥ずかしく思います、まだまだ自分は未熟どこか子供でしかなあいということを心に留めよう!(はい、よくわからぬ宣言!)

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小学校を卒業してから予備校を卒業するまでは、おうち以外で本当に愛されいるなあと感じる瞬間はどこでも一度もなくて、今考えてみたらきっと愛してくれている人はいたんだろうけど裏切られるのが怖くて(落ち着いて考えると裏切られるはずもないというか裏切られるとしたらそれ相応の何かを自分がしていたということになるのだけれど)、誰にも愛されていないどこにも友達はいないって思い込むことで人間関係の核の部分にこれ以上触れようとするのから逃げていたのだと思う。もう人間関係は一旦諦めました〜〜っていつも心の中に傷を飼いながら生きていたような気がする。おかげで寄り添ってくれていたかもしれない周りの人たちとも完全に疎遠で、昨日言ったようにこっちで会える友達なんて3人しかいないんだけれど(3人さんはそんな鎖国状態の自分をよく捨てないでいてくれた)、ここ2年、少し勇気を出してまた友達作りをがんばり始めてみて、いざやってみたら小学生以来の人と真っ向から関わる感覚を徐々に思い出してきて、そしたら以外と簡単に自分と一緒にいることを厭わない人が現れてくれて、あれ自分が正直にさえなればいけるんじゃん、ってやっと最近確信みたいのを持てるようになった。

そんな流れで、約10年ぶりに、何も考えずとも一緒にいる時間を過ごせる家族以外の人間を持つことに成功したのですが、その少しずつの自分的がんばりがここのとこ成果を見せはじめ、今はだいたい毎日、ああここはいることが許されている空間だなあ、厭われていないなあ、ひょっとしたら愛してもらっているなあ、と感じられる人生を送っています。あああ皆さんありがとう。(遺言かよ)

今も史上最高に醜い自分が嫌になってしまうっていう、前だったら5000%一人で抱え込んでいた苦しい感情(自分で改善すればいいだけの話なのは二百も承知)を人に聞いてもらっているところ。この最後の件に関しては、新年から徹底的に改造していきます。

新年楽しみなんてめずらしいね!




よくわからないことを書き記し終えたので、寝る!おやす!




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