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③地元に帰ってきたなり

”家族と居られる時間は限られてるんだから、できる限り家族と過ごす主義なんです” という半分ほんと半分強がりなワードを例の如く東京に残し、今年も12/24の深夜便で地元・北海道に帰ってきた。


25日を過ぎ、がっこうもないバイトもない純粋ニート生活絶賛満喫中なのだが、会うともだち(または、会いたいと思うともだち、ないし会ってくれるともだち)も本当に数人しかいないし、外に出る用は交通費のことも考えてなるべく一回に纏めたいし、何より何より、ガス暖房であったかくて心の底から安心しきれるおうちがだいすきだし。。で、ここ48時間のうちきっかり48時間在宅している。

だらだらとやんなきゃなことをやってるとはいえ、はたから見てもここから見ても(?)クズ生活なので、何を正当化するつもりも全くもってないのですが、端的に言うと良くも悪くもいろーーんなことを考える時間があります。

「明日は朝何時に起きて何分で準備してどこへ行って何限まで受けて、何線に乗ってそこに着いたら何時まであれするんだな。。。!と寝る前に確認して、それ通りにこなしていたらあっという間に夜が来て、また次の朝が始まる準備をする、、、以下同文」みたいな毎日は間違いなく文字通り充実していて、そんな日々をこなせている自分にも嬉しいし、生きているなあ!って感じられるから、すごく好き。無理に行ってるわけじゃなくて、本当に好きな毎日の過ごし方のひとつ。(別に誰も疑ってねえよ?)

ここんとこの暮らしはその対極なわけで、ぜーんぜん何もしていないし、こんな間に同世代のどこかの誰かは何かに向かって努力しているんだろうなとかって考えると、よくわかんない焦りが出てきたり、勿論背徳感はあるけど、(そして多分実際客観的に相対的に見ても無駄の方が多いんだろうけど)まず単純に楽しいと感じるし、心も体も洗われてリセットされているとも感じるし、(二度も”感じる”を使ったのは、真偽の程は定かではないから)、七十回くらいはあるであろう365日のうちの数日はこれでもいいかなあって思っています。(誰への言い訳でしょう、、?神様?)

ぼけーーっと考えて(だいたい考え始めは無意識)、なんか結論が出た事柄(ここでやっと何か考えていたことに気がつく)は、みんなにも聞いて欲しいなって思った場合のみtwitterにつぶやいたりそこまでじゃなくてもdraftに残したりしてるんですが、もっと気楽に、もっと可視化された状態で(見返し易い、のニュアンス)残せたらなあと思い、これから帰京するまでの間、適宜書いていこうかなあ、と、12/28  00:53現在、考えています





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